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聖フィーナの物語(2) フィーナの死と奇跡

聖フィーナの物語(1)から続きます。

サン・ジミニャーノという町に住むフィーナという10歳の少女が
身体が麻痺する病気にかかり、樫の裸木の上で闘病しながら5年間、祈りと苦行の日々を送ったお話を、ドメニコ・ギルランダイオの絵画とともに紹介しています。

その後のフィーナについては、
サン・ジミニャーノの参事会コッレジャータ教会のサンタ・フィーナ礼拝堂にあるドメニコ・ギルランダイオの壁画に描かれています。

「聖フィーナに死のお告げをする聖グレゴリウス」
ドメニコ・ギルランダイオ

1253年3月2日、フィーナのもとに大聖グレゴリウスが現われ、
自分の命日である3月12日(聖グレゴリウスの祝日)にフィーナも天に召されることを伝えます。

「親愛なる娘よ、イエス・キリストの名において準備してください。
なぜなら、私の祝日の日、あなたは自分の霊を神に捧げるでしょう。
神は、この現世で耐え忍んだ労苦と悔い改めに対して、あなたに報酬と栄光を与えてくださるからです。」

大聖グレゴリウスというのは、ローマ教皇グレゴリウス1世(在位590-604)です。

フィーナはこのヴィジョンが薄れていくなか、
心を込めて、神と聖人に向けて歓喜の賛歌を歌いました。
いつもフィーナを介護している女性たちが彼女に近づくと
これまでに見たことがないくらい、
フィーナの顔が幸福で輝いていることに驚きました。

この絵の2人の女性はボナヴェントゥーラとベルディアで
フィーナの世話をしていた人達です。
右端にいるベルディアはフィーナをとても愛し可愛がっていて、ずっと看護していたようです。
よく見ると右手でフィーナの頭を持ち上げてるんですね。
堅い板から頭をすこし持ち上げるとフィーナが楽だと気付いて、夜も昼も腕で頭を支えていたというのです。

今回の記事を書くために、昔イタリアで買った冊子を読むまで、この2人が誰なのか知りませんでした。
そして、初めて拡大して絵を見ると、確かにフィーナの首の付け根を支えるようにしています。
後ろのテーブルにはリンゴとザクロ、そしてワインが置かれています。

そして予告通り3月12日、フィーナは亡くなりました。
まだ15歳でした。

遺体を板から動かそうとしても、それはほぼ一体化していたそうです。
人々が力づくで彼女の身体を板から離したとき、
突然、金色のスミレがその板から咲き初め、
フィーナの身体から甘い香りが放たれました。
床ずれで腐敗した部分からは、特に強く良い香りが漂い、
人々は、自分たちが遺体を前にしているのではなく、
花の咲き乱れる庭園の中にいるように感じました。
そのため、フィーナは「スミレの聖女」とも呼ばれます。

そのスミレは、サン・ジミニャーノの街中にまで咲き広がり
誰も鳴らしていない教会の鐘が響き渡りました。

「聖フィーナの葬儀」
ドメニコ・ギルランダイオ

聖フィーナ礼拝堂にある、もう1枚のギルランダイオの絵、「聖フィーナの葬儀」です。
遺体は美しい布のベッドと房のついた枕の上に寝かされています。
背景にサン・ジミニャーノの塔が描かれていますね。
濃い青と金の布と、フィーナのバラ色の衣装がとても美しいです。

聖フィーナ礼拝堂は、教会のなかでここだけ有料だった記憶があります。
(現在はどうなっているかわかりません)
どのくらい近寄って見られたのか、だいぶ前のことであまり覚えていないのです。

こちらの絵も、冊子を読みながら、今回はじめて拡大してよく見てみたのです。
そうしたら、真中でフィーナとの別れを惜しんでいるように見える女性、
よく見ると、フィーナの右手のほうが彼女の手に触れています。

えっっ! 遺体だけど??!

この女性は、フィーナに付き添って彼女の頭を支えていたベルディアです。

彼女はふたつのことに苦しんでいました。
ひとつは、娘のように愛した少女と別れなければならないこと。
そしてもうひとつは、自分の手と腕が麻痺していることに気づいたのです。

彼女はフィーナの遺体に語りかけました。
「あなたはいま楽園にいて幸せです。でも私はこの腕と手で何ができるのでしょう。どうやって生計を立てたらいいのでしょう・・・」と。

すると彼女の内側から声がしました。
「ベルディア、あなたはフィーナがどれほど苦しみ、イエスの愛のためにどれほど忍耐していたかによって、彼女が神聖であることを誰よりもよく知っています。ですから後悔するのではなく、彼女に頼ってみてはいかがでしょうか。」

この呼びかけに駆り立てられて、ベルディアは熱心にフィーナに祈りを捧げました。
すると突然、彼女は驚き震えました。
横たわっているフィーナが右手を上げ、病んでいるベルディアの手を取り、指を一本一本握り、長い時間愛情を込めて愛撫し、そしてまた腕を棺の中に引っ込め、動かなくなったのです。
(絵は寝台のようですが、冊子には「棺」とあります)

周りにいた人たちは息を止めてその光景を見つめていました。
ベルディアが両手を上げて狂ったように叫ぶと、
まわりの人々も彼女に同調して、
奇跡だ!奇跡だ! と、驚きを爆発させました。

このことはすぐに町中に広まり、身体に苦痛を抱えた人たちがフィーナに祈ることで治った、という奇跡が続けて起きました。

フィーナの足を触っている少年?は目が見えるようになったとか?
(この記述はまだ確認できていません。)

礼拝堂には、フィーナが寝ていた板も安置されているという記述もどこかで見たのですが、残念ながらあったかどうか、記憶にないのです。
町のどこかには安置されているはず。

このフィーナという少女のことは、
サン・ジミニャーノの町に行かなければ、なかなか知る機会がないようです。
もともとサン・ジミニャーノという町の名は、モデナの司教ジミニャーノという聖人から取られていて、彼が没したのが今のサン・ジミニャーノの地だったとか。
フィーナの人気がすごかったので、のちに彼女も町の守護者になったようです。

**
最後に、ドメニコ・ギルランダイオという画家についてすこし。
実はこの画家についてはあまりよく知りませんでした。
15世紀後半のルネサンス期にフィレンツェで活躍した人です。
ギルランダイオはあだ名で、「花飾りのドメニコ」という意味だそう。
本名はドメニコ・ディ・トンマーゾ・ドッフォ・ビゴルディ(長い・・)。
多くの弟子のひとりにミケランジェロがいます。

よく知らないと書きましたが、
誰の絵と知らずにピンタレストで保存していたりしました。
彼の絵は、当時の服装がよくわかるのです。
Wikipediaには「当時のフィレンツェの実在の人物や日常生活が描き込まれ、宗教的な厳粛さよりは世俗性が勝っている。」とありますが
「あーこれ、ギルランダイオだったんだ!」と、今さら思っています。

「洗礼者聖ヨハネの誕生」
ドメニコ・ギルランダイオ
(フィレンツェ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 トルナヴォーニ礼拝堂)
真中の淡いピンク色の女性の服装が好きでピンタレストに保存していました。
トルナヴォーニ家の女性のようです。

今回の記事を書いたことで
フィーナのことを以前より詳しく知ることができました。
フィレンツェに行く機会があれば、
サン・ジミニャーノに日帰り遠足も楽しいと思います。
私もまた行きたいなぁ。

*サンジミニャーノには、以前ご紹介したフィリッピーノ・リッピの「受胎告知」もあります。

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