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真夜中の交差点 迷子のままで 二度と戻れない夏が始まる

皆さんにとって夏ってどんなものでしょうか?多くの人にとってはただ過ごしづらいだけの嫌な季節かもしれへん。でも自分は夏が好き。いや正確に言うと好きになりました、20歳を超えた辺りから。年齢だけで言えば大人になり、様々な経験をするようになってから。夏という季節がもたらす、夏という季節だけが抱かせる感情が愛おしくてたまらないのです。

夏という季節は、今時で使われてるところの「エモい」を過剰にブーストさせる力があると思うんです。青春という言葉は本来、夏のこの感覚に使われるべきやと思ってて、そもそもなんで青“夏”という言葉が存在してないんやろうって広辞苑に文句を言いたくなるほど。それぐらい感情が揺さぶられることが多い季節。

夏に関しては色んな側面から様々に強い感情を抱かせてくれる季節で、他にも夏ならではの“感覚”というのをこの夏の間に綴っていこうと思ってるけど、今晩記したいのは「今は離れ離れの、大切な誰かを想う季節として」の夏について。

・夏の夜ならではの、今は遠い誰かを想う感覚を絶妙に描いた名曲

ビビッときた方にはわかると思いますが、本日のタイトルになっているのはきのこ帝国の“パラノイドパレード”という曲の1フレーズ。若者たちが呑みすぎた帰り道を歩きながら、去年までそこにいたのに今年は居ない仲間(そのうちの一人にとっては想い人にあたるであろう誰か)を思い返しながら、新たな夏を迎える瞬間の胸中が描かれている。

自分はこの曲ほど、先に書いた「今は離れ離れの、大切な誰かを想う季節」の感覚を絶妙に切り取った曲を他に知らんのです。社会人となる手前の20代前半の時期にある、奇跡的にすら感じる出会いの歓びとその別れの痛み。甘くて苦くもある青の感覚が強く内包してると想う。

“いつもの街で会えるような気がしたよ”

“君の横には去年と違う人がいるね”

“誰もが君の噂話をしている”

囁くように淡く少年のような声で歌うボーカル・佐藤さんの声もあいまって切なさが拭えない。そう、「迷子の行列」とも歌われているように行き場を見失った心が伝わってくる。

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(きのこ帝国、あーちゃんのギターはほんまに天才!)

更に、追憶を辿るように、或いはお酒で酩酊した感覚を伝えるかのようにディレイのかかったギターが頭の中を次々と通り抜けていく。そして最後のサビで隠しきれない感情が溢れるかのように轟音のシューゲイザーノイズがボーカルを引き継いで、声で描けない想いを音で叫ぶ。

夏の夜道でイヤホンを耳に突っ込み、この部分を聴いて歩いているといつも涙がこぼれそうになる。切ない。そしてその切なさは当然ながら自分にとってフィクションではない、明らかに知っている感覚やから切ないんよね。そして、夏がその感覚を増幅させる季節だということの証明でもあると思う。

・大きく心を交わし合った相手との思い出がより強く刻まれる季節

恋愛、友情、そしてなんとも名前がつかない関係性。けれどとても密接で、愛おしくて、痛くもあるほどの繋がりを育んだ相手。そして意識的に、または不可抗力で疎遠になり関わることができなくなった相手。「どうして離れてしまったんやろう」「また会うことはできないんやろか」というような相手が、30年ぐらい生きていれば誰にでも一人はいると思う。

誰かと見た、奇跡的なほど美しい朱色の海辺の夕景だとか、浴衣を着て隣にいる誰かの瞳に映る花火の鮮やかさだとか、お互い純粋に本気だからこそ殴り合いになった友情の話とか、水分よりお酒を飲みすぎた結果悪酔いしてふざけ合ったことや、過ちとわかっていても抑えきれない気持ちのまま汗が溶け合うほど体を重ねてしまった夜のこと。

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そして、それだけ心を強く交わし合った相手ほど、なぜか長い間一緒には居られないのが世の常というもので。心にぽっかり穴が空いてしまった自分に気づかないようにするために、離れた直後は気丈に動き回ったり新たな環境に身を投じて一時的に痛みから離れる。けれど、季節が一周しその相手と出会った季節や深く交わし合った季節がまた新しく巡ってきたとき、忘れていた傷に気づくことになる。

その季節が夏だった場合、ノスタルジックな感触が付随されて、どこか遠い記憶の感覚になりながらも妙なリアリティも増幅する。滴る汗、夜風と線香の匂い、お酒の味。在りし日の愛しい相手の声を頭に呼び起こす。そして、その感覚は一度の夏で終わらず、そのあといくら幸せな夏を過ごしても消えない。

・この痛みが確かに誰かを想った強さの証明

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あの日あの時だけの、この世とは思えない朱色をした江ノ島の空は忘れない

切ないだけのこの感情なんて要らないという人が多いかもしれない。でも自分はこの感覚が愛おしい。それだけ誰かを想ったということ、そして確かにあの夏に自分たちは強く心を交わし合っていたのだという事実を強く覚えていられる。

これからまた同じ痛みを味わうとしても、夜道を歩きながら涙が出そうになるくらいの、そんな大きな経験をしたいし、忘れずに生きていたい。新たな幸せを知ったとしても、その痛みがこれまでの自分と今の自分を繋ぎ、愛しい誰かと過ごしたことで今の自分があると教えてくれるのだから。

そして、なんやかんや言うても生きることをやめてないのは、生きてさえいればまたそんな誰かと会って笑い合える日が来るかもしれないと願っているからかもしれない。

以上、何のオチもなく、ただ、この感覚を知ってるであろう誰かとわかりあえたらと思い綴った手記でした。幸せになりたいって気持ちは嘘つきたくないよね。僕も貴方もなれたらええなぁ。今年も夏が始まったね。

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