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関心を持つ必要性

特に学生のときとか、モノゴトに対して「関心を持ちなさい」という大人が周りにひとりはいたと思います。現状でも私の周りにもいます。

確かに「知っている」「知らない」では大きな違いがあると思います。いつかのときにその知識のおかげで助かる可能性があるのは「知っている」ことだと思います。

ただ、生きている中で「すべてのことに関心を持っている人なんているんですか」と言うと急に言葉が出なくなる大人もいます。そうなんです、ほとんど答えが出てしまったと思いますが、結論は「その人次第」だと私は思います。

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知っている人はその分野における知識があるから、困っても助かると思います。お金がなくなってもお金を稼ぐ知恵とノウハウさえあればできる人もいます。なので、すべてのことに関心を持つ必要はない思います。

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関心があれば、いろんな人とつながる可能性がなくなると思ってしまうかも知れません。確かにそうかも知れません。多くの関心を持っていればつながりを築く幅は広くなると思います。しかし、それをコントロールすることができますか?

きっとキャパオーバーになると思います。つながりを求めるときに必要なのは「共通点」だけで十分だと思います。お互いが持っている知識が一致する何かがあればそれだけで十分だと思います。相手に合わせて知識を無理にいれる必要はないと思います。それで自分がパンクしても意味がないからです。

自分が必要だと思うことだけ知って、その分野に精通する人とつながることができればそれだけで十分だと思います。必要ないことまで関心を持って、途中から知っているふりを装って、それがバレてしまって失う関係性ほどムダなモノはないと思います。

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今回はタイトルにある「無関心」は悪い事じゃない理由について書いていきたいと思います。


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関心と興味の違い

モノゴトヒトを考える上で出てくるのが「関心」「興味」という言葉だと思います。言葉のニュアンスとしてどちらがどう違うのかということが考えられると思います。私も色々と調べて、私なりの結論をいうと「面白かどうか」「好きかどうか」が大きな判断基準になってくると思います。


関心

・好きか嫌いは別として、気になること
・ファン要素ではなく、どちらかというとニワカ要素
・その有名人が好きなのではなく、仕草や声が気になる


興味

・面白そうと心から感じたモノ
・ファン要素
・自分がそれをやりたい、知りたい意思がある


ここからは持論になりますが、私も多分記事の中で「興味を持つ」のような言葉を使ったことはあると思います。「興味は大事」「興味は大切」など自分を変えるための要素として書いたこともあると思います。それについてはその通りだと思っています。

自分を変える要素として興味が大切であることは間違いないと思います。自分がそれと触れたときに気持ちがそうしたいと思っていることなので、興味は必要だと思います。


「関心」については、気にはなるけど好きではないかなということが関心にあたると思います。私で言えば数学とか英語、経済とかお金の流れなどは別に好きではないけど、知っておきたいなと思う程度のことを関心だと思っています。


「興味がない」については、心の中では好きかも知れないけど、現状は別に知る必要がなく、あともう少しで変化するかも知れないという状況のことだと思います。これに関しては時間の経過によっては変化して、興味が出る可能性があることだと思います。

「このロックバンドの歌、そんなにいいの?」
「この俳優/女優/声優さんが注目されているんだ〜」
「この人が話題のスーパールーキー」

関心があるまではいかないですね。興味が持てそうだけどまだその感じではない状態なのが、「興味がない」という感じだと思います。


「無関心」本当に自分にとって必要性がないと思っている事だと思います。例えば、「芸能人のゴシップ」だったり、「政治家のどうでもいい口論」だったり自分にはまったく関係のないことが無関心、必要性のないことになると思います。


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ここでのまとめ

・興味がある:好き、面白いと思っている。感覚はファンと同じ。
・関心がある:意識的に知ろうとはしている。ただ、好きか嫌いかは別。
・興味がない:時と場合による。必要(興味が出る)になる可能性がある。
・関心がない(無関心):自分にとって、まったく必要性がないこと。


身近なヒトに対する関心

芸能人とか自分からしたら遠い存在のヒトに対しては興味がなくてもいいと思います。その有名人を知ったからと言って何か変化が起こるわけでもないと思うからです。記者とか芸能関係の仕事されている人なら知っておく必要があると言った感じだと思います。

そのことも踏まえて、自分の身近にいるヒトに関心を持たないのは少し違う気がします。モノゴトに対してはすべてに関心を持つ必要はないと思います。身近なヒトについては、そのヒトの力も必要になることもあるので、最初から関心を持たないという選択にはならないと思います。それがチームだったりグループだったり取材する相手だったりすることがあると思うのでヒトに関しては少し捉え方が難しいですね。


私の考えを書いておきますと、ヒトに対しては「関心がない」ではなく「興味がない」が適切だと思います。人間関係は必要性があることだと思います。興味がない状態はつながりがまだ曖昧なだけで、つながりがしっかりすれば興味が出ると思うからです。


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無関心のあり方

個人的には、無関心でいることは決して悪いことではないと思います。まったく必要性がないこと関して、いちいち自分の中に取り入れる必要がないと思うからです。

その理由はこの3つです。

・ムダな情報を入れない
・時間を使わなくて済む
・集中したいことに集中できる

3つに該当する例は、上記でも述べた「芸能人のゴシップ」ですね。数日もしたら誰もが忘れている情報をわざわざ関心を持つ必要はないと思います。そんなことに時間を割いているなら、自分のために時間を使った方が効率の良い時間の使い方だと思います。


なんでも知ってそうな人でも、興味・関心のあることしか知らないです。興味・関心がある部分の中でもお互いが知らないことを提供するから人間関係につながるのだと思います。「お前は関心がないなー」と言って、関心がない人を責めるのは違いますね。頭ごなしに言う人とは関係性を築く必要はないですね。自分にとって邪魔でしかありません。



自分の時間は自分が費やしたいところに使うのが一番だと思います。






過去に投稿した、ネガティブワードをポジティブに考えた記事はこちらです。↓



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