ちゅう

30代。人とスムーズに話せないのに人と関わる仕事をしています。研究活動に携わることもあ…

ちゅう

30代。人とスムーズに話せないのに人と関わる仕事をしています。研究活動に携わることもあります。ラクガキもします。自分をいいと思える大人になるために綴ります。 「今日はとっても頑張ったよね。明日はもっとマシな人間になるよね。ねっ、ハムt」

最近の記事

マシな35への道4

今日考えたこと、丁寧にできたこと、楽しめたこと、心残りを正直に書いてみる。 ・朝起きたらまずは布団をたたむことが続いている。 ・ウォーキングが細々と続いている。週に3回は30分以上歩けた! ・食事量を減らせてきていたけれど、ここ数日はドカ食いしてしまった。 ・今更ながら突っ張り棒を駆使して家の中が過ごしやすくなってきた。子どもみたいにその場所ばかり使ってみたりして、静かにウキウキしている。 ・人に話すときはもっと伝わるように話さないといけないな…と反省。もごもごと独り言みた

    • マシな35への道3

      今日考えたこと、丁寧にできたこと、楽しめたこと、心残りを正直に書いてみる。 ・朝起きたらまずは布団をたたむことにしました。←当たり前か ・仕事始めはやっぱり鬱々とするね。上司の気配を感じ取っただけで若干不快。嫌なことがあると反すうしてしまうね。 ・やっとメール業務を一気に終わらせた。でも返事が来たらまたやらないとね。 ・自分の中には未熟な怒りがあるみたい。思い通りにならないとムカムカしてしまうところがある。そりゃ人で何でもやっているわけではないから思う通りに行くわけがないの

      • マシな35への道2

        今日考えたこと、丁寧にできたこと、楽しめたこと、心残りを正直に書いてみる。 ・若干寝坊したからウォーキングに出るか迷ったけど出た! ・布団と洗濯物を干して気持ちがいい。 ・午後から昼寝。昨日の体の疲れがとれていない気がした。 ・映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』を観た。 ・仕事を辞めた後の生活ばかりを漠然と考える。海の近くで駅からも近い距離の物件をネットで眺めていた。資産が圧倒的に足りない。 ・人と関わることが「嫌」だとはっきりしてきた。人によるけど。 35ま

        • マシな35への道1

          現在、34歳と2ヵ月。 35歳になるまであと9ヶ月。この9カ月の大切に生きていくために、とりあえず書いてみる。今日考えたこと、丁寧にできたこと、楽しめたこと、心残りを正直に書いてみる。 ・暑くて朝5時に起きたからそのままウォーキングに出た ・面倒くさかったけれど風呂に入れた ・どちらかというと前向きな気分でいられた ・1990年代の曲は精神衛生によき。CDTV懐かし ・体内年齢を測ったら40歳になった(昨日44歳) ・やっぱり自分の声はコンプレックスだなぁ 35まであと2

        マシな35への道4

          「動かない」と書いたら、とりあえず動いたことになるかも。

          これをバーンアウトというのか? よく「心がポキリと折れた」みたいな表現を聞くことがあるけれど。 数カ月前に自分が持っていたエネルギーがどうにもこうにも出てこない。 もともと省エネ人間だったけど、それなりのエネルギーを持って燃焼していたんだと気づいた。 なんでもコロナ禍のせいするのもどうかと思うが、きっかけはそれだと思う。自分の場合は、在宅が増え、人と接することが半分以上減って、随分とハリがない生活となった。 大学生のように変に時間ができることもあって、こういうときこ

          「動かない」と書いたら、とりあえず動いたことになるかも。

          人とのつながり

          「人とのつながり」が大事だとか、それで救われているだとか言いがちだけど、それを説明できるほど実感することがイマイチない気がしていた。 でも、そういうときって突然やってくるんだなぁ。 今日、ある仕事で気持ちが追い詰められた。今まで自分なりにできることをしてきたつもりだったが、自分がやってきたことは誰かにとってひどいことだったのだろうかと苦しくなった。 そんなときに、仕事と全く関係ない人からポンと一通のメールが入った。ただの報告メールだったのに、何だか心の波が穏やかになって

          人とのつながり

          自分の面倒をみる

          自分の調子がイマイチなときの条件のひとつに、「インプットとアウトプットのバランスが偏っている」というのがある気がする。 しんどいなぁ、変に気が張っているなぁというときに、ここ数日を振り返ると例えば ・自分の頭に情報をたくさん入れているのに表に出していない ・体もしくは頭が動き回っていて、ぼーっとする時間が少ない ・ぼーっとする時間が多すぎて、体を動かしたり考え事を表出していない ・・・という状態になっている気がする。 自分の中の出し入れのバランスが極端になっている気が

          自分の面倒をみる

          それでいいから

          幼少期から20代にかけて、自分は“ひきこもる”ことができなかったように思う。ここでいうひきこもるは、安心して自分の内面を見つめるというようなことを指す。 年代的にもひきこもってはいられない時代だったかもしれないが、そのときの僕は自分以外のものに良くも悪くも圧倒されて過ごすばかりで、自分のことにかまってられなかった。 誰かに評価されていないと自分は存在していないという感覚がどこかにあって、こっちを向いてほしいと変なことばかりをしていた。憧れの存在がいると、それになりきってそ

          それでいいから

          ラジオがある生活

          子どもの頃は、自分以外のことに関心を持てずに過ごしてしまった。 自分の内側が慌ただしく、自分の存在を発信することばかりに忙しく、今思うと小さな世界で生きてきてしまったなぁとガックリするけれど、まあこれはこれで致し方なし。 人は自分にないものを持っている人に憧れと嫉妬を持つもんだけど、僕はラジオが好きだと語っている人に憧れていた。ハガキを送ったとかすごいなぁと。受信が得意な自分は、発信をする人に強い羨望を抱いた。 それなりの年齢になって実家を出て、1人暮らしをはじめて数年

          ラジオがある生活

          習慣

          今日はクリスマス。 数年前から「クリスマスの約束」を観るようになった。 僕は好きな人の影響を受けやすい。 その影響は“習慣”となって、僕の人生を豊かにしている気がする。 愛おしくもあり切なくもある習慣を、引き連れて生きていきたい。

          狭いほうが

          先月、引っ越しをした。 同じく1人暮らし用のアパートだけど、今の家のほうが部屋が狭い。 でも、狭いほうがいいんだわ。 前の家だと、電気を消したあとに遠くの暗闇を意識してしまってた。 寂しさに心がやられてしまう時間があった。 狭いほうがいいわ。

          狭いほうが

          「もしも」の時間

          「じゃあまたね」と言って別れたけど、もし二度と会えなかったら。 今あなたと一緒に笑っているけど、もしこの時間が最後になってしまったら。 そんな考えが月に数回思い浮かぶ。 そう思って、勝手に自分だけで苦しくなっている。 そんなの思うのは自分だけ?他の人も同じなんだろうか。 この瞬間がいつ終わってもおかしくない、と無意識に言い聞かせているのか。 失ったときのショックに耐えられる自信がないから、今のうちから精一杯和らげようとしているのか。 日常のなかで、とても悲しくな

          「もしも」の時間

          日常のなか

          繰り返し 過ごしてきた日々は、少なくとも自分にとって「日常」である。 でも、その自分の「日常」は 他人や世間からみた場合、「異常」として切り取られることもあるだろう。 その瞬間、場合によっては、孤独を感じたり、恥を意識したり、惨めに思ったり、自分はこの場に居てもいいのだろうか?と思ったり、いろいろ。 でも、場合によっては、そのあとに「そんなこともあるよね」なり、「それは大変だったね」なり、他人からの悪意ない反応があれば、きっと自分の日常を明日からも続けられる心地になる。

          日常のなか

          左手のかわり

          先月、左手が腱鞘炎になった。 利き手ではなかったので まぁいいか と思っていたら、そうでもなかった。非利き手も 日頃からよく働いていたのだ。 勝手な想像だけど、きっと利き手が負傷していたら、周囲からは「利き手だから不便でしょ」とか「利き手が使えなくて困るよねぇ」とか 一言多めのねぎらいを言われる可能性もあったのではなかろうか。 実際、利き手が負傷だと もっとかなり大変なのかもしれない。 でも、 家に入る時に右で鍵を持って、無意識に鞄を持ち替えてしまい、ズキッ。 お皿

          左手のかわり

          職場と家の間がほしい

          どこもそうかもしれないが、家の周辺は夜になると暗い。 寂しいし、心細いし、つまずくし。 22時過ぎになると コンビニや小さな飲み屋の灯りがちらほら目に入るくらいで、街灯はない。今の暗さでも結構まいってしまってるので、田舎には住めないと思っている。 仕事の後に寄り道したいと思っても、遅くまで開いてるカフェもファミレスも近くにはない。 仕事でムカムカしたり落ち込んだりしたら、職場から家につく間にワンクッション 必要になるけれど、こんなときが困る。 昔住んでいたところは割

          職場と家の間がほしい

          ため息を吐く日が続くならば

          ちょっと自分の言葉を綴ってみようと思った。 この4月から働き方をかえた。 よかったことは、職場が家から近くなったこと。生活が以前よりも少し安定したこと。困ったことは、1週間のうちに関わる人や話す人が一気に減ったこと。世界が狭くなった気がしたこと。 この前、30歳を迎えて、こんな子どもじみた自分がもう30になってしまったというのと、やっと30まで生きてこれたというのと、どちらもある。けれど、どちらかと言うと後者のほうが強いかもしれない。 時間をみつけて、友人とうまいもの

          ため息を吐く日が続くならば