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南樺太地名集 〈序 出典 凡例等〉
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序 嗚呼樺太!北海道の北に霞むかの島は、樺太の骸Сахалинである。かつて南樺太の随所に存在したアイヌ、ニヴフ、ウィルタ等の少数民族の地名は日露戦役後の日本統治時代には積極的に地名として使われ続けていた──ただし、同時にそれらの地名を採用する際に、もともとの地名を大きく損うような漢字の当てはめや地名の省略がなされたことも指摘しておかなければならない──が、昭和20年のソヴィエト連
南樺太地名集 〈地形篇土系の部 泊居町・名寄村・久春内村〉
近菱岬
近󠄁菱󠄀岬 ちかひしみさき
帝:м.Чикай チカイ
現:ー
N:47.6810 E:142.0018
泊居町域内。アイヌ語由来。近菱付近に存在する。ヌに見える。
|ネ:チカイ岬 オ:チーカペシポ岬 ヱ:チーカペシポ岬 ぬ:チヘカベシホ岬
レイチルスカ岬
ーみさき
帝:ー
現:ー
N:47.7632 E:142.0495
泊居町域内。アイヌ語由来。泊居市街地のうち
南樺太地名集 〈地形篇山系の部 泊居町・名寄村・久春内村〉
安心峠
あんしんとうげ ーたうげ
帝:ー
現:ー
N:47.6273 E:142.0288
泊居町域内。日本語峠名。追手川とその支流たる追手川第一支流の合流地点野北傍、下追手と第一支流殖民地を結ぶ道上に存在する。標高117m。
桜山
櫻山
帝:ー
現:г.Крымская クリィームスカヤ
N:47.5562 E:142.1162
泊居町域内。日本語山名。上追手の東3kmの処に
南樺太地名集 〈地形篇水系の部 泊居町・名寄村・久春内村〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
★ 樺太庁「樺太油田調査報吿󠄀第一號󠄀附圖󠄀」1932
追手川
追󠄁手󠄀川󠄀 おうてかわ おふてかは
帝:フ' р.Отэккоро オテッコロ
現:р.Новосёлка ナヴァスョールカ
N:47.6623 E:141.9980
泊居町域内。追手にて海に注ぐ。旧名オテッコロ川。
|⑨:ヲデコロ川 イ,ニ:ヲッテコロ河 ロ,
南樺太地名集 〈地名篇久春内村〉
問平
問平󠄁 といひら とひひら
帝:―
現:―
N:47.9659 E:142.1991
アイヌ語由来。久春内の南2.5kmの処に位置する。旧名エタレネトイヒラ。
|ほ:エタン子トイヒラ
久春内
久春內 くしゅんない
帝:Косунай コスナイ / フ' Кусунъ-най クスンナイ / Ильинскій イリイーンスキー
現:Ильинский イリイー
鳥島列嶼のアイヌ語地名
鳥島列嶼は3つの島により構成される(小谷島、散島、尖島)幌筵島の属島であり、荒畑崎沖合に位置するが、それぞれにアイヌ語名が存在する(なお、鳥島列嶼の東北東に位置する白岩については分からなかった)。
・ガニムシル・・・・尖島
・コタニムシル・・・小谷島
・チリムシル・・・・散島
小谷島と散島についてはアイヌ語に由来することが分かる。なお、どの島もおよそ人が住めるような環境ではないが、コタニム
占守島のアイヌ語地名(旧版)
増補版↓
千島列島はアイヌの文化圏であって古地図を見ればいくらでもアイヌ語地名が出て来るのであるが、残念ながら日本統治時代にはそれらの地名は尊重されず、無味乾燥な日本語地名が当てられることが多かった。故にそれらのアイヌ語地名は後世には忘れ去られてしまい、歴史の墓場に葬られようとしている。冒頭に掲げた画像は偉大なる先達、鳥居龍蔵の『千島アイヌ』の序文であるが、この精神を受け継いで、忘れ去られてし
南樺太地名集 〈地名篇名寄村〉
智来
智來 ちらい
帝:ー
現:Старомаячное スタラマヤーチナイェ
N:47.8552 E:142.0889
アイヌ語由来。西白浦の北傍、智来川の河口部に位置する。旧名チライフナイボ。
|⑨:チラフナイ ハ,ヱ:チラヨフナイボ へ,チ,ヌ,カ,ラ:知來 オ:チラヨフナイボ セ:Чирайохнай(チライオフナイ) い,ぬ,わ:チラフナイ は:チラヱヲチナイ ほ:チラヨフナ
南樺太地名集 〈地名篇泊居町〉
本記事では以下の古地図を用いる。
⑴ 樺太庁「泊居市街圖」1928
⑵ 札幌交信社「泊居市街圖」1932
有戸
有󠄁戶 ありと
帝:ー
現:ー
N:47.6531 E:141.9906
アイヌ語由来。追手の南南西傍に位置する。リ,ル,ヲ,ワ,ソに見える。旧名アルトルモルトル。
|た:アルトルコロクル
追手
追󠄁手 おうて おふて
帝:フ' Отэккоро オテッコ
南樺太地名集 〈地形篇土系の部 小能登呂村・野田町〉
小能登呂岬
このとろみさき
帝:м.Ноторо ノトロ
現:м.Слепиковского スリピコーフスカヴァ
N:47.3003 E:141.9661
小能登呂村域内。アイヌ語由来;notoro:岬。列丹川河口付近に位置する。此処に小能登呂岬灯台が存在した。旧名ノトロ岬。
[参考]接頭辞の「小」は西能登呂岬との区別のために付けられたものである。
[類]西能登呂岬、東小能登呂岬
南樺太地名集 〈地形篇山系の部 小能登呂村・野田町〉
鏡山
かがみやま
帝:ー
現:г.Зорская ゾールスカヤ
N:47.3511 E:142.0315
小能登呂村域内。日本語山名。②に見える。仁多須の南東3kmの処に位置する。標高296m。
仁多須山
にたすやま
帝:ー
現:г.Слепиковского スリピコーフスカヴァ
N:47.3767 E:142.0401
小能登呂村域内。仁多須の東3kmの処に位置する。標
南樺太地名集 〈地形篇水系の部 小能登呂村・野田町〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
★ 樺太庁「樺太油田調査報吿󠄀第一號󠄀附圖󠄀」1932
列丹川
れったんがわ れつたんがは
帝:р.Ноторо ノトロ
現:р.Кострома カストラマー
N:47.3171 E:141.9745
小能登呂村域内。アイヌ語由来。留多加山南方より、三十二号の南南東方にて流れを北西に変え、下能登呂・藻明付近にて海に注ぐ。旧名レツタン
南樺太地名集 〈地名篇野田町〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
⑴ 樺太庁「野田市街圖」1928
野田
のだ(のた)
帝:Нотосанъ ノトサン / フ' Нутосамъ ヌトサム
現:Чехов チェーハフ
N:47.4386 E:141.9743
アイヌ語由来。野田川、鉢子川の河口部に位置する。野田町役場所在地。旧名ノダサン。地名改正時に定められた地名は野田寒。
[個人的見解]当初は野田寒
南樺太地名集 〈地名篇小能登呂村〉
小能登呂
このとろ
帝:ー
現:ー
ー
アイヌ語由来;notoro:岬。[1]小能登呂村。また、小能登呂植民区画地。[2]下能登呂市街地に同じ。また、駅地名:樺太西線小能登呂駅。
下能登呂
しものとろ
帝:ー
現:Костромское カストラムスコーイェ
[2]N:47.3103 142.0223
[1]小能登呂殖民区画地のうち、列丹川下流部一帯を指す。[2]下能登呂のうち、特
南樺太地名集 〈附録篇〉 (未完なれども諸氏の研究に資するため公開しておく)
附録1 南樺太各市町村の大字・小字名一覧大正4年(1915年時点)
この項はキ'の記述を元にまとめたものである。領域に関する情報等については原典を参照されたい。
・内知床村
弥満
茂志利 (後に遠淵村に移管)
赤岩
小弥満
弥満
泊
小満別
札塔
満別
札塔
白岩
近泊
・外知床村
乳根
千保
江瀬
保多
乳根
節