海が乳白色に変わった日
最近になって急に春めいて慌てたように桜が一斉にあちこちで咲き出しました。本来なら多少時期をずらして咲くの梅や桜が一気咲き。
冬はあんなに強風だったのに風ひとつない穏やかな日。
遠目に海を見るといつもと色が違います。
深い青緑の暗い海から、水色の海がところどころ乳白色になっています。
海はお天気や風で雪、霧、時間、季節で表情を変えますが、その日は特別でした。
何気なくFacebookの友人の投稿を見ると海岸で男性が大量の魚をバケツに入れている動画をアップしていました。
今日はもしかして!
あっ、もしかして今日はニシンが上がってくる日?!!
バンクーバー島に毎年この時期になると産卵のためにニシンの群れがやってくる日があり、その日は海の色が変わるのです。
私はまだニシンの群れを見たことがありません。
友人が投稿した入り江に辿り着いたのは夕方6時になってしまいましたが、
やっぱり普段の海とは全く違っていました。
海は完全に引き潮。普段の海底が露になっています。波打ち際近くを歩くだけで水が浸みてきて、乳白色のところまでは近づけません。
乳白色の部分がニシンが産卵した場所らしいのですが。
もう夕方だし、ちょっと残念。
入り江のあるこの海岸は海洋公園としても人気で週末は散歩に来る人が多く、この日も駐車場がいっぱいでした。でもこの公園に今日ニシンが産卵に来てることを気にする人は多くないでしょう。
ニシンはサーモンほどカナダ人に馴染みがありませんから。
ただきっと誰もが「今日は波が全くなく海の色がやさしい不思議な日だ」と思ったでしょう。
日系人で起業したニシン産業
バンクーバー島には毎年ニシンがやってきます。
ナナイモもニシンがやってくる場所の一つで、1910年あたりから第2次世界大戦が勃発するまで日系人が経営する塩漬けニシン関連工場が多い時には40件近くあったそうです。
本土のスティーブンストン(リッチモンド)はサケの缶詰工場で多くの日系人が働いていたのは有名ですが、ナナイモは鮭ではなくニシンが中心。
しかも日系人が複数で出資し、独自にニシン加工工場を立ち上げ、ニシン漁、塩漬け加工し、缶詰を輸出までを行い、BC州最大のニシン産業地区になっていきました。
ニシンの塩漬け缶詰は主に日本、中国、朝鮮に輸出されました。
苦労しながらも発展していった日系のニシン産業ですが、2度の火災に遭い(放火とも言われています)第二次大戦が勃発すると日系人の工場、船舶、ビジネス、不動産、家財、などの財産はカナダ政府によって没収され、日系人に戻ってくることはありませんでした。
今はこうして地域の人の憩いの場となっている海浜公園地区ですが、かつては日系の船が行き交う活気のある漁場だったなんて想像できません。
個人的には漁港よりも、現在の海浜公園やレジャーボートのハーバーの方が嬉しいですが、偏見や言葉の壁にひるまず働き暮らしていたパワフルな日系人の痕跡を伝えるモノがナナイモにはなかったのです。
開き出した歴史の扉
12年前にバンクーバー島に来た当初は、バンクーバー島に日系人が多く住んでいたことも、第二次世界大戦で日系人が資産を没収され、強制収容所に送られたことも知りませんでした。
ところがバンクーバー島やバンクーバー近郊の町の博物館に行くと日系移民の展示があったのです。そこでカナダの日系人の歴史を知りました。
人口1万人未満の町でも戦前に住んでいた日本人の展示があったのには驚きました。
では人口10万人程度とはいえ、BC州の州都ビクトリアについで2番目に大きいナナイモ市はどうかというと、日系人の存在を示す展示がほぼなかったのです。戦前にBC州最大のニシン産業があったにもかかわらずです。
それがここ数年、さまざまな人の努力のおかげで、調査やアート化によってようやくナナイモの日本人移民の資料が、少しずつ出てきました。
下の「Tides & Moons:(潮と月)」はまさにナナイモのニシン漁に携わった家族の物語のアニメーションで2022年にナナイモのアートギャラリーで上演されました。 分かりやすく興味深かったです。
さらに今年はナナイモミュージアムで「Broken Promises(破られた約束)」(展示:March 16 – Monday, September 2, 2024)という日系カナダ人の歴史の展示が始まっています。ナナイモの日系カナダ人の資料もごくわずかですが展示されています。素晴らしい。
この「Broken Promises」の展示のオープニングナイトに私も運よく招待していただき、ナナイモミュージアムに行ってきました。
招待客は60人くらいだったと思いますが、その中で日本語を話す参加者は10人程度しかいませんでした。
日本語を話さない日系カナダ人の他、排斥した側にあたるカナダ人の参加者がほとんどなのもビックリしました。
今後さらに資料や調査がまとめられて、いろいろな町の日系人の足跡、歴史がカナダの歴史の一部として多くの人に理解されるといいなぁと思います。
移民するって
過去の日本人移民の話って湿っぽいし、昔の話だし、あまり興味がない、と思う人もいると思いますが、私は結構、励まされたり、共感できるところがあったり、逞しいなぁ、と思ったりします。
移民して暮らしを立てていくのは誰もが順風満帆なわけではありません。
私にとっては、海外生活はカッコイイわけでもありませんし、経済的に苦しいことがあったり、不自由なことも嫌な思いをすることも自分がもどかしくなることもあります。
そうは見えないなんて思われますが、言葉の不自由さもあり、基本現地に頼れる配偶者もいないので、何かと時間も掛かり、大変です。
それでも成長した子どもの存在には随分助けられてますし、もちろん楽しいことも日本ではできない経験もあります。
少なくとも先人の日本人移民よりも現在のカナダ移民生活は選択肢も可能性も多く、差別もなく安心で生活も快適でしょう。
先人の日本人移民の人のことを知ると親近感を感じるし、なんでそんなに頑張れたんだろう、と思います。
出身の国が違ったとしても、同じ移民として日本人移民の歴史にも共感できるところが他の国の移民にもあるはずです。
そしてやっぱり今のカナダの多文化共生社会はいいなぁ、と思えるはず。
海の色が変わった日、
きっと100年以上も前にバンクーバー島に来ていた日系移民たちは朝起きてこの乳発色の海を朝見て、張り切ってニシン漁に向かい、大漁にみんな笑顔で帰宅したんじゃないでしょうか?
そんなことを思い起させたニシンが変えた美しい海の1日でした。
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