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駆け引きで得るもの失うもの

【エッセイ】駆け引きとは。駆け引きをする人間の心理。心理テクニックの落とし穴について。


恋の駆け引き
仕事での駆け引き
すべての人間関係での駆け引き


はじめのうちは楽しいかもしれない。
効果バツグンかもしれない。
上手くいくかもしれない。


駆け引き上手なほうが大人な感じがしたり、賢い感じがしたり、恋愛上手的な勘違いや自惚れに浸れたりとか、相手からもっと愛されるんじゃないかとか、そんな感じがするかもしれない。


駆け引きで手に入れたものには何かしらの“ネガティブなオマケ”がついてくる。


駆け引きすると負債を手に入れる


不安とか恐れとか焦りとか。常に駆け引きが必要で、きっと恋愛・仕事・人間関係は勝ち負けではないハズなのに相手の上に立とうとしてリラックスできない。本来の自然体の自分ではいられなくなり、気持ちが不安定になるゆえ、つい思ってもいないことを言ってしまったり、やってしまったりする。わざと、相手が怒るようなことをしてみたり、におわせるような演出をかましたりする。


それで相手が怒ってくれれば、嫉妬してくれれば「正解」自分は愛されている。相手の気持ちを不安にさせる事が出来たら駆け引きは「大成功」怒った相手が、それでも自分を許してくれたら「自分の勝ち」この愛は、この関係は「本物」この相手を試すやり方、自分への愛情の確認法は、ちょっと歪んでいる。


自分の嫉妬心、復讐心、劣等感、恐れ、怒り、悲しみなど様々な感情が重なって、ここで更にこじらせると「拗ね」が生じて相手を攻撃してしまう。ここまでくると、もうそれは駆け引きというより単なる「あてつけ」というやつです。


そして、自分は散々やっておきながら、もしちょっとでも相手から同じようなことをされたなら、たぶん、怒ると思います・・・

相手を攻撃して悦に浸り、自分だけは気分よくありたい。相手の苦しむ姿を想像して優越感に浸る。自分の苦しみから目を背けるために……


この、相手を攻撃したい気持ちは、心が傷付いたことのある人間なら誰だって抱いたことのある感情だと思います。そして自覚がある人はもちろん、自覚がない人でも、無意識にいろいろなかたちで他人を攻撃していることがあります。


歪んだ心とは醜い心や、邪悪な心のことではありません。歪んだ心とは「傷付いたままの心」のことです。この歪み、人間多かれ少なかれ誰しも持っています。


駆け引きすると一番大切なものを失う


一番大切なもの「自分の本心」「自分への信頼」を失う。人間、自分の本心が分からないほどツラいものはない。いま自分は本当は悲しいのか、怒ってるのか。自分のことが、よく分からなくなってしまう。自分を信じられなくなった結果、相手のことも信じられなくなる。


駆け引きとは「操作」のことです。ここに「心理・恋愛テクニックの落とし穴」があります。


駆け引きする(素直ではない)ということは相手に対して自分を

悪く見せようとする
良く見せようとする
強く見せようとする
弱く見せようとする
賢く見せようとする
おバカに見せようとする
大きく見せようとする
小さく見せようとする
カッコ良く見せようとする
カッコ悪く見せようとする
優しい人に見せようとする
冷たい人に見せようとする


相手を操作しているつもりが、実は自分で自分のことを操作しているのです。


自分を○○に見せようと自分を試して、操作する。本来の自分とかけ離れていくので、どんどん自分が苦しくなり、結局は自滅します。


他にも自分の心のクセを意識して観察していると、その文章、その台詞、その表情、その仕草……
「あっ、いま○○に見せようとしてた」こころがチクっとして教えてくれます。


自分が駆け引きをしていると、喜びたいところで素直に喜べなかったり、本来ニュートラルな出来事をネガティブな視点で捉えてしまったり、自分は騙されているのではないか?相手の好意を素直に受け取れずに疑ってかかる。


「ほう。おぬしは、そう、くるのだな。私は、その手には騙されないぞ」


相手の言動の裏を読み
(もともと裏は存在していない)
バカにされてなるものか!
騙されてなるものか!
その裏を読んで、してやったり!
フハハハハ!・・・

自作自演の幻術に
ひとり、ハマっているのです
・・・・・・・・・( ;゜─゜)ゴクリ


○○に見せようとする


この原因は劣等感や罪悪感からきています「○○に見せなければ自分は劣っていて、ダメな存在なのだ」

根本的な原因の劣等感や罪悪感を見つけて解消しなければ、また同じクセや反応の繰り返しです。臭いものにフタをしても、ファブリーズしても、それはごまかしや、その場しのぎなだけであって匂いのモトを断たないと、ずっとにおうみたいな感じです。


「ごめん……君の気持ちには、答えられないんだ…。君を傷つけちまう罪な俺。不器用な生き方しかできない俺。ふっ、やれやれ……そんな自分に呆れるぜ」
(そんな俺、かっこいい)


「素直な自分じゃなくても、いいよね……ほら、私って、ツンデレ女子でしょ?この、ツンとデレ。男ウケ、いいのよね。ホント私ったら、めんどくさい性格」
(そんな私、マジかわいい)


これを、ごまかし(正当化)という。
虚勢をはって人を傷つけちまう罪な俺。めんどくさい性格のツンデレな私。これは本来の自分の姿ではありません。自惚れに浸ることで自分を騙し、自分に嘘をつき、劣等感をごまかしているのです。


素直じゃないことが「悪い」から変えるのではありません。それだと結局自分が「苦しくなるから」変えるのです(変えたいなら)ごまかし(正当化)と受け入れ(自己肯定)は全くの別物です。


ちなみに自分と向き合うのが苦行と感じる原因は、素直ではない自分は「ダメ」だとか「悪い」とか自分を責めている。変わることに「叱られてる感」があるからです。自分と向き合う(自分を変える)=自分の存在が悪だから ではありません。


言うは易く……
「素直になる」ということは、過去に負った拒絶の傷がうずいたり、劣等感が刺激されて、人によっては難しいことかもしれません。それだけ人間、生きてるあいだは誰だって傷付くからです。それでも、脳の声より、こころの声をコンパスに、一生かけて試行錯誤するものだと私は思っています。

自分への操作を意識的に辞めていけば、巷でよくいわれているケドなんだかよく分からなかった「ありのままの自分」が少しずつ出てくるはずです。


ありのままの自分とは
素直な自分のことです。
○○に見せようとしない
本来の姿の自分のことです。


素直になるってむずかしい。難しいことかもしれないけれど、結局、素直であることが自分にとっての最善最高の道に繋がるんだと思います。結果オーライになるはずです。



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