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東京国立博物館<やまと絵>展:おそるべし雪舟!あなたは桃山障壁画の祖か?なぜ樹木・草葉をそこまで突き出して描くのか?


はじめに

 前回の記事で、東京国立博物館で行われている「やまと絵」展で典型的な「やまと絵」《浜松図屏風》と、これまた典型的な「水墨山水」《四季山水図屏風》が並列展示されていて、二つの屏風を対比して見ることでこれまでピンとこなかった「水墨山水」の本質に触れることができたことを紹介しました(下記を参照ください)。

 「やまと絵」展は、全期間を4つに分けて作品を入れ替えます。残念ながら1回で全てを見ることが出来ません。ただ4回も見るのは大変なので、第二期の大きな目玉である《伝源頼朝像》《伝平重盛像》《伝藤原光能像》、「神護寺三像」を見ることは諦めて、第三期の展示を見ることにしました。

 第三期では、「やまと絵」《浜松図屏風》が《日月四季山水図屏風》に、

日月四季山水図屏風 右隻
出典:wikimedia commons, public domain
日月四季山水図屏風 左隻
出典:wikimedia commons, public domain

 水墨山水は、伝周文《四季山水図屏風》から雪舟等楊《四季花鳥図屏風》に変更されていました(下図)。

雪舟等楊作《四季花鳥図屏風》 左隻
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
雪舟等楊作《四季花鳥図屏風》 右隻
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 「やまと絵」と「水墨画」を対比させて鑑賞者に見せる主催者の目的は同じなので、基本的には前回の記事で述べた内容は変わりません。
 ただし前回は典型的な水墨山水画だったのに対し、今回は次のような大きな違いがあります:

(1)作者が雪舟という日本の室町水墨画の代表作家であり、その後の日本の絵画に大きな影響を与えた作家であること
(2)花鳥図というジャンルが異なる水墨画であり、私がこれまで十分に踏み込んで勉強していなかった分野であること

 そこで、今回は以上の違いで感じたことを補遺として述べたいと思います(長文になります)。

第一印象

 最初に、この雪舟花鳥画を見たときの印象を下記に記します。

 今回は、代表的なやまと絵の次に代表的な水墨画が現れることは分かっていたので、不意打ちを感じる驚きはまったくありませんでしたが、別の意味での嬉しい驚き戸惑いがありました。

1)まず、喜びの理由は雪舟の作品であったこと。
 以前にも書きましたが、いったい彼の絵がどこが素晴らしいのか、また山水画にしても本家の中国の絵と何が違うのかさっぱり分からない私としては、一度雪舟の絵の実物を見て凄さ独自性を感じたいと思っていました。はからずも対面出来たので嬉しく感じたのです。

2)次に、戸惑いは、山水画ではなく花鳥画であったこと。
 実は、以前ピーター・ドラッカーのコレクションについて記事を書いた時に、彼の室町花鳥画のコレクションと彼が日本の花鳥画について絶賛していることについてはあえて触れませんでした。それは島尾新氏の新書を読んだ中には花鳥画が説明されておらず、勉強不足だったからです。それは現在までも変わらず、目の前に花鳥画が出てきて戸惑ったという訳です。

 簡単に今回初めて見た瞬間の印象とその後頭の中を駆け巡った思いをまとめてみます。

●え!? この大きく垂れ下がった松の枝ねじ曲がった巨木はなんだ? もしかしたら桃山障壁画
●上から下へふさぐように落ちる二つの松の枝葉がやけに大きい。まるでジャポニスムで西洋絵画に影響を与えた「すだれ効果」と同じじゃないか。(右隻)
樹木の幹少し太すぎ、大きすぎやしないか?(右隻)(左隻)
岩の上部ベタ黒に塗りすぎ!(右隻)(左隻)
花鳥画なのに草がやたらに多いぞ。しかも多くの手前に突き出す葉描かれて草全体の立体感が半端ない。蓮の葉に至っては手前と横向きが無く、逆に一斉に奥に向かっている!。(右隻)(左隻)
●巨木の(右隻、右上)がとてつもなく真ん前に飛び出している。水墨山水真ん前の飛び出しは見たことが無い。木の根他の枝前への飛び出しが激しい。(右隻)(左隻)
●飛んでいるシラサギがこちらを見ている顔が可愛い。(左隻)
●(右隻)全体の印象:小鳥遠くの山巨木椿に名が分からない草(オモト?)など花鳥画にしてはごちゃごちゃしすぎていないか? もっとも雪原だらけの光景(左隻)とあわせると丁度よいかもしれないが・・・。(左隻)
●全体に物の強烈な前後感にあふれている。一方空間の奥行き感が半端ではない。前から後ろへ、まるで立体写真を見るが如く。観る人を圧倒的に体感・遠近感を感じさせるように導いている。(左隻)(右隻)

 何というべきか、教科書で見慣れた雪舟の多くの「山水画」作品や《慧可断臂図》《天橋立図》とはまったく様子が違います。
 花鳥画なのに、何かただ事ではないものを感じました。

 それでは、その第一印象の中身をもう少し詳しく調べてみましょう。

第一印象の中身を分析してみます

 さて、いよいよ雪舟と対峙しなければならなくなったようです。しかも山水画ではなく不慣れな花鳥画で。
 とは言え、ドラッカーの記事を書いて以来手をこまねいていたわけではなく、花鳥画については次のような準備はしてきました。

 一つは、宮崎法子著「花鳥山水画を読み解くー中国絵画の意味(ちくま学芸文庫)(2018)花鳥画についての解説を読み込んだことです。

 そして、web上で中国日本の有名な花鳥画の作品の画像を見ることで、中国と日本の違いを感じること。

 いずれにせよ、にわか勉強の域を脱していません。しかしまずは実物を見る機会ができたと言うわけで、ここではあまり学術的な裏付けをとらずに自由に書いていきたいと思います。

(1)あえての仮説:雪舟こそ桃山障壁画の祖ではないのか? 

 通常の水墨花鳥画ではなく安土桃山時代障壁画だと直感的に思ってしまった理由を述べます。
 それは第一に、ドラッカーが集めていた花鳥画がどれも小品であるためで、花鳥画は小さいものだという先入観を持っていました。ですからまず今回の雪舟の屏風絵の大きさに驚いたことです。

 二つ目の理由は、少なくともweb上で見た一連の中国の花鳥画明朝以前)では、このように幹の太い樹木が迫力を持って配置されていないこと、しかもの場合であれば、「竹と鶴」あるいは「松と鶴」に加え、岩との組み合わせがある程度の数に抑えられており、今回の雪舟の絵のように、花木(椿)だけでなく、草花が同じ画面に描かれるなど一度にたくさんのアイテムが描かれていないことです。同様に、雪舟以前の日本の画家が描いた花鳥画も中国に倣っておりシンプルです。

 要するに、この時代としてはオーソドックスな中国の水墨画の描き方から外れた雪舟独自な描き方のように思うのです

■中国の鶴図および花鳥図

 具体的に上で述べた中国花鳥画(鶴以外も含む)の例を示します。

 例えば、その後の日本の水墨画の手本になった、牧谿の《絹本墨画淡彩観音猿鶴図》の中の鶴図:

牧谿 観音猿鶴図 (13世紀)
出典:wikimedia commons, public domain

 また、次の明代鶴図を見ていただければそのシンプルさはお判りになるでしょう。

左から1)元-明_佚名_竹鶴雙清圖_軸(14th–early 15th century)2)2592px-Cranes,_painting_on_silk( c.1416-1480)3)Bian_Jingzhao-Snow_Plum_and_Twin_Cranes(初明)4)边景昭竹鹤图轴(明)
出典:全てwikimedia commons, public domain

 鶴以外の鳥の花鳥図でも同様です(例示は省略します)。

 ここで注目したいのは、以上示したの絵では草花ほとんど描かれていないことです

 逆に草花が多く描かれる花鳥図も存在します(下図)。
 しかしこの場合は、ではない草花樹木草花草花というやはりシンプルな組み合わせからなる画面構成です。

左から1)Lü_Ji.Birds_in_Osmanthus_and_Chrysanthemum《吕纪桂菊山禽图轴》(明代)2)Lv_Ji_Eagle_Egret_and_Lotus(明)3)

 ところが、雪舟《四季花鳥図屏風》は、描写こそ中国水墨画の正統な筆法に倣っていますが、冒頭で述べた様に明らかに画面構成が異なります。もともと、屏風に四季を描くのはむしろやまと絵の常道ですから、中国の水墨画と異なって当然です。

■狩野派の花鳥図屏風

 次に中国花鳥画ではなく、雪舟より14年後に生まれた狩野派の祖と言われる狩野正信《竹石白鶴図屏風》を見てみます(なぜかフリー画像が得られないので間接的な例示になります。クリックして元の記事でご覧ください)。

あるいは、京都国立博物館・特別展の記事の中の画像:

 屏風絵全体を見ていただけたでしょうか?

 画面構成雪舟の絵とほぼ同じですが描画の力強さ雪舟の方が勝っているように思えます。また草花もあっさりとした描写で、後年の狩野派障壁画を思い浮かべると、どちらが狩野派なのか分かりません。

 次に正信の息子、狩野元信花鳥画屏風をみてみましょう。画風はより狩野派らしく華やかで豪壮になります。しかし描写はやまと絵的な様式的装飾的な表現が入ってきます。

狩野元信 Flower_and_bird_screen_by_Kanō_Motonobu
出典:wikimedia commons, public domain
狩野元信 Flowers and Birds of the four seasons,(1513)
出典:wikimedia commons, public domain

 ついでにさらに後代の狩野永徳の例を以下に示します

狩野永徳 Birds_and_flowers_of_the_four_seasons_2
出典:wikimedia commons, public domain

 元信永徳では、漢画やまと絵表現をたくみに融合狩野派の絵画を完成させているように見えます。

 このように典型的な狩野派の絵を見た後に雪舟の絵の構成だけみると、狩野派の絵を始めた本家狩野正信よりも狩野元信の絵の印象に近いのです。

 もちろん一般に日本美術史では、雪舟狩野派の祖と言われていません。しかし今回の花鳥画を見る限り雪舟こそ桃山時代「障壁画」先取りした、あるいは狩野派「祖」と言えないのかと私は思ってしまうのです。

 もっとも狩野正信は、雪舟より若いとはいえ、制作年代は少し重なりますので、もしかしたら正信がやはり「祖」で、雪舟の方が正信から影響を受けた可能性も否定できません。

 あるいはもう一つの可能性、雪舟正信独立にこのような画風を生み出したこともあり得ます。

 現時点では、それらを証明することはできませんが、次に述べる理由から、この時代こそ中国(宋)水墨画から脱して、日本独自の「障壁画」を生み出すことになったのではないかと私は推測します。

 以下その推測の理由を述べます。

■水墨画は誰のために描かれたか?

 「絵」は時代を映すといいます。現代の絵画と違い、東洋であれ西洋であれ、昔は絵は一般市民のためではなく、一握りのパトロンおよび限られた階級の鑑賞者のためでした。

 雪舟の生きていた年代とそれ以前の中国を例にとれば、王侯貴族皇帝であり、になれば科挙により選抜された高級官僚が加わります。
 一方、日本はどうか、中国と決定的な違いが鎌倉以降生じました。すなわち武人政治家の出現です。具体的には将軍であり、室町時代末に地域ごとに権力を握った大名達です。

 さて室町時代禅僧によりもたらされた水墨画は、日本では南宋牧谿の絵が好まれ、また夏珪様などの形で中国の描き方を日本人の画家は忠実に守っていました。

■雪舟は花鳥画を誰のために描いたか?

 雪舟もその例にもれないのですが、ここ20年来、赤瀬川原平氏や明治学院大学山下裕二氏、最近では山口晃氏が「日本美術応援団」の活動の中で、また学習院大学島尾新氏は、雪舟が単なる中国絵画の忠実な模倣者継承者ではなく、破天荒革新的な一面を持つことについて一般読者向けの著書にて説いています。

 ただ雪舟のこの《四季花鳥図屏風》については、言及はほとんどありません。

 今回、私は《四季花鳥図屏風》に中国の花鳥図(鶴図)とは異なる印象を持ち、しかも狩野派障壁画の気配を感じました。
 その理由は次のように考えてみたらどうでしょうか?

 この花鳥画が特定の権力者の依頼で描いたと仮定します。その権力者は誰でしょうか? おそらく雪舟を庇護した守護大名大内氏ではないでしょうか。

 中国の大型の山水画が、皇帝高級官僚向けで、宮廷の壁に飾られる公的政治的な性格を持つとすれば、花鳥画はその山水画を補完する形で、私的な空間、女性も鑑賞する場で用いられたとのことです。(宮崎法子著「花鳥山水画を読み解くー中国絵画の意味(ちくま学芸文庫)(2018)

 おそらく、それが中国花鳥画が、構成はシンプルで、やさしい印象に描かれた理由でしょう。

 一方、日本の障壁画を考えると、花鳥画ですら大画面に描かれ、中国皇帝高級官僚とは異なる嗜好を持つ武人戦国大名が気に入るように、巨大化・装飾化豪華絢爛な絵になっていったと言われています。

 すると、同じような理由で雪舟守護大名大内氏に気に入られるように、四季花鳥図屏風構成を考えたことは十分あり得ます。すなわち狩野派障壁画が生まれた同じ発想雪舟はしたのではないか。

:記事を書き終わったあと、勝手に想像したことが心配となり、確認したところ、一説として大内氏ではなく、傘下の領主益田兼尭(かねたか)の孫、宗兼襲禄の宴にあたって描かれたとありました(金沢弘著「雪舟」(小学館ブックス・オブ。ブックス14(1976))。当たらずとも遠からずで、要旨は変化しません。少し安心しました

 ですから、ほぼ同時期の狩野正信武人政治家相手に同じ発想で狩野派障壁画の基を考えた結果、雪舟と同じ構成になったと考えても不思議ではないでしょう。

(2)前後感、奥行き感はどこからきているのか?

 さて、私が感じた《四季花鳥図屏風》のもう一つの大きな特徴、全体から受けるとてつもない奥行き感樹木枝葉、重なる岩・山草の葉の個々の造形が通常では見られない程前後の方向に描写されていることについて考えたいと思います。

■なぜ専門家は樹木の描写、草の葉の描写に注目しないのか? 「線スケッチ」の観点から

 ここで、「線スケッチ」における樹木の描写について話題を変えます。

 これまでのスケッチ講師の経験の中で、初心者の方風景画を描くにあたって、ほぼ全員がつまずく二つのハードルがあることに私は気が付きました。

 それは、次の二つです:

1)線遠近法による三次元空間(特に奥行きと左右の広がり)の描写
2)中遠景(特に数十m~約1km程度の間)の樹木の描写

 特に2)については、約2年前そのハードルを乗り越えるために、どのように観察し描いたらよいのかについて記事にしました。

 同時にそれ以来、古今東西の画家達が、中遠景の樹木をどのように描いているのか、目を凝らしてみる癖がついてしまいました。

 最初に発見したのが、歌川広重樹木の特徴正確に観察中遠景樹木を見事に描き分けていることです。(一方葛飾北斎は別の手法を採用しています。北斎漫画に描かれた近景樹木写生画とは異なり、中遠景の樹木は、〇▢△に還元してデフォルメ化した抽象表現で、完全にセザンヌを先取りしています)

 不思議なことに、私が目を通した限り水墨山水花鳥画においては、専門家の一般向けの本では、樹木や草花の描写について断片的な言及はあるものの、岩、山、人物、楼閣、滝、雲霞描法に比べて樹木、草花絵画論に基づく解説を見たことがありません。

 今回のやまと絵展の展示作品についても、私はすべての作品を以上のような観点で詳しく観察してみました。

 ここでは、雪舟《四季花鳥図屏風》樹木・草花の描写を見てみましょう。 その前に、もう一度全体像を思い出していただくために、左隻右隻の全体図を下に示します。

雪舟等楊作《四季花鳥図屏風》 左隻
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
雪舟等楊作《四季花鳥図屏風》 右隻
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

■松と梅の枝ぶり、枝の突き出し方、根の突き出し方

 まず、右隻の松左隻の梅の枝の部分を取り出し、手前に突き出している枝だけを赤い楕円で示します(理屈では、枝の向きは手前後方平行三つの向きがありますが、ここでは雪舟前方を重視する姿勢を示すために手前への突き出しのみ示します)。

前方へ飛び出している松の木の枝(右隻)
前方に飛び出している梅の枝(左隻)

 なぜこれらの枝が手前に突き出していることがわかるのか、それは主幹あるいは主枝から手前に出る時の枝の根元の描写で判別できます。

 最初に樹木の枝の付き方模式的に示して説明します(下図)。

樹木の枝の様子についての模式図
左から1)真上から見た樹木、2)真横から見た樹木、3)枝A,B,Cの根元が樹幹に付いている様子

 まず、最初に大地に立つ大きな樹木を想定してください(例えばヒマラヤ杉のような枝が下向きに広がるタイプ)。
 結論から先に言うと、ほとんどの初心者は、真横に広がる枝C, C’しか目に入りません。真ん前に突き出たAはもちろん、斜め手前に突き出るBB’もまるで見えていないようです。すなわち、樹木の枝は主幹に対して360度立体的に付いていることを忘れてしまうのです。仮に気が付いたとしても、真ん前に突き出た枝をどのように描いたらよいか分からず戸惑ってしまうのです。

 ですから、初心者は樹木の枝を線描すると、真横の枝C,C’だけを描くことになってしまいます。

 少し拡大して、主幹に対して枝A,B,Cが実際にはどのようについているか見てみましょう。特に枝の根元に注目してご覧ください。

 枝A,B,C主幹に対する付き方を描き分けると、上図の3)のようになります。真ん前に突き出た枝Aの根元は、幹の真ん中になりますし、斜め前に突き出た枝Bの根元は幹の中心の少し左側から、当然ながら枝Cは主幹の真横から出ることになります(実は、今回展示されたやまと絵の樹木の枝は、例外なく真横についている描写です。ただ注意しなければならないのは、やまと絵絵師が絵の初心者同様稚拙ということを必ずしも示すわけではありません。別の記事でやまと絵遠近について考察したいと思います)。

 以上を頭に入れて、雪舟の絵の枝の根元の描写を見てみましょう。
 下に、右隻の松手前に飛び出した枝の根元部分を、左隻の梅の前に飛び出した枝の根元部分原図輪郭だけを取り出した図を対比して示します。

右隻の松の前に飛び出した枝の根元部分の描写(赤い丸で囲われた部分)
左隻の梅の前に飛び出した枝の根元部分の描写(赤い丸で囲われた部分)

 いかがでしょうか。雪舟は先に示した模式図の3)に忠実に従って描写していることが分かります。

 枝の根元の描写まで、全ての中国水墨画および日本水墨画を調べた訳ではないのですが、一般に水墨画樹木表現が大変リアルにみえることは確かです。もともと水墨画の描き方が現代の画家と同じ立体表現法を採用したためだと思います。

 しかし、それにしても雪舟は、特に枝の手前への突き出しにこだわっているように思います。

 中でも、右隻の右上の松の、真ん前に向かって突き出している枝は、中国でも日本でもほとんど例がないのではないか。真ん前に突き出したものを描くのはほとんどの画家も避けるのではないかと思うのです。

 かなり変わった嗜好だとしかいえません。

 この前後の向きに対する表現の嗜好は、樹木の枝だけにとまりません。鶴の足元や岩と地面に描かれた草の葉の方向も同じく立体感に溢れています。 
 次に詳しく観察してみましょう。

■草の葉の突き出し方、前後の描写

 まず、右隻左隻に描かれた、および椿の葉の描写を抜き出してみます。原図だけでなく、対応する葉の輪郭も示します。

1)右隻のススキ、オモト、笹の葉の描写

左からススキの葉、オモトの葉、笹の葉(右隻)

2)右隻のツバキの葉の描写

左右共にツバキの葉の描写(右隻)

3)左隻の雪原の中の笹とススキ(萱?)の葉の描写

雪を頂いた笹、雪原に煙るススキ(萱?)の葉の描写

 私は、それぞれの葉の輪郭模写しながら、思わず「凄い!何という観察力、うまい!」という感情が沸き起こりました。

 もっと言えば、「本当に室町時代の人間が描いたのか?」と。

 私のこれまで学んだ教科書の知識では、江戸中期円山応挙写生を窮めた画家であることが思い浮かぶのですが、遡ること300年近くも前雪舟がこれほどまでに写生徹底しているとは意外でした。

 例えば2)のツバキの葉の写実感にあふれた描写をご覧ください。

 スケッチ教室初心者の方に、実物を見て、あるいは写真を見て、ソメイヨシノの葉っぱを描いてくださいというと、本物の形を見ているにもかかわらず、かなりの人が、下の図の左の形を描きます。

初心者が描きがちな葉の形と実際の形との違い

 どうやら実物を目にしても、対称形の葉の形、すなわち以前の高齢者マークのような形を先入観として思い込んでいるらしいのです。
 ところが、右側のソメイヨシノ現実の葉の形を見ればわかるように、葉の先は一度曲率が変化して、先が細くなっていることが多く、しかもどちらかに曲がって、対称形ではないのです。
 さらに、葉脈は、中心からに向かって曲線を描くのは良いのですが、縁近くでは分岐する形になります。

 雪舟は、葉先もちゃんと非対称に描いていますし、葉脈も中心部だけで縁には到達してはいません。そして、葉の裏側表面を微妙なねじれで見せたり、通常人はあまり描くことがない、まっすぐ手前に突き出た葉まで描いており、そのリアル感が半端ではありません。恐るべし雪舟!

 それは、1)のススキ、オモト、笹の葉3)の雪の中の笹とススキ(萱?)の葉の描写においても共通しています。

 なお、屏風絵水墨花鳥画でこれほどまでに写実的に描かれた草花雪舟以後現れてきません。
 その後の狩野元信狩野永徳らの狩野派屏風絵だけでなく、桃山期の長谷川派長谷川等伯他)、海北友松雲谷等顔らの絵を見てみましたが、一見写実風に描いているように見えて、ある種定型化様式化しており雪舟のような生き生きした感じはないのです。

 ここで狩野元信永徳を擁護すれば、彼らは時代(戦国大名)の要請に従い、(金碧)障壁画という新しいスタイルを生み出し、完成させたのであって、あえて写実的に描かなかったのだと私は思います。

 だからこそ、江戸の世になり、狩野派の絵が粉本主義により定型化陳腐化したあと、中期になって円山応挙が出現し、そのストイックなまでの写実的描写が評価されたのかもしれません。

 ただ注意すべき点があります。輪郭描き写して分かったのは、雪舟は単に実物をそのまま写生をしているわけでもないということです。
 その理由は、1)、2)3)のそれぞれの葉の向きの比率概算すると、8割程度手前斜め手前の葉で、後方に向かう葉があきらかに少ないからです。

 一方、1)ススキの背後にある蓮の葉っぱを見てください。蓮の葉は、他の草の葉の手前への向きとは逆らうように葉の裏側を見せてがすべて後方に向かっており、手前向かう蓮の葉はありません
 ですから、雪舟意図的葉っぱ方向を決めていると推測できます。

 それは何のためでしょうか、理由は以下のように考えます。

 すでに多くの専門家が指摘しているように、雪舟右隻の場合で言えば、一番手前の松の枝松の根松の巨幹ツバキの幹、その後ろの右から下に流れる滝渓流対岸の岩、さらにその先の岩山さらに奥の霧にかすむ岩山の順に、幾重ものオブジェクトを手前から重ねて、鑑賞者の奥へ奥へと誘導しているのです。
 このような奥への誘導は、左隻雪景色でも同じように見られます。すなわち、ススキ(萱?)が繁る地面が上方へかさなり、さらにに近い左上に向かって雪山のなだらかな稜線を重ねてやはり奥へ奥へと誘導しています。

 このような奥への一方的な誘導を考えると、雪舟樹木の枝手前突き出し草の葉手前、手前に描くことによってバランスをとろうとしたのではないかと私は考えたいのです。すなわち、奥へ奥へ手前に手前にとが合わさって空間的な前後の広がりが明らかに増すからです。

 なお、このような奥へ奥への誘導は、北宋巨大な山水画聳え立つ岩山を使って上へ上へと誘導しているのとは対照的のように思います。これは、雪舟独自奥行き表現なのか、それとも牧谿など南宋・山水画では普通なのか今後確認したいと思います。

(3)長く垂れ下がった松の枝は何のためか?「すだれ効果」狙いなのか?

 第一印象の2番目に次のような内容を記しました。

●上から下へふさぐように落ちる二つの松の枝がやけに大きい。まるでジャポニスムで西洋絵画に影響を与えた「すだれ効果」と同じじゃないか。(右隻)

 雪舟のこの花鳥画を見た時に、異様に長く垂れ下がる松の枝違和感を覚えました。しかもそのにはが着いていますから、背後に描かれたものを遮るかたちになっているのです。
 一言で言えば「うっとおしいなー、邪魔でしょうがない」です。

 そこで、同時代およびそれ以降山水画花鳥画も含む)を調べてみました。

 結論を言えば、調べる限り、ここまで垂れ下がった松の枝(樹木の枝)は例がないのです。

 山水画において、巨木を描く場合太い主幹を描くだけで画面一杯になり、上部のほとんどの枝葉は描けないので、上から枝が垂れ下がる枝葉を描いて示すのはごく普通の事です。しかし、その垂れ下がり具合は、ほとんどの場合、絵の上部、1/3以内の幅に収まっており、長くても半分の高さの例があるだけです。雪舟のこの絵のように地面近くまで垂れ下がる例は全くありません。

 以前示した狩野元信永徳花鳥画松の枝垂れ下がり方と、雪舟花鳥画松の枝垂れ下がり方比較図を示しますので、様子をご確認ください。

松の枝の垂れ下がり方の比較(原図と模式図)
1)雪舟等楊《四季花鳥図屏風》、2)狩野元信《四季花鳥図》、3)狩野永徳《花鳥図》
出典:再掲載

 雪舟後ろの事物と重なるように松の枝の位置を下に方に定めているのは明らかです。私は、雪舟ある効果を狙ってそうしたのだと推測します。その効果とは、「すだれ効果」です。

 「すだれ効果」については、馬渕明子著<ジャポニスム 幻想の日本>㈱ブリュッケ(新版2015)を読んで始めて知りました。

 すだれ効果「前に簾や草を置くことによって、その向こう側に描かれたものをいっそう引き立てるという効果」で、視線を手前から奥に向かわせるような構図日本独特で、古くは源氏物語絵巻から江戸時代の浮世絵まで続く、伝統的な表現であり、田中英二氏により近年名づけられたとのことです。

 そして、馬渕氏は、モネ《木の間越しの春》の例を挙げて、絵画技法的にはジャポニスムの影響が全くなかったように思われていたモネが、実は手前に樹木を置くことで、日本のすだれ効果を採用していたことを指摘しています。

モネ 《木の間越しの春》
Public Domain via WikiArt

 ここでは、簾や草ではなく樹木枝葉を通して、奥の川、そして対岸の家々を引き立てているのです。

 まさにこの樹木の枝葉下からではなく、上から垂らせば雪舟松の枝葉になります。それが私がすだれ効果雪舟が狙ったのではないかと考える理由です。

さいごに

 「やまとえ展」という一見水墨画とは関係のない展覧会にて、雪舟花鳥画実物対面する機会を得ました。

 なんども言ってきたように、雪舟の描く水墨画がいったいどこがすごいのか中国水墨画何が違うのかさっぱりわからず、また理解するための糸口すら見いだせなかった私ですが、今回彼の水墨山水に比べて言及されることが少ない《四季花鳥図屏風絵》の描法を「線スケッチ」の立場から分析することで、その凄さ一端に触れ雪舟が、あたかも西洋が規定する芸術家、画家のように思えてきました。

 さいごに強調したいのは、やはり実物を見なければだめだということです。今回の記事で紹介した圧倒的空間の前後の奥行き感写実感すだれ効果などは、印刷物では到底得られません。

 今後も中国および我が国水墨画については機会を捉えて実物を見に行きたいと思います。

(おしまい)


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