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第五作品目『ヴェネツィア共和国の神君 我等の親愛なるドージェの遺徳』

1 『ヴェネツィア共和国の神君 我等の親愛なるドージェの遺徳』の発売

 平素より、拙ブログ・拙サイト・拙作をご覧になって下さっている読者の方々に、深謝の念を申し上げます。
 実に皆様方のおかげ様により、この度、遂に第五作品目『ヴェネツィア共和国の神君 我等の親愛なるドージェの遺徳』が、正式に発売することが出来ました。謹んでお礼を申し上げます。

2 『ヴェネツィア共和国の神君 我等の親愛なるドージェの遺徳』の紹介

 拙作は、かつて愛好しては楽しく遊び尽くしたゲーム「Medieval II Total War」の思い出と、前回の拙作の完成を通じて得た自分の哲学的な研究に観念等から、円熟した孤独な「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」を著述した帝王学の書であり、また、『論語』と並んで、自分の志学に決定的かつ絶大な影響を与えた『晏子春秋』を最重要参考文献として著述した哲学書である。
 晏子は自分が深く尊敬してやまない古哲の御仁の一人であり、晏子の思想と言行は、前回の拙作の題名とその趣旨である「愛国的個人主義」という思想の形成に決定的な影響を与えた。拙作は、そんな自分が深く尊敬して止まない古哲の御仁である晏子の理念、また無念、そして遺徳を、真心を込めて、確りと学び受け継いでは、誠心誠意を以て奮励努力して、発展的かつ独創的に温故知新を以て著述した。
 拙作が、今現在、政治の不信や腐敗に無関心がますます加速し続ける我が第二の祖国日本にて、少しでも国家の改善や改革に革新に貢献したり、少しでも各個人の知的な助勢の一つとなれば、幸甚の至りである。

「Medieval II Total War」とmod「Third Age Total War」

晏子

3 拙作の概要

 以下は、拙作の概要となる「序文」であり、物語の概要となります。

 私達「十人委員会」寛而栗・柔而立・愿而恭・乱而敬・擾而毅・直而温・簡而廉・剛而塞・彊而義・道之以徳は、誠に謹んで、元首ドージェの死に対する哀悼並びに哀惜の念を、ここに示させて頂きます。
 我等の親愛なる元首がこの世を永遠に去ってしまわれて久しく、私達もまた、臨終を迎えている身であり、もうすぐ元首と同様に、こよなく愛する我が祖国とこの世を永遠に去ることになってしまいます。時代が下ると、道が廃れては、徳が衰えて、仁義が失われるのは、人が乱れる道であり、そして何よりも、ああ、他ならぬ、天が定めた道なのです!
 我等の親愛なる元首は、かつて道の如く、急功近利・小利大害・以身殉利等に満ち溢れて、退廃し切っていた祖国を、先義後利・忠勇義烈・舎生取義等を以て、上医医国の如く、抜本的に匡救きゅうきゅうしては、徹底的に矯正して、飛躍的に再興させ、救国済民を初志貫徹正し、最期の最後の瞬間まで、祖国並びに人民を誠に忠愛して下さった御仁であり、神君でございました。私達は、元首に半世紀以上に亘って勤仕しては、苦楽禍福を深く分かち合いながら治国して、共に深い絆のある切磋琢磨と相思相愛の君臣関係と友人関係を成し遂げました。故に私達は、元首を誰よりも匡弼きょうひつし、元首の仁恵を、誰よりも、そして、最も身近で、最も長く・多く・大きく・広く・深く浴しておりました。
 我等の親愛なる元首がこの世を永遠に去ってしまわれて久しく、そして今現在、こよなく愛する我等の祖国では、道が完全に廃れており、そして風前の灯の如く、徳が衰えて、仁義も失われつつあり、私達もまた臨終を迎えている身です。至極当然であり、そして、実に残念ながら、こよなく愛する我等の祖国は、再び新しい数多の国難に直面しております。私達はもはや、祖国を救済しては、人民を慈愛して、徳政を再現することは出来ません。ああ、我が祖国は今正(まさ)に、道を廃れさせては、徳も衰えさせて、仁義を失なわせているのです!
 しかし不幸中の幸い、私達は元首の仁恵を誠に体得しては、元首が成して下さった道を誠に継承して、元首の遺徳を誠に学修することが出来、そしてまだなんとか辛うじて生きているので、志を以て、この書物を著述して後世に遺し、後世の、懐疑心や批判的思考に挑戦意欲に満ち溢れた知的な新進気鋭の紳士淑女の方々が学習して下さることを、切に願っております。
 先哲の箴言に「遠き慮りなければ必ず近き憂いあり」とあり、また先哲の至言に「遠きに行くには必ずちかきよりす」とあるように、かつて元首は、人民が、政治が身近な大事であるということを学び知って、慮ろうとせずに、有ろう事か逆に、政治を遠方の余所事や難事であると誤解し、それによって、憂い事が多発しては激増して止まなくなるという惨状を改善するために、率先垂範して先憂後楽に努め励んでは、不言実行を以て人民を𠮟咤激励し、率先励行して先難後獲に行い挑んでは、公明正大を以て、久しく利に走ってはさとり続けて来た我等の商都ヴェネツィアの巨富が、義を思って喩り始めることが出来るように、忍耐強く導いて下さったのです。その高遠な理想を現実化させることに成功した元首は、まず至近である物・知・心・意・身を確りと学び修めては、次に身近な親近者達・知人達・関係者達・集団・団体・組織と善く交流して、そしてどうしても物理的・社会的に遠い人民と親近関係を構築するために、反聴内視に努め励んでは、民徳を確りと汲(く)み取って、国策が誠に人民の利益並びに福徳になるように、奮励努力や創意工夫して下さっておりました。
 私達は、元首の忠臣達として、そしてこの国の愛国者達として、数多の深い義憤や悲哀に危惧の念等をも含めて、自分達の人生は、本当に素晴らしくて幸せなものであったと、心の底から誠に想っております。今、私達が抱えている激痛や辛苦に絶望等は、本当に幸せであるという数多の証拠です。思うに、疲れに痛みや苦しみ等の無い本当の幸せは無いです。私達は後世の紳士淑女がこの書を味読しては、遠大な国利国益を慮って、本当の私利私益を善く得られることを願っております。

 「十人委員会」の本来の意味は、かつてのヴェネツィア共和国においては、十人から構成される評議会と統治機構であるが、この拙作では、委員会の十人は、生前の元首の忠臣達にして諫臣達、心友達にして師友達として登場しては、生前の元首に対する追慕と追想をしていく形となっております。

 「寛而栗・柔而立・愿而恭・乱而敬・擾而毅・直而温・簡而廉・剛而塞・彊而義」は『書経』(皐陶謨)を出典とする九徳であり、「道之以徳」は『論語』(為政 2:3)を出典とする四字熟語です。

3 拙作の一部の紹介

 拙作の各章から一部を抜粋して、以下の通りご紹介させて頂きます。

⒙元首はしばしば、「法の下の意義は、正や善の保護と偽や悪の懲罰であり、法の中の意義は正や善の勧奨と偽や悪の抑止であり、法の上の意義は、正や善の学習であり、偽や悪の反省であろうな。」と仰っては、自ら率先垂範して法理を学修されて、御自身の社会性や公共心に、礼儀作法や習慣、そして善行や徳行を鍛錬かつ洗練されておりました。

第一章 元首と私「寛而栗」

⒊元首が「不公平や理不尽に残忍性は世に甚だ多く、公平や合理に人情味は甚だ少ない。一体どうすれば、前者を激減や抑制しては、後者を激増や維持することが出来るのだろうか?」と問うた時、私は「これこそが、至公至平なる天の理と徳に因る道でございます。人民がそれに同調かつ隷属することは運命であり、そして元首がそれに調和的に遵守しつつも反抗することもまた、運命なのでございます。『君子は和して同ぜず小人は同じて和せず』、元首は必ずや御自身で運命を切り拓いていって下さいませ。」と答えました。その後、元首は遂に、天を怨まず、また天に願いもせず、そして人を咎(とが)めず、また人に求めもせずに、誠心誠意を以て、天を崇拝しては、諸々を己自身に求めて学んで、人や事を善く選んで博(ひろ)く学ばれました。

第二章 元首と私「柔而立」

⒏元首が「有害な質素はどういったものであり、有意義な修飾はどういったものであろうか?」と問うた時、私は「ただただいたずらに健康を害してまで心身を引き締めようとしたり、いつまでも思って知るだけで、学びしろうとしなかったりすること等が、有害な質素であり、徳を具現化させた美を以て修飾したり、徳性滋養のために、まず感覚を楽しませては、次に知覚を高め深めて、そして徳を育むための美を以て修飾したりすること等が、有意義な修飾でございます。」と答えました。元首は「善し」と仰っては、すぐに私の発言を実践的かつ発展的に理解して下さいました。

第三章 元首と私「愿而恭」

⒉序盤では、元首は吉事や善事に合法や正道の書物や物事に人物等ばかりに注視し続けて、安心感や満足感等に浸っておられたため、私は苦学や熟知等を拒絶し続ける元首に対して、毎日に亘って遠慮なく極諫きょっかんし続け、遂に元首は御自身の意図的な無知や無学等を根本的かつ徹底的に打破して下さり、そして中盤から、苦学や熟知に努め励んでは、凶事や悪事に違法や邪道の書物や物事に人物等にも注視し続けては、数多の深い不快感や絶望感等を次々と得続けて、心身共に疲労困憊ひろうこんぱいし、磨揉遷革を敢行され、政治では貪(どん)官汚吏どもからの猛反対・民間では烏合之衆どもからの猛反発・外国では四方八方からの猛抗議を激しく被り続け、一時期は、暗殺未遂やクーデター未遂等に、不服従や暴動等、経済制裁や内政干渉が多発し続け、元首は精神病を発症する寸前までとなられましたが、私は、「精神一到何事か成らざらん」・「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり。」・「為す者は常に成り、行く者は常に至る。」という先哲の格言を以て叱咤激励し続け、こうして終盤では、元首は遂に磨揉遷革を完遂しては、政府の綱紀粛正・民間の強理勁直きょうりけいちょく・主権国としての富国強兵を達成して、人民は政府に親近感や忠誠心を大いに懐いては、国民精神や愛国心等をも懐き、そして元首は軍を自ら統率しながら大反攻に出て、武力干渉して来た諸国の軍を完膚無きまでに粉砕した上に、各国に逆進攻をもしては戦勝し、こうして諸国は、我が国の国威並びに国力を大いに怖れては、元首の徳望に畏服して、我が国は国際的な経済活動を新たに確立させ、更に、新たな強き主権国家体制を構築することが出来ました。

第四章 元首と私「乱而敬」

⒗元首は、深く知っては欲を無くしていき、勇気を洗練しては学芸を修得され、礼楽を以て学徳を文飾され、利益をご覧になると道義を思慮され、危難をご覧になると天授の使命を思慮され、平生からの重要な美言・箴言・格言等を決して忘れずに実践し続けられた、まさに成人でした。

第五章 元首と私「擾而毅」

⒖元首は、幼年達からは懐かれ、青年達からは親しまれ、若年達からは憧れられ、中年達からは習われ、老年達からは頼られておりました。元首はそれらを以て、幼年達から公衆衛生や医療に社会保障等の改善や向上を学び続け、青年達から体育や知育に徳育等の改善や向上を学び続け、若年達から勤労や娯楽に学問等の改善や向上を学び続け、中年達から法学や犯罪学に経済学等の改善や向上を学び続け、老年達から情報哲学に認識論や存在論等の研究や応用等を学び続けておりました。こうして、元首は三十歳から八十歳まで、半世紀以上に亘って治国して下さいましたが、我が国の上も下も同も、その世代間交流は極めて良好で、相思相愛の関係があり、また国政から民心に至るまで、その変化は国内外の情勢の変化に極めて善く適応したものでした。

第六章 元首と私「直而温」

⒘元首は、政治家でありながらも慈善家であり、権力者でありながらも奉仕者であり、商人でありながらも義人であり、豪傑でありながらも御仁でした。なぜなら元首が、利益を副として仁義の主とされ、承認を路として孤高を道とされ、形式を末として内容を本とされ、成功を途として継続を的とされたからあり、そして元首は誠に徳政・仁政・善政・民政等を最後まで続けて下さいました。

第七章 元首と私「簡而廉」

⒔超大国や周辺諸国は当初、我が政府及び我が人民、並びに元首を惑溺させては堕落させるために、数多の、淫乱な美少女達や蛮勇の美男達、大量の珍味の嗜(し)好品や華美な奢侈品しゃしひん、受動的で他律的な運命論や人生論、インチキだが極めて巧妙な商売・占い・説法等を我が国に流入させました。我が政府に警察や軍隊は、これらを厳しく排斥しようとしましたが、元首は私に「厳正な検閲も、寛仁な応対に遥か敵わないものだよ。」と仰り、率先垂範のために自ら出向いてこれらに応対し、淫乱な美少女達や蛮勇の美男達には、毅然きぜんとした態度と威儀を以て応対し、大量の珍味の嗜好品や華美な奢侈品を快く楽しみながらも、労働者達や極貧の貧民達のことを想っては、悲哀と落涙を以て詩や歌等を作り、そして厖大ぼうだいな私財でこれらを買い占めて、苦学力行する貧民達や節倹力行する病弱者達に全て施し、受動的で他律的な運命論や人生論には、善く傾聴しつつも、先人達の奮励努力や科学の進歩等の故事を引き出して、能動的で自律的な運命論や人生論を説かれ、インチキだが極めて巧妙な商売・占い・説法等には、懐疑的で合理的な問答法を以て徹底的に追究し続けて、徹底的に反論や批判に論駁ろんぱくし続けました。こうして元首は、超大国や周辺諸国の陰謀を知的に完膚なきまでに打破した上に、経済的・精神的・学術的な博施済衆を成し遂げられ、国内外の人々は元首の業に感激しては畏服し、元首の仁徳や智徳・礼儀や信義・忠義等に心の底から誠に深く敬服しました。

第八章 元首と私「剛而塞」

⒉元首には愛妻がいらっしゃいました。元首と奥様の夫婦関係は極めて良好で、御二人とも誠なる相思相愛の関係にございました。奥様の御父様は政商でしたが篤志家・愛国者の御仁であり、そして奥様もまた、の御父様の御遺徳を善く学び受け継がれた篤志家・愛国者の御仁でした。御父様が暗殺されてしまった後、孤児となった奥様は、元首の仁政で救救助され、後々に奥様は元首に見出されて、交際を経て結婚されました。国難の克服と救国の達成を果たすために、御二人はなかなか御子様を御作りになられませんでした。奥様は内外共に極めて美しい御方で、慈悲深く、向学心・愛国心・道義心に満ち溢れた御仁であり、老若男女問わず人々に敬慕され、私達十人委員会と深交を結んでは、影で元首の修徳と徳政を大いに助成して、絶大な内助の功を成し遂げられました。後に国難の克服と救国の達成が果たされ、国内外の安定すると、遂に奥様は懐妊されました。しかし、奥様は出産後に、助産師や医者の方々の懸命な救命も虚しく、奥様も御子様もお亡くなりになってしまいました。元首はもちろんのこと、私達十人委員会、そして、国中の上からの下に至るまでの老若男女の人々が痛哭つうこくしました。そして全国各地から次々と、元首宛ての莫大な寄付金と寄贈品が国都ヴェネツィアに集まりました。元首は人民に深謝しつつも、「私は国家指導者であると同時に一国民です。私のような不幸に遭われた方々もまた、数多くおります。どうして私だけがこれ程の好意・善意・懇意等を受け取って善いのでしょうか?そして私のこよなく愛する妻は、常に『雲行雨施の如く、汎愛博施の明君にして仁君になられて下さい。』と進言してくれました。そして私は物質的にも精神的にも恵まれている富貴福沢の不徳な国君です。つきましては、恩送りさせて頂きます。」と仰っては、全ての寄付金と寄贈品、そして奥様のほとんどの私財を、救恤(きゅうじゅつ)に投じました。こうして、後に我が国はこの出来事を切っ掛けに、公的扶助と私的扶助が大いに盛んになりました。

第九章 元首と私「彊而義」

 そして最終章では、偉大な神君である元首が築き上げた偉業は、最終的に祖国並びに人民によって達成されると同時に、祖国並びに人民に台無しにされるという、悲しい物語として終わります。

 元首は臨終の際、私達は元首の死後にどのように祖国に忠勤・献身・奉仕するべきかを問い続けましたが、元首はあくまでも、人々への深謝と恵愛の御言葉をはじめ、私達への深謝と友愛の御言葉と、私達の健康に私的な利益・喜楽・幸福の為になる助言ばかりを下さり、祖国に忠勤・献身・奉仕等に関すること、そして、政府や群臣に公務員達等への忠告等は、意図的に最期の最後まで決してお答えされませんでした。元首の死後、国内外の上から下に至るまで、老若男女問わず、大勢の人々は元首の死に慟哭どうこくし、その国葬も史上最大の規模のものであり、我が国都ヴェネツィアでは、大勢の人々の慟哭の声と数多の弔砲の音が鳴り響き続けました。私達もまた、元首の死後は、三日間に亘って慟哭し続けては、三週間に亘って号泣し続けて、三カ月に亘って落涙し続け、そして少しずつ元首の死を受け容れては、深い悲しみから少しずつ立ち直ることが出来るようになりました。

 その後、元首の遺業を我が国と諸国の政府と人民が引き継いで、遂に諸国民の合意を経て、悲願のイタリア統一が成され、ヴェネツィアを国都とするイタリア共和国連邦が誕生しました。しかしその後、新しき我が祖国と人民は、飛躍的な経済の成長や発展に技術の激増や革新が実現していく一方で、反比例の如く、道徳心や倫理観に、義理人情や忠勇義烈、そして愛国主義や徳治主義までもが一気に衰退していき、そして覇権主義や帝国主義等が勃興するという、恐れていた最悪の事態が、遂に起こり始めてしまい、争名奪利・過当競争・貪官汚吏等が再び激増し始めてしまったのです。こうした私達は、元首がなぜ私達の質問に意図的にお答えせずに、私達の私事ばかりを心配して下さったかを悟り、そして元首の先見の明と達観された仁智を、先哲の格言「功成り名遂げて身退くは天の道なり」と共に、深くかつ痛々しく思い知ったのです。儚くて、虚しく、空しいです…

 つまり、この物語は、諸行無常をはじめ、「上」や「指導者」に「リーダーシップ」(政治家や経営者に教育者等)等の重要性だけではなく、「下」や「服従者」に「フォロワーシップ」そして「上からの改革」等の重要性を強調しつつも、「政治は政治家の仕事」・「経営は経営者の仕事」・「教育は教育者の仕事」等という無意識の受動的な固定概念を打破し、「政治は人民の仕事でもある」・「経営は労働者の仕事でもある」・「教育は学習者の仕事でもある」等という自主的で能動的な「下からの改革」の重要性をも強調した哲学的な歴史小説・言行録です。「本当に求めるのであれば、己から始める。」これこそが、民主主義・自由主義・個人主義等の大本にして醍醐味ではないでしょうか?

戦後教育におけるいくつかの原則が信を失い、民主主義の語も輝きを失ったかのように見える今日、教育の価値、目的はどのように思考が可能か。プラグマティズムの再考を軸に、現代の教育思想の地図を詳細に描き、アートによる学びの場をひとつのヒントに、個性が共同する学校をデザインしなおす書。

4 謝辞

 出版社の方々に深謝の念を示します。

 次に、外勤で一緒に働く、誠実かつ勤勉な医療従事者の先輩方・同輩方に、深謝の念を示します。

 最後に、誰よりも、父に深謝の念を示します。快適かつ確実に生活に、研究・思索・執筆等の諸活動が出来る環境を、経済的にも物質的にも、精神的にも学術的にも、提供して下さっていることに、本当に深謝の念に堪えません。同時に、父方祖母・叔父にも深謝の念を示します。

 そして、逸早く、経済的に完全に自立しては、家計に本格的に貢献できる一員になれるように、奮励努力して創意工夫して参ります。

5 結語

 読者の皆様方、もし宜しければ、拙作のご購入と、ご感想の投稿の程、宜しくお願い申し上げます。
 拙作が、読者の皆様方に、精神的・思想的・理論的、そして、実践的・社会的にも、本当に役に立つものになることを願ってやみません。著者自身である私も、自ら著述した思想や理論、教訓や理想等を、実践や応用していきます。
 謹んで、御礼を申し上げます。
 そして、これからも、まだまだ余りにも大変拙いブログ・サイト・著作を、真剣な自己啓発や自己批判に、挑戦的な格致日新を以て、改善に発展や進歩させて参ります。

 他の拙作も、宜しければご覧くださいませ。

何卒宜しくお願い申し上げます。

6 参考となる文献

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。