他人の時間をもらっているという感覚

最近、他人の時間を奪うこと、を気にしてしまう自分がいる。
最近というか、大人になってから、かな。社会人になって数年、社会的な存在として多少成熟したから、か。人と話すときには、いま私はこの人から時間をもらっている、という感覚を気にしている。

仕事をしていると、上司に相談するときは「簡潔に、わかりやすく」を意識すると思う。そんなことを社会人なりたてのマナー講習で教わった覚えがある。上司に相談する時間をもらっているのだから、なるべく手短に、でもわかりやすく伝えること。
そんな一方で、上司は部下をマネジメントすることも仕事なんだから、部下に時間を割いてくれるのは管理職として当然のことでしょ、と思う自分もいるんだけど。ここではそんな自分は置いておくとして。

学生の頃には気にしていなかった感覚。
他人から時間をもらっている、という感覚。他人の時間を奪う、という感覚。
学生の頃は自由に使える時間だけは余るほどつくれたし、時間がなくて困る!という感覚がさほどなかったから、時間の大切さを身をもって実感していなかったということもあるのだろう。

社会人になって、週5日。毎日9時間。会社にとどまっている。通勤の時間を加えたら、もうちょっと。1日の半分まではいかないかもしれないけど、残業次第では余裕で1日の時間の半分を"仕事をすること"に費やしている。
週休は2日ある。けれど仕事をしていると自分ではどうにもマネジメントできない時間だったり、終わり時間の読めない会議の予定だったり、自分の時間の大切さというものを感じているから、自分にも他人にも、「時間を費やすこと」、に敏感になった、というのもあるかもしれない。


職場の同期に、時間泥棒がいる。
仕事はきっちりしていて素早いし、仕事で関わるにはすごくできる子なのだけれど、彼女は恋愛の話になると、それを聞いた他人の反応がどうであれ、彼女は話が止まらなくなってしまう。
それも、良い話じゃなくて。こう言ってしまうのは失礼で冷酷かもしれないけど、先の展開を期待できない、行き詰まって終わるしかない片想いの話だ。

同期って不思議なもので。職場の関わりの人だけれど、友達に近い感覚もあって、同期のサクラとでもいうのか、強い仲間意識を感じる。
私だって最初は、純粋に、同期の恋愛相談を聞いていたんだ。悩んでいるなら他人に打ち明けることで気持ちが楽になったり、話すことで考え方の整理ができたりするものだし。特に女性はそういう傾向があるって言われたりするし。話したい欲がある、私もお話は好きだ。

見込みのない片想い、気持ちに区切りがつかない同期の話を、私も自分のことのように思えて聞いていた。そのとき私も片想いをしていたし、想うベクトルが一方通行で、相手から自分には向かない苦しさを、決して同じではないけれど、似たように感じることはできると思うから。

区切りをつけるきっかけがあれば終わりにしたい。

同期のその言葉を鵜呑みにした私は、きっかけになるかと思って、諦める機会を設けた。同期の片想いがうまくいって、両思いになることがいちばん望むことではあるけれど、客観的に話を聞いて、それはもう、相手の気持ちが全く向いていない、なんなら拒絶すら感じるから、終わるしかないよ、と思ったから。
諦める機会を設けたはいいけど、結局、大波乱の大失敗で、嫌な思いをする後輩を増やしただけで終わったんだけど。

協力してもらった後輩に、「業務外で時間を割いてもらって、こちらの事情に付き合ってもらった」という感覚が私にはあった。せっかく来てくれたんだから、こちらの都合とはいえ、後輩にもプラスの感情になってもらえる何かを与えたい。そんな時間にしたい。そう思っていた。
けど同期は違ったようだった。場を設けたのが私だったから、私が独り善がりでそう思ってただけで、私がつくった場に参加しただけの同期にとっては、そんな感覚は芽生えなくて当然なのかもしれないけど。

私たちは先輩で、来てくれた後輩には配慮しないと、後輩は後輩ってだけで私たちを立ててくれるのだから、先輩としてそこには気づいて配慮してあげたい。そんな思いが私にはあった。

後輩のリアクションなんか全然見えていないようで、ひとり自分の気持ちをぶちまけるだけぶちまける同期。どうにもならない片想いの相手の気持ちを推し量って好き勝手解釈して、まだ希望を見いだそうとする姿は、あまりにも自分勝手すぎた。そんな話を、後輩には短い相槌しか許さず、何時間も喋り倒す同期の姿に、怒りしかなかった。自分勝手にも程があるでしょう。

この人には、人の時間を奪っているという感覚はないのだろうか。
いまこの場の時間は、あなたのためだけにある時間じゃない。それぞれ各々の時間の流れのなかで、タイミングを合わせて、集まって、こうして同じ時間を過ごしている、そんな感覚はないのだろうか。

彼女が強烈に一方的に話す場面は、これだけではなかった。後からあっちこっちで彼女が同じような話をしているのを人づてに聞いた。
私がつくった場が噴火の始まりでもなかったし、あっちこっちで溶岩を噴出する姿に、もうとっくに呆れて相手にしていないような人もいたし、関わりを断った人もいるようだった。

これだけ他人の時間を奪っておいて、彼女は何がしたいのだろう。いくら他人に話したところで、彼女の一方通行の片想いの流れが変わることはない。

かくいう私も。
ことあるごとに親友に彼氏のここが不安だと騒ぎ散らし、当たり散らしてしまっているのだけれど。そこは反省だ。自己の感情コントロールが足りていない、反省。

不安な気持ちを親友にぶちまけてしまう、
私のその行動の源泉は何なんだ、と自分を冷静に見つめたとき、そこにあるのは、
信頼している人に打ち明けることによる閉塞した気持ちの解放感だったり、
誰かに肯定してもらいたい気持ちだったり、
自分じゃ舵取りのできないわからない状況に意見をもらって考えを整理したかったり、
どうにかして、安心したい、という気持ちなのかもしれない。

他人に感情をぶつけたところで何も解決しないのだけれど。感情的になってしまう不安定な人間には、内に抱えきれない思いを解放することが、自分の精神を守る術なのだろうか。

そうだとしても、この方法はよくないな、と私は思う。
他人の時間をもらっている、という感覚は大事にすべきだろう。誰にとっても時間は無限じゃないのだから。
自分が大切に思う相手ほど、どうかこの時間を有意義に過ごしてほしい、とは思わないのだろうか?

付き合ってくれてありがとう。
遊んでくれてありがとう。
相談に乗ってくれてありがとう。

そこには全部、「あなたの大切な時間をくれてありがとう」という意味が孕まれている。無意識のうちに時間をくれたことへの感謝を込めて、言葉を発していると思う。

自分の時間を大切に思えば思うほど、相手の時間のことも、思いやりをもって尊重したい。


他人の時間をもらっている、という感覚は、夢中になると忘れてしまうこともあるけれど、どうか、大事に大事に考えてほしいと、私は思うよ。

大切な仲間である、同期のきみへ。
自分の感情の区切りは自分でつけて、独り善がりで他人の時間を奪うことは、やめてほしい。大切だから、思うことだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?