コロナが与えた人生哲学

 人は人生を想うとき、心ときめく人もいれば、心切なくなる人もいる。心悲しくなる人もいれば、心寂しく閉ざす人もいる。世の中にはいろいろな人が生きて、交わって、社会は繰り広げられ、日常は時と共に我々が命を全うするまで続く。それまでの間を生きること・・・『どうだろうか?』日々の生活に追われ、普段考えないこととなり、必死に生きるだけの世の中になっているのではないか?当たり前に考えていることもいざ我に返ると矛盾している世界にいる。いくら働いてもなかなか幸せになれないとか、いくら贅沢に暮らしていても、満たされない空虚感があったり、恋人やパートナーがいなくたって平気で一人で生きて行けると強がってても、寂しく侘しく独りで死んでいくのは辛いと嘆いていたり、学校や職場で嫌なことがあって傷ついていたとしても、素直になれずに独りよがりになって周りに壁を作ってしまうことだってある。逆に好きな相手と結婚できて仕事も順調で何も問題のない生き方をしている人やお金が一生働かなくても生きていける人、ずっと風邪すら経験したこともなく健康な毎日を送ってる極楽とんぼのような人もいる、そんなポジティブな人もいるこの世の中、我々は生きている。この地球上に人類が存在するかぎり、どこに行っても同じ世の中である。

 果たしてこんな世界で我々すべてが生きていく中で得られる価値観、人生観、満足感は大きな傾きを持っていて、決して横ばいになることはないではないか?コロナが齎した途轍もない人類裁きはいったいどこまで続くのだろうか?感染で重症化して、最悪の場合は死んでしまうこともある この世界的な悪循環は止むことなく、現在生きる我々を徹底的に苦しめるのである。『いったいどうなってくるのか?』心配しない人はいないだろう。どこで感染するか分からないからこそ恐怖はいつでも付き纏ってくる。マスクが日常的になり、ソーシャル・ディスタンスで距離を置きながら、他人を受け付けなくなる時代になってきたとも云える。この日本に限らず、全世界で命に関わる脅威であるのだ。これからのライフスタイルはより一層従来のようにはいかなくなり、価値観、人生観、満足感が正に激変する過程に入っているのに気づかされる。

 個人が個人を尊重するとは言い切れないが、個人が個人を監視し合って、コミュニケーションを取っていく社会に変わりつつある恐ろしい時代が来たと云う事を我々は受け止めなければならない。今まで遥か彼方の未来で起きるだろうと思っていたことが、我々の今いる現在に起きている。否定したいが、ロボットで我々と同じ事をさせたり、AIという人工知能で会社や学校などを経営する手腕にさせたり、我々の生活はますます現実味のない所に突入している。どう生きていくべきか、今こそ考えさせられることはない。ドラマや映画の世界でも見ているなら気も楽だろう。現実と向き合う中で得られる生きることへの感覚は個人差はあるが、生きていたいという気持ちはそれほど変わりはないだろう。不安になったりしてもどうにか生きたいと思う気持ちは必ずある。生きることへの葛藤と共存していくこの社会に果たして生き甲斐を見出して人生を全うできる人間はどの位いるのだろうか?



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