久々に鬱転をはっきり感じた
備忘録のようなものなので、しっかりした文章は書けないかもしれない。
そしてこの文章が誰かの何かになるのかも分からない。
でも、とりあえず書いておく。
鬱転の話なので、引きずられそうな方は見ないほうがいいかもしれない。
また、メンタルに興味のない方、関係のない方は明日の朝の写真投稿をお待ちください!🙇♀️📷
2024年9月17日午後4時頃まで、僕はいかにも“普通”の人のようだった。
でもその“普通”は、僕にとっての躁状態、少なくとも軽躁状態であったと、後々気がつくのである。
彼と揉めそうになっても、親友の言葉にイラついても、母の言動にイラついても、癇癪を起こすことはなかった。冷静に対処して、解決策をさがしたり、きちんと距離を置けた。(←奇跡のこと)
だるい、やる気ないと思いつつも、すごい量の家事をこなしてから、更に移動などもできていた。
朝3時から起きていても、県境を跨ぐ通院、5時間に渡る移動をこなした。
隣で寝ていた彼が体調を崩して話せないほどの状態になっても、テンパらず対応し、朝5時から電車に乗って薬を買いに行ったり、隣で見守り続けたりした。しかも安定剤なしで。
コンサータを18mgまで減らせた。その状態で、家事、勉強などがある程度できていた。
割と普通の、大人であった。
そして今思い返せば
彼氏へのギフトをしたいと思うことが多かった。(いくつか我慢したが、それでも2つほど購入)
頑張った自分、普通でいられた自分へのご褒美によくお金を使っていた。
実家に帰っても休まず、部屋のものの断捨離や片付けをしていた。
朝早起きして朝活を頑張りすぎていた。(ストレッチ、散歩、庭仕事、家事、シャワーなど)
やりたいこと、買いたいものが多く、貯金をしたいと思い(貯金をしたいは通常モード、やりたいことが多くてお金が欲しいがやばい)バイトに応募した。
普通に、軽躁であった。(今思い返せば)
話は少し逸れるが、
普通の人はバイトを普通にできるのに、私は「バイトを頑張るとその後に必ず落ち込みが来る」
という点から
「バイトは軽躁状態に頑張っていること」
という解釈になるのが悲しい。
つまり、
バイトに応募する=躁状態
なのが、とても悲しいし悔しいのだ。
普通になりたい。
とにかくその側から見たら“普通”、僕的には“軽躁”であった状態が、急降下したのは、昨日の夕方である。
突然希死念慮に襲われ、否、本当に死を考えていたわけではないが、「しにたい」という気持ちが溢れて止まらなくなった。
溜まっていたストレスをいきなり自覚し、それらを吐き出すかのように大声で叫び、ドアを蹴り、太ももを殴ることがやめられなくなった。
幸い実家だったので、どれだけ地団駄を踏もうが、あまり二次被害は発生しなかった。
大きな鬱の塊と、それに付随するイライラで、壊れてしまったと思った。
訳もなく涙をぼろぼろ流しながら、ケンタッキーを食べた。
彼にやんわり伝えて、「いつも時間と共にどこかのタイミングで良くなるから、大丈夫だ」と言ってもらえたのが、何よりもの救いであった。
メンクリはオンライン診療をし、鬱っぽいことは伝えることができたが、その時点ではあまり酷くなかったことと、大丈夫そうに伝えてしまう癖から、抗うつ薬の処方ということにはならなかった。
だからとにかく寝ようと思った。
鬱を吹き飛ばそうと走ろうと思ったが、できなかった。
薬を受け取りに行くことも、できなかった。
バイトはキャンセルし、鎮静薬を飲んで寝た。酷い夢をたくさん見て、それでも鎮静をかけられて起きれず、地獄だった。
今度はその悪夢地獄から抜け出したくて、起きたくて起きたくて、コンサを飲んだらよく眠れた。
そして少し落ち着いてこの文章が書けている。
追記になるが、バルプロ酸に離脱はあるだろうか。
そういえば数日前から足りず、飲めていない状態が続いていた。
それも少し関係あるだろうか。
とにかく大きな嵐が来て、一気に過ぎ去ったような気分である。
疲れた。
一度休んで、この備忘録をまとめ直せたらと思う。
長い文となったが、読んでくださった方。
お付き合い本当にありがとうございました。
みなさんに良い明日を。
おばけちゃん
20240918
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