南樺太地名集 〈地名篇小能登呂村〉



小能登呂

このとろ
帝:ー
現:ー

アイヌ語由来;notoro:岬。[1]小能登呂村。また、小能登呂植民区画地。[2]下能登呂市街地に同じ。また、駅地名:樺太西線小能登呂駅。


下能登呂

しものとろ
帝:ー
現:Костромское   カストラムスコーイェ
[2]N:47.3103   142.0223
[1]小能登呂殖民区画地のうち、列丹川下流部一帯を指す。[2]下能登呂のうち、特に村役場所在地の市街地を指す。
|①:下能登呂 / 小能登呂 ⑤:Shimo-notoro / KO-NOTORO


上能登呂

かみのとろ
帝:ー
現:Павино   パーヴィナ
列丹川上流部
小能登呂殖民区画地のうち、列丹川上流部一帯を指す。
|④:上能登呂基線


八号

八號 はちごう はちがう
帝:ー
現:ー
N:47.3174   E:142.0806
日本語地名。上能登呂の一部。下能登呂市街地の東4.4kmの処に位置する。
|メ:(俗稱)東八號


十三号

十三號 じゅうさんごう じふさんがう
帝:ー
現:ー
N:47.3098   E:142.1131
日本語地名。上能登呂の一部。八号の東2.5kmの処に位置する。


二十三号

二十三號 にじゅうさんごう にじふさんがう
帝:ー
現:Павино   パーヴィナ
N:47.2747   E:142.1620
日本語地名。上能登呂の一部。下能登呂市街地の西南西11.4kmの処に位置する。
|メ:(俗稱)東二十三號


二十六号

二十六號 にじゅうろくごう にじふろくがう
帝:ー
現:Павино   パーヴィナ
N:47.2570   E:142.1679
日本語地名。上能登呂の一部。二十三号の南傍、列丹川とその支流たる二十六号支流の合流地点付近に存在する。


三十二号

三十二號 さんじゅうにごう さんじふにがう
帝:ー
現:ー
N:47.2548   E:142.2029
日本語地名。上能登呂の一部。二十六号の東傍、列丹川とその支流たる三十二号沢の合流地点付近に存在する。
|メ:(俗稱)東三十二號


藻明

藻明󠄁   もあき(もあけ)
帝:Марадакурэ   マラダクレ
現:ー
N:47.3482   E:141.9942
アイヌ語由来;mo-wakka-usi:小さな水の処。下能登呂市街地の北北西4.5kmの処に位置する。旧名モアックシ(アラドクシ)。
[参考]この地名は後に忘れ去られたポロワックシ(poro-wakka-usi:大きな水の処。に見える)と対地名の関係となっている。
|い:モアツクー る:モアツクシ た:モワツクシ


仁多須

にたす(にだす)
帝:ー
現:Слюдянская   スリュヂァーンスカヤ
N:47.3703   E:142.0004
アイヌ語由来。下能登呂市街地の北北西6.8kmの処、一線沢の河口部に位置する。旧名ニタッス。
|⑨:ニダス ハ:ニダツス オ:ニダッス ヱ:ニタス た:ニタシユツツ


仁多須沢

仁多須澤 にたすさわ(にだすさわ) ーさは(ーさは)
帝:ー
現:ー
N:47.3294   E:142.0102
仁多須の南傍、仁多須殖民区画地を指す。
|⑥:Нидасусава   ニダスサワ


富原

とみはら
帝:ー
現:Нагорное   ナゴールナイェ
N:47.3591   E:142.1403
日本語地名。下能登呂市街地の東北東10km、登富津川の上流部に位置する。
[参考]登富津川の上流部に存在したものの、登富津とは道路で結ばれておらず、この集落への道は上能登呂の十三号と富原を結ぶ道しかなかった。


本流

ほんりゅう ほんりう
帝:ー
現:ー
N:47.3679   E:142.1318付近か
日本語地名:登富津川本流流域に存在したことに因むのだろう。メに見える。富原の一部。
[個人的見解]富原のうち、その北西傍の登富津川本流の左岸に面した地域を指したものではないか。或は東傍のN:47.3577   E:142.1714 付近の登富津川本流右岸を指したものかも知れない。
|メ:富原ノ內(俗稱)本流


飛岸

とぶきし
帝:ー
現:Красноярскоеの一部
N:47.3933   E:141.9857
アイヌ語由来;to-put-kes:湖の口の端。登富津の南傍、板牛鼻に位置する。旧名トブケシ。
[参考]以下、エ-p.460より引用。「トープツ川あり、河口は良󠄀好なる漁場飛岸(トプケシ)を成󠄁し〜」
|⑨:トブケシ


登富津

とうぶつ(とぶつ)
帝:Тубутъ トゥブト
現:Красноярское   クラスナヤールスカイェ
N:47.3967   E:141.9907
アイヌ語由来;to-put:湖の口。仁多須の北北西3km、登富津川河口部に位置する。旧名トーブツ。地名改正時は唐仏の字が当てられていた。
|⑥:Тофуцу   トフツ ⑨,ハ,エ',ヱ:トーブツ へ,ト,チ:唐佛 オ:トーブツ(トブケシ) セ:Тубутъ(トゥブト) い,ろ,り:トウフ ち:トウフツ ぬ:トヲブ る:トウツ た,つ:トーブツ


登富津沢

登富津澤 とうぶつさわ ーさは
帝:ー
現:ー
N:47.4026   E:142.0098
登富津川中流部の登富津殖民区画地を指す。リ,ル,ヲ,ソ,メに、またキ-p.55に字名として見える。


木烏

きからす
帝:ー
現:Красноярскоеの一部
N:47.4019   E:141.9894
アイヌ語由来。登富津の北傍、登富津川の右岸に位置する。コ-p.141,キ-p.55に見える。旧名キカラス。
[参考]この地名については拙記事「〈樺太地名研究8〉 幻の公称地名「木烏」」を参照されたい。

|⑨:キリカラウス ほ,へ,を,か:キイカルシ た:クーカルシ


西知取

にししるとる
帝:Пираторанайбо ピラトラナイボ
現:ー
N:47.4097   E:141.9822
アイヌ語由来;sir-utur-nay-po:大地の間の小川 / pira-utur-nay-po:崖の間の小川。登富津の北北西1.5kmの処に位置する。④,チ,リ,ヌ,ル,ヲ,ワ,レ,ラ,ア-6,ア-19,メ,シ,ヒに見える。旧名シルトルナイボ。
[類]知取町知取(東知取)
|⑨,イ,ネ:ピロトロナイボ ホ:シルトレカイホ/西知取 オ:シルトルナイ


ニンジョーマイ


帝:ー
現:ー
N:47.4161   E:141.9791
アイヌ語由来。西知取の北北西傍に位置する。ア-6に見える。
|オ:ニンシオマイボ ほ:ニンシヲマイ


小能登呂村終り


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