自分を認めたその先に。
最近、自分のとある性質に気づいた。
それは自分が【男寄りである】ということ。
……ジェンダーレスという言葉がある時代に何をバカな……。
と思った人がいたら、ここでUターンすることをオススメする。
なぜなら、本文中に「男だ」「女だ」的な表現が多数登場するからだ。
私は自己表現をしたい人間ではあるが、
誰かの気持ちを積極的に不愉快にしたいわけではない。
なので、ジェンダーに関することが気になる人は読みすすめるべきではないように思う。
ご理解いただけるとありがたい。
それでは、仕切り直し。
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最近、自分のとある性質に気づいた。
それは自分が【男寄りである】ということ。
「気づいた」というより「認めた」の方が近いかもしれない。
とにかく、そんな自分の再発見をしたことで、私の中である大きな変化が
生まれたのである。
今回は、そんな私の変化のお話。
*****
子どもの頃のわたし
あくまでも一般的な話だが、
女性はマルチタスクが得意で、男性は苦手(シングルタスク)だったり
人に相談する場面で、女性は共感を求めるが、男性は解決策を求める。
とよく言われる。
とりわけ、相談の場面については男女の性質が異なることにより
パートナー同士でケンカになってしまうことも少なくない。
女性としては話を聞いて共感してほしかったのに、
男性に「いや、そのやり方じゃなくてこうすればよかったんじゃない?」
などと返され、女性が怒ってしまうような感じのアレだ。
ともあれ、私はどうも男性的な性質を多く持っているようである。
そのことには、なんとなく気づいていた。
気づいていたが、気づかないフリをしていた。
なぜなら私は、女性で、
学生時代は女性の輪の中で生きる必要があったからだ。
たとえば子どもの頃。
子どもにとっての【社会】は学校がほとんどの割合を示している。
(塾や習い事をはじめるとこの限りではない。)
なので、学校で仲間外れにされると、
「はい、おわったーーーー」
という状態になるのである。
だからこそ、私も仲間外れにされないように
学校での人間関係に気を遣っていたように思う。
(もちろん、気心の知れた友人もいたが)
だが、どうしても女の子同士の女の子っぽい会話だったり、
必要な場面で相手に対して配慮するというのが苦手だった。
かわいい品評会
誰かが持ってきたキャラクターグッズ。
とある女の子が「えー!これ可愛い~!」と言う。
すると別の女の子が「わー!ホントだ!可愛い~!」と言う。
この手の会話が、私はすこぶる苦手なのだ。
……だって、別に可愛いと思わないものに対しても
みんな可愛い可愛いって言ってるんだもん。
私の感性がみんなとちがうのか?
持ち主の子をヨイショするために思ってもないのに
「可愛いー!」と言っているのか、私にはてんでわからなかった。
ひ、ひあゆあー?
他にも、中学校で習った英語表現「Here you are.(はい、どうぞ)」。
習いたてだったこのフレーズを使って、前の席の女子(それなりに仲良かった)がその日の給食をまわしてきた。
この時、機転を利かして「Thank you.(ありがとう)」と
返せばよかったのかもしれないが、突然のことに驚いた私は、
「ありがとう。」と日本語で返してしまったのだ。
前の席の女子はそれが気に食わなかったのか、
さらに前に座っていた女子(小学校の時かなり仲良かった)に
「え~ん!わくにんちゃんが冷たい~!」と告げ口(?)し、
さらに前女子に「あー、わくにんちゃんってうちらにだけ冷たいよね」
という謎の評価をされるという謎のできごとがあった。
のちに私の中で大きな影響を与える【ヒアユアー事件】である。
こういったこともあり、私の中で人間関係(とりわけ友人関係)に対して
ある種のコンプレックスを抱くようになった。
うまくいかない人間関係。
仲良くなりたくていろいろやってみるが空回りしたり、
その一方で同級生同士の【可愛い可愛い品評会】にはやはり参加する気はなく、しっくりくる人間関係を形成できずにいた。
心のどこかで、【唯一無二の大親友】みたいなのを追い求めていたが、
そんな大親友が特にできることもなく気づけば大人になっていた。
(そして唯一無二の大親友がいなくとも特段困ることはなかった。)
大人になってからのわたし
大人になって、会社員になってからも
なんとな~~く【女子です!】みたいな会話は苦手だったし
大人になっても【可愛い可愛い品評会】に参加することはできなかった。
それどころか、
『自分ってもしかして空気読めない?』
『あれ、もしかして困らせちゃったかな?』
みたいなのを肌で感じるようになり、
女性と接することで窮屈さや息苦しさなんてものを感じることもあった。
男性と趣味の話する時間最高すぎる
だが、女性同士だとそう感じることがあっても、
男性と話すときはなぜかそんなことも感じなかったのだ。
LINEでやり取りするのが男性ばかりの時があり、
その時にやっているゲームやアニメの感想を語り合うという
中学生のようなことをやっていた。
私はこれでも声優のはしくれなのだが、
男性と芝居について「あぁでもない、こうでもない」と話したり
お互いの演技について意見しあったりする方が楽だったりもする。
女性は繊細な存在に思う
他方、女性とのやりとりは多少気を遣う。
なんというか……女性は花のようだ。
思ったことを率直に話す、伝える。
この【思ったこと】というのは、人にとっては圧やトゲがある言葉に
受け取られてしまうようなのだが……
(その人に対する批判ではなく、あくまでも私の考えや意見なのだが。)
その圧やトゲによって女性の繊細なか弱い部分を
ぐしゃりとつぶしてしまいそうで、怖くなる時があるのだ。
ところが、男性と話している時はそんなことを忘れてしまう。
(誤解なきようにいうが、男性にも繊細な部分はあると思っているし
男性をぞんざいに扱っているわけではない。)
男性とは特に気を遣うこともなく、自分が思ったことを言い合い、
本当の意味で言葉のキャッチボールができるような気がする。
こんな風に書くと、女性と関わるのが嫌いなのかと思われそうだが、
決してそんなことはない。
どちらかというと好きなくらいだ。
仲が良い女性も、すこしは、いる。
女性と話している時の柔らかい空気感に包まれるあの感じ。
私にとっては癒しの時間のひとつでもある。
ただ、先述のように気を遣い、たまに怖くなる時があるだけだ。
わたしに訪れた転機
こんな私が、自分が男寄りであるということに気づいたのは、演出家が演技指導をしてくれた時だった。
指導中に、演出家がこんな話をしたのだ。
「男子は教室の後ろでプロレスとかして……」
私はドキリとした。
なぜなら、私は小学生のとき、男子に混ざって
一緒にプロレスをしていたからだ。
小学校3年生くらいの時であったか。
そう、私は小学生のとき、かなりやんちゃな女の子だったのである。
なぜ男子と一緒にプロレスをやるようになったのか。
これについてはまったく思い出せないが、
それでも毎日のようにプロレス参戦していたのはまちがいなかった。
「あれ、もしかして私ってけっこう男寄りなのかも」
演出家の発言を聞いて
ふと、そんな風に思った。
そして、自分は男寄りなんだと思った途端、
視界が急に開けた気がした。
今まで暗く鬱々としていた世界の扉が開いて
その向こう側には青い空と青い海が広がっている。
そんなイメージだ。
そうか。自分は男寄りなのか。
はっきりと、そのことを自覚した。
だからマルチタスクは苦手だし、共感も得意じゃない。
ついつい思ったことを言ってしまうし、
相談されたら解決方法を提案しようとする。
今までに自分が”やらかした”と思った、
女性とのやりとりや付き合い方が走馬灯のようによみがえってきた。
あの時も、あの時も、そうだ。
もちろん、すべてが男寄りのせいではない。
だが、男寄りの考え方や行動が原因だったものは少なくないように感じた。
そして、視界が開けたと同時に開き直り現象が起きた。
「いいじゃん。いいんだよ。私は男寄りでいいんだ」
心の底から、こう思えたのである。
「気遣いできる女性なら」
「空気が読める女性なら」
そんなことを何度も考えた。
でも苦手なら苦手でいいんだ。
だって苦手なんだもん。
そう思ったとき、
自分のことをまたひとつ認めることができたように感じた。
自分のことがまたすこし愛しく感じられるようになったのだ。
もともと自己肯定感が低い私にとって、
これは大きな変化である。
自分を認めたその先に。
これから先、自分に対してNGを出しそうになったら
「いいじゃん、これが私なんだもん」
胸を張って、こう言えるようになった。
もしかしたら、男寄りも女寄りも関係ないかもしれない。
自分が自分のことを認めてあげる。
許してあげる。
そうすることで、自分に対しての自信が生まれるように思う。
たとえすこしの自信でも、それは大きな一歩なのだ。
誰もが、自分自身のことを
「いいんだよ、これが自分なんだ」
そう思えたら毎日がすこし楽になるにちがいない。
自分についてどんな性質があってもいい。
どんな自分に気づいても「これが自分だ」
と前を向いて歩いていけばいいのである。
自分のことを認めることで広がる世界。
きっとまだまだ世界は広いし、
私は世界のほんの一部にしか到達できていない。
でも、それでもいい。
それだからこそいい。
人生は楽しい冒険。
家族や友人という仲間たちと一緒に、
自分の人生を思いっきり冒険していきたい。
そう、私の冒険はまだまだ旅の途中なのだ。
次はどんな世界が待っているのか。
今から楽しみである。
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