左手のかわり

先月、左手が腱鞘炎になった。

利き手ではなかったので まぁいいか と思っていたら、そうでもなかった。非利き手も 日頃からよく働いていたのだ。

勝手な想像だけど、きっと利き手が負傷していたら、周囲からは「利き手だから不便でしょ」とか「利き手が使えなくて困るよねぇ」とか 一言多めのねぎらいを言われる可能性もあったのではなかろうか。

実際、利き手が負傷だと もっとかなり大変なのかもしれない。 でも、

家に入る時に右で鍵を持って、無意識に鞄を持ち替えてしまい、ズキッ。

お皿を洗う時に 右で蛇口をひねり、つい左でお皿を持っちゃって、ズキッ。

こんなことが次から次へと起こる。

非利き手は普段から山ほど働いていた。ズキッが増えるごとによくわかった。見えない仕事をたくさんしていた。ありがたみを知った。

そして、もう一つ、ありがたみを知ったのは、左手の代わりになる存在。

それは 「ねぇ、今だけ これ持ってて」と言える相手の存在。

自分は1人暮らしで、別にパートナーと呼べる相手はいないので、常に誰かがそばにいるわけではないけれども。そうやって一瞬でも 頼れる相手がいることを もっと喜んでもいいのかもしれない。

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