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【#Real Voice 2022】 「大学サッカー人生」 4年・橋山航輔

4年・FWの橋山航輔です。
結論から言うと、最終目標にしていた関東リーグ出場は成し遂げることができなかった。それでも、私は大学で部活をやってよかったと思っている。

部活では、サッカーはもちろんのことサッカー以外のこともたくさん経験した。スカウティング(相手の分析)、社会貢献活動、朝練からのド田舎試合観戦、学年ミーティング、雑用全般、70分前集合、掃除など。
部活の時間外でも、練習後の昼食、東伏見キャンパスライフ、帰りのチャリンコ、日夜飲み、オフの日の遊びなど多くの時間が部活の仲間と共にあった。
これらの全てが私の青春であり、そこから友情をはじめ、本当に多くのことを学ぶことができた。
このブログでは、これらの中でも特にサッカーについて書いていきたい。

仮入部時代

サッカー的に何もかも通用せず、肉体的にも精神的にもきつかった。具体的には自分が強みだと思っていた、身体能力やドリブルが全く通用せず、それ以外の能力は最下層レベルだと感じた。
パス練習やクロス練習などの相手がいない練習では、単純な基礎技術が最下層レベルだと感じ、ボール回しやポゼッションなどの相手がいる状態でパスを回す練習では、視野の狭さ・判断の遅さ・ポジショニングの悪さなどを痛感した。1対1や2対2などの対人練習では、強みだと思っていたドリブルが強みではないことに気づかされ、そこそこの強みだと思っていた対人守備に関してはむしろ弱みなのではないかと感じた。
こんなボロボロの状態だったので、本当にこの部活に入りたいのか、入ったあとやっていけるのかを毎日のように自問自答する日々を送っていた。
それでも、「ここで自分の力を試してみたい」と覚悟を決めることができたのは自分に対して謎にポテンシャルを感じることができたからでしかない。その謎に感じることができた「ポテンシャル」とは、約180cmというそこそこの身長と、Jユースや強豪校じゃないからこそ伸び代があるのではないかという期待である。
こうして、何もかも通用しないにも関わらず、自分のポテンシャルを信じ、覚悟を決めた私は早稲田の体育会サッカー部という高いレベルで4年間サッカーすることとなった。

1〜3年時代

結論から言うと、1〜3年の頃の私はBの公式戦すらほとんど出場できなかった。関東リーグに出場するためにはこの期間が長すぎたが、もう起きてしまったことは仕方ないし、それが自分の実力だと思う。
しかし、決して無駄な時間ではなかった。この期間で身体能力や技術を磨き、自分の適性ポジションにたどり着き、プレースタイルを確立させることができたのも事実である。

4年

今シーズンの私は3つのカテゴリー (FC・Iリーグ・Aサブ)を経験することができた。これはハマちゃん(1年・濵田 祐太郎)をはじめとする私を評価してくださった方々のおかげである。本当にありがとうございました。

長期オフ
1〜3年の結果を受け止め、スタンスを変えることにした。
「目の前のBの公式戦出場に全集中する」
そのためには、サッカーするときに1番意識することを変えるべきだと思った。
「うまくなる→自分をアピールする」
しかし、この壁にはいつもぶち当たってきた。なぜなら、自分をアピールするためにサッカーをするのはつまらないし、そうありたくないからだ。
そこで、ニュアンスを変えてみた。
「目の前のチームの勝利のためにプレーして、それが結果的に自分のアピールにつながる」
とりあえずこのスタンスが自分の中でしっくりきたので、
オフシーズンで、しかも就活に追われているにも関わらず、ほぼ毎日のように東伏見グランドに行って部活の仲間と共にコンディション調整にいそしんだ。

FC
1月の終わりからシーズンが始まった。長期オフに考えたスタンスと、1〜3年の積み上げのおかげで、前よりも評価されるようになった。
4月からFCにFWとしてスタメン出場できるようになると、7月までの8試合に出場して、3勝2分3敗。良くも悪くもないが、3回の勝って喜ぶ瞬間は最高に気持ちよく、その瞬間のためだけに頑張れた。
FCでの自分の役割はとにかくゴールを生み出すことだと感じていた。シンプルだが、やり方が無限にあるので難しかった。そこで行きついたのが、少ないチャンスを確実にモノにすることである。ボールを握られる展開が多かったので、その中でいかにパワーを貯めておくか、チャンスかどうかを見分け、チャンスに繋がらなさそうなときにいかに我慢できるかが大切だった。

2位の日大に1−0劇的勝利


Iリーグ
7月からIリーガーになった。4年生をIリーグに集めるというチーム方針のおかげだったので、運がよかった。同じタイミングで隆二さん(鈴木隆二コーチ・現在鹿島コーチ)がIリーグの監督になり、隆二さん、丹羽(4年・丹羽匠)を中心にIリーグに一体感が生まれ始めた。
8月11日の流経戦からIリーグ後期の闘いが始まった。その頃、コロナが続出したことにより、流経戦からスタメンで出場することができた。その試合に勝ったことで波に乗ったチームは、隆二さんのラスト試合となった作新戦まで3勝1敗と絶好調だった。隆二さんの作新戦ハーフタイムの話は非常に印象的だった。言語化するのは難しいが、「攻撃が上手くいかないから、リスク管理をするという発想は間違っている」「攻撃が上手くいかないときこそ、リスクをかえりみず、よりアグレッシブにゴールに襲い掛かれ」「そしたら初めて相手が怖さを感じて、そこに隙が生まれる」といった内容の話だった。FWとして、男としてなにか大切なことを気付かされたような感覚だった。隆二さんがいなくなってしまった後もチームの勢いは止まらず、終わってみれば5勝2敗と、チームとして素晴らしい結果を残すことができた。
Iリーグでは、FCのときに比べてチームにおける自分の役割が明確になっていた気がする。前線でボールを収めてチームのボール支配率を高める、ある程度しっかりプレスをかけて相手のボール支配率を弱める、そしてあわよくば点を取るといった感じだった。そして、交代してベンチに下がった後は、生方(4年・生方聖己)、なお(4年・吉岡直輝)、こばしゅん(4年・小林俊太)らと共にひたすらチームを盛り上げた。

上位の中央大に1-0劇的勝利
隆二さんラスト試合
日大に1-0のヒヤヒヤ試合


Aサブ
9月の終わり頃、ついに関東リーガーとなり、Aチームで練習することになった。
冒頭でも述べたように、関東リーグに出場することはできなかったが、多くの刺激をもらうことができた。Aチームでは主に3つのことを感じた。
1つ目は、上手い人たちとサッカーをすると楽しいということである。例えば、自分の欲しいタイミングと場所に質の高いパスが送り込まれてくる感覚は面白かった。また、この上手いやつらになめられたくない、認められたいというモチベーションも生まれた。
2つ目は、1人1人の上に上がってやろうという気持ちが半端ないということである。悪くいえば、チームの勝利より自分を優先している瞬間もあり、イライラしたりもするが、こういう勝気な人間が上に行くのだなと感じたし、人によっては応援したいなと思った。
3つ目は、自分成長したなということである。自分を褒めるのはキモいので、書くか迷ったが書いておく。仮入部時代にはBチームの練習について行くことすらしんどかった自分が、Aチームの練習で自信を持ってプレーできていることにうれしさを感じた。ただ同時に、関東リーグに出場するという結果を残せなかったことに実力不足も感じた。

最後に

オレはサッカーが大好きだ。
サッカーを始めるきっかけを与えてくれて今までずっとサポートしてくれた両親、
様々なサッカー観を与えてくださった指導者の方々、
しんどいときこそ共にあった仲間、本当にありがとうございました。
来年からは社会人として新たな生活が始まるが、いずれまた、プレーヤーとして、コーチとして、監督として、サッカーの現場に戻ってくることは間違いない。

◇橋山航輔◇
学年:4年
学部:商学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部


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