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あけまして、おめでとうございます。

そして、はじめまして。

三が日、ゆっくり心身休める方も
稼ぎどきの方も、どちらでもない方も
この一年をめでたく過ごしていきたい
願いは、みんな一緒だと思うんです。

ささやかな一日一日の積み重ねが
小さな文化を作っているんだと、つねづね
思っています。日々の営みのなかでしか、
文化ってのは築いていけないのではないかという
確信に近い思いを抱いてしまったのが、運の尽き。

じつは「和に親しんで運を開く」って、
なりゆき上、いきがかりで?!
あとからこじつけたテーマなんですけれど、
いい感じで引っ張ってもらってます。
なぜなら、けっきょく、残りの人生で
深く関わりたいものは、和にまつわる
すべてだと言えそうな気がするからです。
今まで生きてきた時間のなかで、一番
情熱を注いでしまったのが、なんだかんだ
茶道だと思います。
嫁入り道具という大義名分のもと
長らく親の脛をかじり、嫁にいかない皮肉さ。
親のおかげは大きいのも事実ですが
よくあるお金持ちの娘ではありません。
母の思い入れが加勢してくれたこともあります。
かといって、ものすごく茶道の何かができる
わけでもありません。
何が人と違うかというと、、言葉にするのは
必ず誤解を伴うものだとあきらめて、つらつら
綴らせてくださいませ。
和への執着、かなあ、と思いました。

茶道は、儀式や儀礼ではなく、
芸事や嗜みでもないと思いたい立場です。
教養や知識はあるに越したことはないけれど
往々にして邪魔になる場合もあります。
じゃあ、何かと言えば、茶道は
モノにもコトにも、まるで心が宿るかように
接する姿勢を指している、というのが、
今現在のわたしの答です。
これから変わるかもしれませんが。。

正直いって、ていねいな暮らしには
ほど遠い日々ですが、他人も自分も
物事も出来事も、ていねいに見る、を
心がけています。
ていねいに見つめたいと思う対象があれば、
その対象のほうから語りかけてくれます、
と言い切りたいくらいです。
たとえば、文字や言葉に執着しているときは
誤字脱字のほうから、通り過ぎるな!の
合図がビシバシ発せらる、そんな感じ。

もともと、利休さんの時代の「日常」を
昇華させたものが、茶道。
つまり、晴れとケの「ケ」の分野でした。
2018年の今、特別なものになってしまったのは
利休さんの時代の日常が、今の非日常だから。

わたしは、根っこ、源流、原点、原典を
見つめたくてたまらない、そうしないと
なかなか気が済まない性分(しょうぶん)です。
もしかしたら、病気に近いかもしれません。
そんな執着を少しづつ、お目汚し披露することで
かろやかに、風に吹かれる瓢箪のように
ひょうひょうとした女に近づきたいと願います。

ご存知のことも多いでしょうし、
諸説あるうちの一つを選びとって
受け売りの内容もあるかもしれませんが
気持ちや暮らしが、ちょっと潤う
豊かさの種を味わい直してみたいと思います。

遠い昔のことでもあり、カッコつけていうと
昨日と今日と明日の、その人なりの物語が
日々の営みだとすれば、少しずつ
知ることと行なうこと(知行一致)で
運を開いていければいいなと思います。

一つ付け加えると、運を上げたいと思うより
まず運を下げない実践が堅実だと、つい最近
教わりました。たとえば、掃除をする。
たとえば、明るい挨拶をする。など。
当たり前を当たり前にやっていくことは、
思いのほかむずかしかったりしますが、
かろやかに、当たり前をやってのけたいものです。

「平常心是道」、和に親しんで運を開きませう。

和言のかおり

〜蛇足〜
なんとなく、
さあ!この日から和言はスタートします。
という日取りがあったほうがいいように思え、
わたし個人にとって佳い日取りを
選ぶための模索中です。。
平成三十年立春二月四日に先立つ
一月二十九日か、二月一日か
立春後の二月十九日か。
のいずれかで、スタートしよかなああ。

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