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その話をしたのは、10年ほど経って時効になってからのことだ

初めてケーキを作ろうとしたのは、大学生の時だった。
突然天命を帯びたごとく、ケーキを作らなければと思ったのだ。

僕の住んだ下宿は、かぐや姫の『神田川』を彷彿とさせる共同住宅だった。
さすがに「3畳一間」ではないが、自分のスペースは6畳一間だけ。
キッチンは共同だったから、自炊することは稀だった。
そこにきて、突然のケーキだ。

おそらく、そこに見え隠れするのは彼女の存在だ。
「今日、ケーキ焼いてん」
「えー! すごーい! おいしいー!」
そんな単純な展開を夢見たのだろう。
もちろん夢は夢、現実はそうはならない。

ケーキとはつまり、小麦粉に味をつけて焼いたものだ。
あまりに単純化しすぎてケーキ愛護団体からクレーム出そうだけど。
でも小麦粉がベースであることは疑いようもない。
そして、自炊しない男子の下宿に小麦粉がないことも常識だ。
今思えば、そこで気づいてほしい。
今の僕にはケーキはムリだ、と。

しかし、若いとは恐ろしい。
小麦粉? そんなんないわ…でもピーナッツならある。
砕いて粉にしたら、小麦粉とおんなじやん。
いや、無知とは恐ろしい。

僕はおつまみピーナッツを砕きはじめた。
包丁で刻み続けるだけでは、みじん切りが精一杯。
どうせならペンチか万力がほしかった。

ゴロゴロの刻みピーナッツを前に、何かが違うとちらっと思ったが、ここからおいしいケーキになるとまだ信じていた。
あとで彼女からもらうはずの言葉が僕を励まし続ける。
「ピーナッツで? すごーい! よくやったねー!」
ホント、よくやった。

刻みピーナッツに卵とマーガリンと砂糖を混ぜ混ぜしてトースターで焼いたものが膨らむはずもない。
できあがりをどう受け入れたらよいのか、それは実際にやったことのある人たちだけの秘密の世界だ。

フロランタン的仕上がりを想像する人もいるかもしれない。
いや、まことに想像とは人類に与えられたすばらしい空想能力だ。
フロランタン? おつまみピーナッツが? なるわけない。
おつまみピーナッツは塩味がきいているのだ。

卵がけ刻み塩味おつまみピーナッツ油砂糖まみれは、発火するのではないかと思うほど激しく焦げた。
ごく一部の可食部を救出するため、僕はできあがりを砕いた。
砕いて作ってまた砕く…
その作業が永遠に繰り返されるのではないかと少し怖くなった。
そして一口かじって、今度はかなり怖くなった。

「小麦粉なかったからピーナッツでケーキ作ろうとしてん」
彼女にその話をしたのは、10年ほど経って時効になってからのことだ。

「お父さんね、昔ピーナッツで…フヒヒ…フハハ…ギャハハ…」
かみさんとなった彼女は、たまに子供にそんな恐ろしい話をする。

(2022/10/27記)

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