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原因と理由の違いー『嫌われる勇気』を読んで

こんにちは!わくです📗

皆さんは『嫌われる勇気』を読んだことがありますか?

この本は、心理学の3大巨頭と言われる人の一人、アルフレッド・アドラーの提唱した心理学を哲人と青年の対話形式でわかりやすく説明した本になります。

今回は、当時18歳だった自分が読んで疑問に思ったことを書こうと思います。

本著には、「「原因論」でなく「目的論」の考えを持って生きるべきである。」と書かれています。

簡単にいうと、原因論は「Aがあったから今この状態なのである」という考えで、 目的論は「今のこの状態を作るためにAという出来事を利用している」といいう考え方です。

本著に載っている例えとして、赤面症の女性が、「この症状があるから好きな人に告白できない」と言っているのですが、それに対して哲人は「好きな人に告白してフラれるという状況を避けるためにその症状を言い訳にし、告白できないでいる。大切なのは勇気だ。」と言っています。

問題はその症状を治すことでなく、その症状を本人がどう捉え直すかということだったのです。

ここで、

当時のわくくんは疑問に思いました。

目的論だったとしても、「好きな人に告白してフラれるという状況を避けたいからその症状を言い訳にし、告白しないでいる」とも言えるやん!これって原因論じゃね?😇……と。

ここまで読んでくださった方はもうお気づきかと思いますが、

「避けたいから」という心情は本著でいうと原因でなく理由なのです。

辞書的な意味では同じ意味になり得ますが、アドラー心理学の考え方的にも原因と理由は異なるものとしていると言えるでしょう。(日本語とその他の言語の言語体系の違いや、その心情が意識下か無意識下かの違いによって意味が変わるという可能性もありますが、ここでは言及しないでおきます。)

もし本著を読んで過去のわくと同じことで混乱している方がいたら(嬉しいという気持ちは置いておいて)参考になれば幸いです😁

また、「それって読み間違いじゃね?」とか「そういう意味じゃなくね?」などありましたら教えてください!大いに歓迎します🙌

岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』


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