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【#Real Voice 2022】 「From now on」 4年・安達佳哉

部員100名の物語がある。
全員、主人公。

18歳から22歳という大人への過渡期
大学という場所。
小1からサッカーを始めて、
初めてサッカー以外の選択肢がある場所だった。

数ある選択肢の中で、
再びスポーツを選び、
再びサッカーを選び、
そしてサークルではなくア式蹴球部を選んだ。

本気になって、大学サッカーに取り組むということ。


集大成?夢?目標??
違う。

高校サッカーの選手権の夢が覚めないまま、
後悔を取り戻すための挑戦。

挑戦しなきゃ一生後悔すると思ったから、
大学4年間をサッカーに捧げる決断をした。


その結果は、
4年間、早慶戦と関東リーグ、出場時間0分。

見事な敗北。完膚なきまでの敗北だ。
加えて、チームは関東2部リーグに降格し、私の大学サッカー人生は幕を閉じた。


4年間、期待と失望との葛藤。
怪我や環境の違いへの苦闘。
純粋に夢を追いかけた高校時代までと異なり、
現実から目を背けられなくなった。


「早稲田の4年生」「98年の歴史」「降格圏」「Bチーム」「B主将」「万年メンバー外」

物語の主人公なのに、脇役。

必要とされずサッカーをしている意味がわからなくなり、自分の存在価値を見失う。

その度に、ここで折れたら一生後悔する。
「自分に勝ちたい」
「すべての部員に可能性がある事を示したい」
そうやって乗り越えてきた。

「火曜日? 練習に行った」

「水曜日? 練習に行った」

「木曜日? 練習に行った」

「金曜日? 練習に行った」

「週末?試合がある」

試合前日のプレッシャーや緊張感
何度も体中に傷を作った
ボールがみぞおちに当たり、息が止まった事も何度もある。
怪我や病気を抱えながらも必死にプレーした。
暑くてそれどころじゃなくてもプレーした。
雨で寒くてもプレーした。
毎日、筋トレをした。
毎日、徹底的に食事をこだわった。
毎日、ストレッチを欠かさなかった。毎日、7時間半睡眠を欠かさなかった。

毎日、練習や試合から逆算して生きた。

自分との闘い。

自分を自分だけは信じ続けた。
信じてたからこそ、辛かった。
必死に一日一日を乗り越えてきた。


今、思う。
「人生=サッカー」
そう胸張って言える自分を称えたい。

不器用ながら駆け抜けてきた16年間を称えたい。

サッカーを通じて、
「自分に勝ちたい」
「可能性を示したい」
自分の限界、最大値に挑戦したことに誇りを持っている。


就活で、大学で、
色々な人と、価値観と出会った。
サッカーは、社会の一要素に過ぎないことも学んだ。
一方で、サッカーは誰かを勇気づけ、
みんなの中心にあり、
共通言語にもなる事を知った。
サッカーが地域を社会を、「人」を支えている事も知った。

最高だよ、サッカーは。

皆が教えてくれた。
ダサくても泥臭くても走り、闘う強さを、
下手でも上を目指し続けるぶれない強さを、
人を応援し、サポートする強さを、
一緒に乗り越えていく強さを。

Bチームのみんなは、見違えるほど強くたくましく成長してくれた。
そんな姿に大きな力をもらった。
だから挑戦を続けられた。

FC(社会人リーグ)・Iリーグ(インディペンデンスリーグ)で一緒に闘い、
得た最高の瞬間を俺は忘れない。

後ろに、
わけわからん熱量でチーム鼓舞し続けるキーパー(集合写真ニキ)や
スーパーセーブで救ってくれた縦の強固な繋がりを持つキーパー(ゴールキックだけ練習しようなニキ)や公平(2年・北村公平)、
山爺(3年・山田怜於)。
横に、
頼れるビルドアップ担当の最高の相棒がいてくれて、機長(4年・北本達拓)大場マネ(4年・大場琳平)もずっと一緒に体を張って守ってくれた。
一緒に闘ってくれた頼れる後輩たちと同期の面々には感謝しかない。
橋山田教授(4年・橋山航輔)は、毎日グラウンドに来て、やぐらからゲバを見守って下さった。ついでに、嫌いな前線からの守備をして頂き、ゴールも決めて下さった。
サッカー人生最後のストーンは橋山田教授と平田主務(4年・平田陸人)だった。
ベンチには、
一緒に闘うマネージャーと選手たちがいて、
隆二さん(鹿島アントラーズコーチ・鈴木隆二)や矢後さん(元ア式蹴球部コーチ)、内田さん(GKコーチ)、大森さん(コーチ)がいてくださって、
叶えたい未来を示し、自分を奮い立たせ、頑張る理由をくれた。

一緒に必死に闘い、最後勝ち得た勝利の瞬間を俺は忘れない。
突き上げる両手、雄叫び、胸の高鳴り、心臓の鼓動、ハイタッチ、勝利の写真、、、。

この為に、サッカーしてた。
ゴールを決め、チームメイトに必死に抱きつく瞬間。
関わる全ての人が歓喜するあの瞬間を。

皆のおかげで、
サッカーに本気で生きた自分を肯定できた。

ありがとう。

振り返ればほとんどの瞬間が苦しく耐え難いものだった。
でも、後悔はない。

悩み苦しみながら駆け抜けた4年間を誇らしく思えた。

Iリーグvs中央大 1-0


FC vsFC古河



「なぜ大学サッカーをするのか」
問われ続けてきた。

この瞬間のためだ。


理由はそれぞれあっていい。
でも、根底は「サッカーが大好き」で繋がっている。

サッカーが大好きだから。

この瞬間を一緒に歓喜できる。

サッカーも社会もきっと同じだ。

VISIONやMISSIONを持って、
自分が最高だと信じる、未来の為に。
何かに迫られ、苦しみ、失望し、
それでも自分に問い、人に向き合い、期待し、
あり方を問い、進んでいくものだと。


一人で成しえる事はない。
人を巻き込むのも、人を突き動かすのも、言葉であり、あり方だと。
サッカーが教えてくれた。

サッカーの中心には、いつも人がいる。
社会の中心にも、いつも人がいる。


私の物語の終焉は、残酷にもバッドエンドだった。
大学サッカーに生きて、完膚なきまでに叩きのめされた。(フルボッコ)

関東2部降格が決定した時、
悔しさよりも怒りよりも、何よりも無力感を抱いた。
サポートしても、どれだけ声をからしても、Bチームの練習から勇気づけようと意気込んでも、力になれなかった。
選手として、ピッチに立つことが出来なかった。最後の力になれなかった。
平瀬(4年・平瀬大)や監物(4年・監物拓歩)、しゅんや(4年・鈴木俊也)、西田(4年・西田翔央)の助けになれなかった。

無力だった。

圧倒的な敗北経験。

この経験を糧にしなければいけない。
関東を、早慶戦を目指し続け、
自分の可能性に懸けて敗れた経験は、きっとこの先に繋がる。
いや、繋げる。


これからも人生は続く。
この敗北経験が最高のハッピーエンドに繋がるように、
力強く、生きる。


最後に、今まで支えてくださった皆様。
本当にありがとうございます。

これからも挑戦は続きます。
ダサくても、泥臭い一歩を踏み出します。
それが人生の最高の物語を創る秘訣だと信じるからです。
今回、大学サッカー編は、圧倒的な敗北にて幕を下ろしました。
ですが、あの日、入学して間もない上京したての右も左もわからない青年の踏み出した一歩に後悔は全くありません。この選択を正解にする。自分に勝つ。可能性を示す。この想いで突き進んだ日々は、特に両親の支え無くしては到底成り立たないものでした。
これから、あなた方に負けないくらい誇れる父になり、物語のバトンを繋いでいきます。本当にありがとう。自慢の父と母です。

そしてありがとう、みんな!
ありがとう、大学サッカー!!

◇安達佳哉◇
学年:4年
学部:社会科学部
前所属チーム:札幌大谷高校


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