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亡き兄の親友たち

兄が突然亡くなったのは今から約30年前。
兄が東京の大学に通っていた時だった。

亡くなった時は一時帰省していた自宅でだった。

兄が亡くなったと聞いて、たくさんの方々が弔問に来てくださった。
家族が悲しみの中でも慌ただしくバタバタしている中、ただただ一歩引いた所から見ているしかできなかった(しなかった  が正しいのかもしれない。)私にも未だに忘れられない事がある。

兄の友人や大学の後輩たち、沢山の方々が、遠方から遥々、いち早くと駆けつけてくださった。
中には喪服も用意できないまま、来てくださった。

地元の大人たちの中には、「喪服も着ないで葬式に出るなんて」と苦言を呈された方もいたが、
私たち家族には、そんなことより、兄を想って来てくださった気持ちが何より有難かった。

その後も、数年間は、何人もの方々が兄を偲んで
わざわざ片田舎の実家やお墓参りに来てくださったり、まるで同窓会をわが家でしてくれているみたいな風にみえた。
妹の私を励ますように握手してくださったり、
田舎な実家から距離は離れているが
ハッキリ見渡せる立山連峰を静かに見つめながら「良い所ですね」とただそれだけ呟かれた学生さんもいた。
多くを語るより、言葉にならない想いが伝わってきた。兄がこんな凄い人たちに慕われていたのか、と
兄をまたまた凄いと思い知ったり。


その方々がご結婚された際には私の両親を結婚式にお招きくださったり、また一番の親友の方は
東京に行った際にはガイドさんになって下さり、
たくさんお世話になった。

そして今でも、交流してくださっている。

お子さんが誕生され、ご家族で両親にあいにきてくださったり。本当にありがたい。

兄の死以来、すっかり気弱になった両親にとって、
本当にありがたい支えだと思う。

相変わらず、一歩ひいている私からは、親友さんやご家族のご負担になっていないか、とか気にかかりはするが、とにかくありがたい。

兄に凄いねとか、ありがとう、とか
ちゃんと言ったこと
あったかな。

小さい頃は喧嘩もたくさんしたな。
助けられたこともあったし。
兄が、いわゆるデキル兄だったから、恩恵受けた事もあった。

多分、私は兄に全然返せなかったなー。


🍁🍂
そして、今年は
親友さんが、久々に別の親友の方と実家に来てくださるそうだ。

それを私に報告する父の、嬉しそうなことったら。

昔から私より成績優秀で人気者だった兄は、やっぱり凄い。
親友の方々にも感謝だが、兄の人徳かなと思う。

保育園の先生にも、大きくなるまで大変かわいがってもらっていた。

亡くなった方の御葬儀などで、度々思うのが、
こんなに愛されていたよ、慕われていたよ、悲しんでくださる方々、こんなにいるよ!と
一番伝えたい当事者に伝えられないのが残念すぎる、と。
亡くなるって、そういうことなんだろうが。

私はあまりに友人少なすぎるから、逆にショック受ける気がするから、というか、その理由が全てじゃないが、
わが子たちには樹木葬とか、法律に触れない
周りの手を大変にしない範囲で
できるだけ簡素な形して欲しいと言っている(笑)

と、話は逸れたが、

兄は幸せ者だと思うし、
もっと生きて欲しかったし、と
今更どうにもならないことを30年経っても
時々思う。たぶんこれからも。

そして、兄のおかげで、兄と親しくしてくださった方々から、今でも
なんとも言葉にできない幸せな気持ちを
いただけて、両親をはじめ
私たちも幸せ者だと思う。
親友の方々にも兄にも感謝です🍀

ここで兄が生きていたら、そこに親友の方々がいて、みんなで楽しくできたら、最高に幸せなのになぁ。
幸せたくさんいただいているけど、楽しさの中には兄が居ないことへの淋しさが消えない。

やっぱり命は大切だ。

p.s.  今日9月6日、その方々が、わが実家で泊まってくださるらしく。。古びた実家で宿泊までして下さり、本当に感謝です🙏🥲︎☺️

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