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その感情の行き先は

【エッセイ】感情の本質について。感情を抑圧すると人間何が起きるのか。自分の感情と、どう向き合ったらよいのか。


ポジティブな感情も、ネガティブな感情も頭の中で足し算引き算して、無かったことにしてしまうと、それはどんどん自分のなかに蓄積されていきます。

例えば

怒ってるのに怒っていないフリ

悲しいのに悲しんでいないフリ

楽しくないのに楽しんでるフリ

傷付いてるのに傷付いていないフリ

相手が、(ホントは)いい人だから
お世話になってるから
育ててくれたから
家族だから 恋人だから
年上だから 年下だから
上司だから 友達だから

許しちゃう
我慢しちゃう
相手の無礼をチャラにしちゃう

これをやっていると
もうひとりの自分が物凄く傷付きます。

本心の自分が、気持ちを
ごまかしてる自分に物凄く怒ります。

「私は本当は怒りたいのに!」
「本音は悲しいのに」

子供の頃からも含めて、今まで溜め込んできたり、ごまかしてきた感情は、あなたに感じてほしくて、あなたの中から出たがっています。

今抱えている不満や不安の感情は結局、子供のときに感じたものがほとんどで、未だに消化されていないものです。

感情に「今更」なんて、ありません。
世界中の歴史や事件が、それを物語っています。

いま直面している問題の「その人」は
関係あるけれど関係なかったりします。未消化の感情の「ボス」は、その人ではない場合がほとんどです。

本心に気付いて、認めて、感じてあげないと、その感情は、なんとかして、あなたに分かってほしくて、トラブルや望まない現実を引き寄せたりします。

今までねじ伏せたり
ごまかしたりして
感じないようにしてきた

悔しい 寂しい 悲しい
腹立たしい 恥ずかしい
傷付いた なんだソレ!?

を、もう一度ちゃんと
あなたに感じてもらう為に。

小さなモヤモヤのうちに自分の本心を、いかに素早く、正確に、正直に感じる事が出来るのかがポイントだと思います。小さなモヤモヤをごまかしていると、今度はモヤモヤでは済まされないような大きな出来事がやってきます。

感情が爆発するほどの出来事となって

そのほうが人間、本当の自分の感情に気が付くからです。もう、これ以上ごまかせません。本心をごまかしている限り、相手や状況が変わっても、同じようなことで怒りを感じたり、傷付いたりするような現実を繰り返すことになります。

クッソー! 
許せない!
祟ってやるッ!
ヽ(ill゚д゚)ノ ヒィ!!

それでも本心をごまかしていると…
感情はあなたの体を使って、
表現するしかありません。

心や体の病気として、
なんらかの不調として…
(病気や不調の原因は、他にもあると思いますが)

これは素直に生きてこなかった罰ではなくて人間、そういう仕組みになっているのだと思います。

重い病気になればなるほど、なりふり構ってなんかいられません。自分の感情を押し殺してる場合じゃありません。まわりに気を使ってなんかいられません。我慢なんてしてる場合じゃありません。とにかく切羽詰まった状況にして、感情(本心)を剥き出しにして、吐き出させようとするのです。


ツラい! 助けて!
もっと私に気を使え~!

感情に善悪も、正しい間違ってるもありません。感情は “快・不快”  のどちらかがあるだけです。

「この僕、私が、こんなことで、傷付くハズがない!」
「こんなことで傷付いちゃダメだ!」

こんなことで傷付くのは…
大人げない 恥ずかしい 
情けない 器が小さい 
間違ってる 負けた気がする

正当な理由がなければ、傷付いちゃいけないなんて、ありません。自分がどう感じたのかが全てです。ほんのささいなことでも、自分のせいじゃなくても、自業自得だとしても、傷付くのが人間です。


それに
「こんなことで傷付いちゃダメだ!」


そう思ってる時点で・・・


👊👊👊👊👊
(あ~たたたたた…!!)


お前は もう、
傷付いている Σ(゚Д゚)


ポジティブな感情も同じです。

「こんなコトで喜ぶの、おかしいかな」「これが嬉しいなんて子供っぽいかな」「いま喜ぶの(心のなかで)不謹慎かな」

もしかしたら子供の頃に、嬉しかったことや楽しかったことを親や、まわりの大人に話しても、一緒に喜んでもらえなかったのかもしれません。否定されてしまったのかもしれないし、楽しんだら、うるさいとか叱られたことがあったのかもしれません。

ちなみに、
「いま、喜ぶの(心のなかで)不謹慎かな」これは、ざまあみろ的なやつも対象内です。怒りの感情があるから「スカッ」とするのです。

ざまあみろと思っても大丈夫です。いくら「こんなこと思っちゃダメだ!」と頭で否定しても、心ではそう思っているものだし、思うもんは思ってます。素直に感じた後は、その、ざまあみろの奥にある自分の怒りや悲しみなどに目を向けると、自分の意識や現実を変える近道になるはずです。

誰かに気持ちを代弁してもらったときの「そうだ!そうだ~!よくぞ言ってくれた!」というアノ感覚や、物語の登場人物の犯行が明るみになり、犯人が追い詰められてゆく場面で「よしっ!」と思うアノ感じ。これも、ポジティブな感情です。「ルンルン♪ふわふわ♡にこにこ」だけが、イイ気分ではないのです。


例え話として、認知症の人の辻褄が合わない話しを否定せずに聞いて受け入れると、その認知症の人は気持ちが落ち着いて安心すると聞いたことがあります。

この感覚に近いかもしれません。私たち人間は、自分の中に沸き上がってきた素直な感情に対して、そう思うことは

間違っている
バカげている
おかしいことだ
いけないことだ
醜いことだ
悪いことだ
恥ずかしいことだ

感情に「正しさ」を求めてしまう

「善悪・正しい間違ってる」の思考を使って、自分の感情(心)をアタマ(脳)でジャッジしているのです。感情を否定されたもうひとりの自分は傷付いています。

感情は “快・不快”  
どちらかがあるだけです。
そして…

快=善 不快=悪 ではありません。

感情を感じるのに、相手の立場も年齢も間柄も関係ありません。だからといって相手に言いたい放題、やりたい放題してよい、というのはまた話は別です。

どんな感情も表現 (心の中で感じること)をしていいんだ。「素直に感じてもいいんだ」ということです。



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