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【小説のできそこない】微男子と煙草

煙草の匂いで元カレを思い出すとかなんとか言ってる女とかのことをぼくは心の底から軽蔑しているのだが、煙草の匂いが想起させる特定の人物というのはぼくにもいて、それは、幼稚園のころ通っていたお受験教室の先生だった。
なんとか息子を立派な人物にしてやろうと、お受験を決意したはいいものの右も左もわからなかった両親が人づてに評判を聞いて通わせたのは、「アイ幼児個人塾」という、小さな塾だった。塾といっても立派なものではなく、東中野の住宅街にある小さなマンションの管理人室みたいなところを間借りしてやっているだけで、先生も、アイザワ先生という50代後半くらいのおばさんだけだった。
「そうちゃん、ごきげんよう」アイザワ先生の声はいつも痰が絡んでるみたいにしゃがれてて、まったくエレガントな感じはしないのだが、彼女はいつも「ごきげんよう」と挨拶をした。
「ごきげんよう、先生」ぼくも素直に挨拶を返していた。「ごきげんよう」というのが、主にお嬢様学校で用いられる挨拶で、男子がするようなものではないというのを知ったのは、随分あとになってからだった。
 ぼくがやって来るとアイザワ先生はコピー機の横にうず高く積まれたファイルの山から目当てのプリントを取り出し、どさっとぼくの前に置いて、みっちり1時間半それをやらせるのだった。対面に座るアイザワ先生は、ときどきぼくの進捗を確認したり、アドバイスをしたりしながら、ずーっと煙草を吸っていた。細い煙草だった。興が乗るとアイザワ先生は、タバコの煙で輪っかを作ったりして遊んでくれた。子どものぼくにはそれが面白く、先生の口の中はどうなっているんだろうと、よく観察してみたりもしたが、先生の口はぼくと大して変わらなく、ただ少し黄ばんでいて、所々銀歯になっているだけだった。先生には、よく電話がかかってきた。電話がかかってくると先生は、「ちょっとごめんね」と言って、なかなかお喋りから帰ってこなかった。その間ぼくは、黙々とプリントをこなしていた。真面目な子供だったのだ。
「よえびしん〜、よえびしん〜、あなたが〜思うより強く〜」という音楽が先生の携帯の着信音で、「よえびしん」というのは一体何なのだろう、もしかしたらいけない言葉なのではないかと思ってその時は訊けなかったが、中学生になってあれは日本語ではなく「You’re everything」という英語だったのだと気がついた。だからどうというわけでもないが。
自分で煙草を吸うようになって、以前よりも頻繁にアイザワ先生のことを思い出すようになった。ただそれだけのことで、煙草を吸っている時に考えることなんて大した値打ちはないのだ。しかしあのときに、アイザワ先生に「東大以外は大学じゃない」とか、「目指すならハーバード」とか刷り込まれたおかげでぼくはこんなに嫌な人間になってしまったんじゃないのかとも思うけれども、だとしたら東大にも入れずに、そこそこの大学に入ってひたすら授業中に2ちゃんねるのまとめを読んでいるだけの今の自分はなんて中途半端なんだろうと鬱々としてくる。
ぼーっとするのは好きだけれども、ぼーっとするのも、案外疲れるな。そんな気づきを得て、フィルターまで残り4ミリの絶対防衛ラインを突破したアメリカンスピリットを灰皿に捨てた。


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