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【#Real Voice 2022】 「宝物を胸に」 4年・竹浪良威

「このチームになにか残せたか?」


最近こんな夢をみた。

過去にお世話になった人たちが私の前に立って、執拗に聞いてくる。

考えて、考えまくって答えを探すけど、何も出てこない。答えを出したいのに、どこを探しても出てこない。


期待に満ち溢れて入部したのに。
4年間の猶予があったはずなのに。
胸を張って引退するはずだったのに。

出てこない。


誰もいない静かな朝に目が覚めて、

「いや、おれ何にも残せてないな。」

と1人虚しさにふける。


虚しいけど、それ以外ない。この答えしか出てこない。早稲田に、ア式蹴球部に、なんも俺は残せてない。


「ここでプロになる。」

4年前の俺はそう意気込んで、ア式蹴球部の扉を開いた。

やっとの思いでランテストを通過し、練習初日。寒くて吐く息が白くなるような日だったと思う。それに反して、私の心はギラギラしていた。初日からぶちかましてやんぞ、と。

寒くて、少し臭い部室でスパイクの靴紐を固く結び、綺麗な人工芝に足を踏み入れた時から今日まで、長くて短い私の4年間が始まった。


しかし大学生活は、最初から苦しむことになる。

高校と大学で、サッカー自体の概念が違った。
俺は久我山で、裏に蹴るサッカーなんてしたことがないし、クロスなんてあげたこともない。

早稲田では、ただでさえボールが回ってこないサイドバックがボールを持つと、
「とりあえず足の速いやつに向かって蹴れ!」
「〇〇に出せ!」
この指示オンリー。

いや、俺だって突破できるし。俺のプレー知らないくせに、なんで信じてくれないのかな。と何度も思った。

しかも高校の頃の「美しく勝つ」が、
急に「謙虚に、愚直に、driveして勝つ」になってしまったもんだから、たまったもんじゃない。


ここから地獄が始まった。

大好きな攻撃を好き放題やらせてもらえないのに、守備には特段厳しくされた。

球際行けよ
もっと強く行けよ!

先輩たちからの怒号が飛んでくる。
守備に自信がなかった訳ではなかったけど、ア式では、どんな時でも球際の強さが求められた。

もちろん、早稲田に限らず、他の大学もそうなのかもしれない。しかし、私の中では大きすぎる考え方の違いに、困惑した。かなり。

ある大事な定期戦で、股抜きされ、失点してしまった時。全責任が私に降り注いだ。

球際弱いんだよ。
勝てたのに、はぁ。

明らかに自分が戦犯になった。

そして遠征から帰った次の日に、Bチームに落ちた。


もっとできるのに。俺の強みはそこではないのに。

そこからはというものの、
だいたい週末は、朝早起きして、遠くの地まで多めの交通費を払って電車に揺られて関東リーグの会場に向かう。そして、会場ではミスに怯えて仕事して、昼に出るお弁当だけを楽しみにみんなと乗り越える。
帰りも、こんなことをしに此処に来たんだっけと、眠い目を擦りながら、また電車に揺られて帰路に着く。

こんな歯痒い思いをするくらいなら、大学2年では絶対にメンバーに入りたい。

非常にダサいけど、そう思うようになった。

プロになりたいから、サッカーが好きだから、メンバーに入りたいんじゃなくて、キツい仕事をしたくないから、の気持ちの方が少し勝った。

でも、それでも。
その思いは強かった。

必ず関東リーグのメンバーに入ると心に誓って、大学1年の冬を越した。


大学2年。

コロナが蔓延し、スタートは遅れたものの、

前期の関東登録で、13番の背番号をもらった。
個人的に思入れのある番号。

最初はサイドバックとして、トップチームに絡めていたものの、

とある練習試合、1試合で、プレーがすこぶる悪かった+イライラしてしまった挙句、レッドカード級のラフプレーをしてしまった。

この1個の歯車の狂いで、
またしても、Bチーム生活。

社会人リーグで試合に出場する機会をもらったものの、悔しさでいっぱいだった。

悔しさと自分の不甲斐なさのあまり、オンライン観戦の関東リーグはテレビを直視できなかった。
家のベッドで寝て起きたら、関東リーグで勝利していたこともある。

試合後に全体グルで送られてくる、みんなのガッツポーズの写真。

俺いないから関係ないわ。
すぐに画面を閉じて、YouTubeをみる。

応援したいと思える先輩や同期は何人もいたし、心の中で本気で応援はしてたし、勝って嬉しくないわけはなかった。

けど、自分の情けなさ、不甲斐なさ。
チームが勝つたびに、突きつけられている気がした。辛かった。


今思うと、この4年間は、8割が上手くいかなかったな。

人生なんて、上手くいくこともあれば上手くいかないこともある。
でも、上手くいかないことが多すぎた。

上手くいかないことが多くなると、自分の落ち度に目がいくようになる。
自分の落ち度に目がいくようになると、周りなんてどうでも良くなって、自分の世界に籠ってしまう。

「あれも、これも、どれも、何やっても上手くいかねえや」

しかもそういう時に限って、周りなんて気にしなくなって、自分が良ければ、それでよくなる。

でも、俺はそういう時こそ周りを見渡せるような人になりたい。

今日プレーが悪かったな、クソだったな、と思う帰り道に、ふと空を見上げると、綺麗な満月が夜空を照らしていたり。

電車のドアが開いた瞬間、椅子取りゲームを開催するサラリーマンに呆れている通学中に、
目の前に座っていた高校生が腰の曲がっているお婆さんに席を譲って、温かい気持ちになったり。

案外、小さな幸せはそこら中にあって、それに気づくだけで、少し頑張ろうと思える。


上手くいかないときこそ、視野を広く。
ポジティブに、楽観的に。

俺の悩みなんて、世界からしたらしょうもないやん。
よし、次頑張ろう。

これでいい。
失敗なんてしてもいい。
そこをどう捉えるかだ。

この4年間で、そう思えるようになった。


話がズレてしまいましたンゴ。


そんなこんなで、大学1年に続き、2年も何も残せず、シーズンが終わった。


3年目。

またしても試合には出ることができなかった。
本当に不甲斐ない。

俺に期待してくれた人たちにも、入学当初の俺にも申し訳なく思う。

関東リーグに出場して、活躍している姿をお世話になった方々に見せたい。
実際には試合を見に来てもらえなくても、活躍したという知らせを届けたい。
そう思ってたけど、中々それを覆すことは難しかった。

そして、この頃から考えるようになる。

「なんで俺ってここにいるんだろう」
「俺がいてもいなくても変わらなくないか」

プロになることはおろか、今いるこのチームに何も貢献できていない。

ただいるだけ。
練習して、自主練して、週末試合して。
1週間が、ただただ過ぎていった。

しかも、1番最悪だったのは、練習に全力で取り組めなくなっていた自分がいたこと。

昔から自分の強みは、
"文句は後回しで、とりあえず目の前のことに全力で頑張れること"
だった。

だからこそ、絶対的な能力がある訳でもない自分がチームのキャプテンをやらせてもらったり、学校のクラスで学級委員を任されてきたはずだ。

なのに、どうだ。
この頃は、とりあえず文句が先に出てきた。

ただただ俺が弱かった。

気づけば大学生活も3年目が過ぎて、桜が舞う季節となり、最後の年を迎えようとしていた。

結局、3年目も何も残せなかった。


4年目。

ふと思う。

俺は大学にきて、サッカーが上手くなってない。
同期のみんなを見ると、みんながみんな、3年前よりも格段に成長してサッカーが上手くなっている。

パスミスばっかりで試合に出れてなかったアイツも。
守備はもろいし、ビルドアップも下手くそだったアイツも。
ドリブルしたら全部取られてたアイツも。

今は見違えるほどに上手くなってる。

だが俺は、何にも上手くなってない。

試合を見にきてくれた高校の先輩には、
「なんか上手くなってね?」と言われることはあったが、

それはただ大学のスピード感や強度に慣れただけであって、技術面は伸びてない。


それでも4年目は、
今、ここにいる自分で、ありのままの自分で、チームのためにプレーをすると覚悟を決めた。


ラストシーズン。
同期のみんなとは、日本一という目標を掲げ、個人としては関東出場、早慶戦出場を目指した。

結果からいうと、俺はラストシーズンもほとんどBチームで過ごした。

こんな選手だったっけ。
俺って、こんなもんだっけ。

中学の仲間、高校の同期、高校の時はチンチンにしてやった相手、
周りの活躍が、より一層輝いて見えた。

所属するアイリーグ(インディペンデンスリーグ)でもパッとしない結果。
自分も目立つような活躍はない。

大好きなサッカーがつまらなくなってきた。

このまま大学サッカー生活は終わるのかと思ったが、転機が訪れる。

所属していたアイリーグに、
今までの苦楽を共にし、大好きな同期である4年のみんなが追加された。
そしてコーチに隆二さん(現鹿島アントラーズコーチ・鈴木隆二)が加わった。

これが最大の転機だった。

みんなの部員ブログにもあったけど、隆二さんが来てくれてから、サッカーが何倍も楽しくなった。

自分のプレーに対して、もっとこうした方がいいと言ってもらえたのは大学に来て初めてだったし、
「らいのプレーは普通のセンターバックじゃできないから、自信持ってやっていい。もしミスをしても、チームのみんなに文句言われたとしても、それは俺の責任だから大丈夫。自由にやってこい。」
(ちな、サイドバックは良い選手で飽和していたため、3年からほぼセンターバックになっています。たまにシャドーとかサイドハーフは、かじりました。)

この言葉が、嬉しかった。頑張ろうと思えた。

点が入ったら、ベンチに行ってみんなと喜べる。センターバックはベンチまで遠かったけど、みんなと喜ぶためなら構わずダッシュした。

スタンド(やぐら)からの歓声、叫ぶ選手たち、ベンチで揉みくちゃになる感じ、

あぁこれだ。この感じだ。俺はこのためにサッカーをしてるのかもしれない。

週末、試合に勝って、みんなで喜べる。そんな光景が待ってると思うと、毎日の練習が楽しかった。


アイリーグのみんなとサッカーできてよかった。本当によかった。
4年目にして、大学サッカーの思い出ができた。
本当にありがとう。

アイリーグの後輩たち。君たちは、素晴らしい能力を持っている。羨ましい。来年は、ここじゃなくて関東に出て、チームを引っ張るんだぞ!みんなならできる。

それからはというものの、関東リーグの明治戦から色々とあり、今日引退するまで、本当にキツい日々だった。

「4年として」

この一言がどれだけ重いか。

苦しいチームを目の前に、何もできない。スタンドから声を出すこと、練習のサポートをすることしかできない。

ほんとは試合に出て、盛り上げたいのに。
それができないからキツいし、辛かった。

そして降格。

最後の最後まで何にもできなかった。
ただただ、日本一ってほざいてた集団になってしまった。
後輩たち、本当に申し訳ない。



将来のために、3年の中盤らへんから、就活を始めた。

多くの社会人の方や先輩とお話する機会をもらい、自分の進路について深く考えた。

でも、どうもしっくりこなかった。
俺にとってサッカーに変わるような、夢中になれる仕事なんてあるのか。

なんか、こう、日々心が燃えて、情熱をもって、仲間と感動を共有できるような仕事。

本当にあんのかな?

本音を話すと面接で落ち、誰でも言えるようなテンプレを言うと面接で受かる。

他のみんなは違うかもしれない。
でも少なくとも俺はそうだった。

「あなたの強みを教えてください」

「大学時代に頑張ったことは何ですか」

「あなたの友達にはどんな人が多いですか」

「自分の大学生活を一言で表現してください」

こんなこと、一言で伝えきれるわけがない。説明できるわけがない。

強みとか頑張ったことなんて、考えれば考えるほど出てくるし。
友達なんて、一括りにできないほど色んなやつがいるし。喋れば喋るほど、話したくなるし。


でも結局ここに行きついた。

大企業に就職して、安定を求めるべきか?

それとも、
不安定ではあるが、挑戦する人生を求めるか?


この大学4年目、22歳の竹浪良威の選択が、これからの人生における1番重要なターニングポイントになると思った。
というか、ターニングポイントにしなければいけないと思った。

たくさん迷いながらも、就活を続け、
本当に考えに考え抜いて、
「ここなら」と思える会社が、1つだけあった。

この選択で本当に良いのか、気持ちが揺らぐこともあったが、その会社に挑戦することを決めた。

しかし、

その会社のエントリーをする時に、Webテストに漏れがあったらしく、本エントリーができていませんでした。

やっちまったぜ。まったく。
初手で、その会社への挑戦が果てた。


でも待て。良く考えてみろ。

これは神様が「お前は会社に入るべきじゃない」「挑戦する人生を歩め」と言っているのだ。

そうに違いない。そう思ったらもうその思考にしかならなかった。

1度きりの人生だ。挑戦し続けよう。
苦労はするかもしれないけど、自分のありたい姿に向かって、挑戦しよう。

そして最終的に、親や家族の自慢の男になればいい。


だから、留学することを決めた。

どうせ挑戦するなら、日本に留まらず、世界に挑戦したい。

自分の可能性を信じたい。


これが挑戦の第1歩になるように。
この選択をして良かったと思えるように。今からワクワクが止まらない。


大学では何も残すことができなかったし、竹浪良威の名をレジェンドガチャに刻むこともできなかったけど、

きっといつか世界を舞台に、羽ばたいてやります。


親には、今までもめちゃくちゃ沢山の迷惑をかけてきたのに、これからも迷惑をかけてしまうと思うと、本当に申し訳なく思う。
両親は、小学校でサッカーを始めたときから、大学まで、本当に多くの試合を見にきてくれて、家に帰ると、「やったね!」とか「今日は負けちゃったね」とか、1番に声をかけてくれる。本当に優しい。
この間、大学サッカー最後の練習の日も、ラインを入れてくれた。いつも支えてくれてありがとう。
大学では、活躍する姿を見せられなかったけど、これからその分覚悟を持って頑張ります。
あともう少し、面倒を見ていただけると幸いでございます。
これからもよろしくね。
(恥ずかしいんで、ブログ見たとか言わなくて大丈夫だから笑)



ということで、思ったことを書いていたら、めちゃくちゃ長くなりました。
読んでくれた方、きっとあなたは、心の優しいお方なのでしょう。ありがとうございます。


最後に、大学でできた宝物について語らせてください。

(そして、ここからこの曲をかけて聞いてください。)

僕が一番欲しかったもの/槇原敬之

(かけましたか?ではゆきます)



私の宝物は、仲間たちです。

何もかも上手くいかなくてしんどい時も、朝が早くて眠い時も、試合に負け続けて辛い時も、ベッドから出られないくらい疲れている時でも、今日みたいな動員の時も、

この仲間たちに助けられた。

練習後に時間も忘れてみんなでグラウンドで話し込んだなぁ。
サッカーのこと、ア式のこと、就活のこと、江田(4年・江田祐基)や吉岡(4年・吉岡直輝)恋愛のこと。

何回、いや何十回、いやいや何百回も、旅に出た。
一緒にドライブをして、馬鹿騒ぎして遊んで、自然に癒されて、サウナでぶっ飛んで。

思い出が多すぎる。本当に。

写真フォルダ見返すと、お前らしか映ってないんだよな。

東伏見にいけばみんながいる。それだけで俺の頑張れる理由になってました。

大学サッカーを引退するってよりも、みんなといられなくなる方が辛い。辛いわぁ。

でも出会いがあれば、別れもあるから。
別れがあるからこそ、出会いは素晴らしく、思い出は輝く。

てか、これ別れじゃないしな、定期的に会いそうだし。
なんなら、年1で学年飲みとかすればええやん。平瀬(4年・平瀬大)、場所取り頼んだ。


このブログが出てるときは、ちょうど馬鹿騒ぎしている時かな。

今も、これからも、思いっきり心から楽しもう。

ありがとう、そしてさようなら!


これは、僕が最高のヒーローになるまでの物語。

そして、みんなが最高のヒーローになるまでの物語だ。

◇竹浪良威◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:國學院大學久我山高校


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