初代デスノートのある頁

初代デスノートをを実家から回収してきた。最後の日付が唯一読みごたえがあったので公開しておく。モノを書くということに技巧を凝らしたわけでもなく、ただ思ったことを書いてあるだけなので悪しからず。

以下

Y大学に落ちた。それ以上にS大学の入学手続きで色々と心が折れた。打たれ弱い。現在浪人の5月並みにめそめそしているわけだが、結局の所この一年における辛さの原因は、自分が優秀であることの外部世界の確証が無い事が一番かもしれない。

入試行脚の中で大学も頭が良くて面白い人たちにまみれた世界ではないのは薄々と感じ取れた。この先どこへ行っても、凡人で95%が占められる集団しかないのかもしれない。

あまり後悔とかたらればというものはしたくないが、中途半端が一番辛いとか思いつつ、中途半端なことしかせず、何も生み出さず何も動いていない事は否めない。

まあ、人文学の世界に進出し、文章力、英語力が上がったのは受験からの収穫であるのは事実であろうから、今後は自分が何を語って周りの人間が何ができて何ができないのか、見極めることが自己肯定感への第一歩なのかもしれない。少なくとも頭が良くなった実感はあるんだな。ただこれを経済的自立に役立てられるか、その確証が持てないのが今自分が泣いている一番大きな理由だろう。この憂鬱が一過性のものであることを願う。とりあえずS大学は何となく嫌だ.

自分が優秀であるという確信について、有名大学の合格や他者からの承認という外的な裏付けを得ることができないという日々が続くと辛い。来年大学なんて行かず、フリーターになって地に足がついた感覚が欲しい。何か生み出している実感が欲しい。中学の頃からどう自立するかのみに縛られ、惨めにも他人より1年遅れても実現できず、方や私大前提で受験を終わらせた親不孝者が多くいる。

そこそこの高校、有名どころの大学というレールから外れなかった友人たちに会いたくない。嫉妬ではなくほんのちょっとの差で、というか私より知識も知見も世界が狭いが故にレールから外れなかった友人たちを、違う世界の住人だと近くから眺めねばならないことが辛い。他人といるときに感じる孤独ほどきついものはない。

恐らく私は親の投資額以上のものは生み出せず、その事実に振る舞いや行動を圧し潰され続けるのは浪人が終わっても続く気がする。他人はもっと図々しい。都内の私大に親の金で行く事に躊躇いはなく、緩いバイトで悠々自適に暮らし、高校時代の私より低い完成度で社会へ出ていく。

自分が思っているよりずっと生きづらい性分なのかもしれない。同じ年に中腰で同じ目線のふりをし続ける生活が復活するかもしれない。でもずっと一人も地獄、色んな年代の人のいる社会に出てみたいというのが今の素直な欲だろう。

でも自己実現は夢のまた夢。自分には世間一般の幸せを達成する能力はなかった。それを怠惰以外で片づけない人間は居てくれるだろうか。受験勉強に拒否反応を覚えるということを理解する人はいるのだろうか。


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