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またちょっと元ブラしたくなってきた

神戸の元町といえばレトロとオシャレが交錯する街。
元町をぶらぶら歩いて買い物を楽しむことを、大正から昭和にかけて「元ブラ」といい、銀座の「銀ブラ」、心斎橋の「心ブラ」と並び称された。

そう、これが大正のモガ・モボが歩いた元町商店街。

写真は真実を写す。
レンズを向けた先の光景をそのまま切り取るから、真実を写すとして「写真」の名が与えられた。

いや、待って。
「真実はいつもひとつ!」と小さな高校生探偵が言っている。
だとしたら、誰が撮っても同じになる?

「真実は人の数だけある」と言う天パの大学生探偵もいる。
そうであるなら、写真は撮る人によって違うものになる。

どうやら後者に分がありそうだ。
誰が撮っても同じなら、プロカメラマンなんて成り立たない。
事実を主観で切り取ったものが真実なのだ。

写真には、撮ろうとしている人の意思が確実に反映される。
それはそうだろう。
きれいな風景に感動してカメラを向ける。
よく見たら右端に汚いゴミが入り込みそう。
カメラをちょっと左にずらす。
パシャリ。
あぁきれいな風景。
そこに汚いゴミがあったという事実は意図的に排除されるのだ。

ここは楽しい場所だから、できるだけ楽しそうに写るように。
ここは淋しい場所だから、できるだけ淋しそうに写るように。
そんな要素ができるだけ写り込むよう現実を切り取る。
そんな要素ができるだけ強調されるよう露出を調整する。
そうやって真実を写すから「写真」なのだ。

これも同じ元町。

もしこの写真をこの記事の冒頭に載せ、こう書いていればどうだろう。

神戸の元町といえばレトロとオシャレが交錯する街と思われている。
しかし地方の疲弊はここ神戸・元町にもこうして現れている。
何が「元ブラ」だ、笑わせるな。

好意はより好意に、悪意もより悪意に増幅することができる。
撮影者の意思を如実に残せるのが写真だ。
その点で、写真も絵画も同じといえるだろう。

ちなみにだけど、最後の2枚の元町も僕は好き。
冬にも等しい、無に秘められた生のエネルギーを感じるのだ。

またちょっと元ブラしたくなってきた。

(2022/12/29記)

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