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生活習慣病からの生還~②悪化~

こんにちは!
前回、倦怠感、多飲多尿などの症状から糖尿病と診断を受けたところからの続きになります。
症状については詳細まで話していきますが、途中少し汚い話とかも出てきますので、ご了承ください。

糖尿病と診断を受けてからは、目まぐるしく環境が変わっていった。まずかかりつけの町医者では、最悪の状況になった時のことを考慮して転院を勧められて、紹介状を書いてもらった。隣の駅にある大きな病院を紹介され、その日のうちに移るのだが、既に目眩の影響で足下がふらついていて、這う這うの体でたどり着いた。即座に再び検査したのだが、そのうちにも数値が悪化して、血糖値は800くらいまで上がっていたと思う。
処置としては点滴と内服薬と、あとは病院内でのインスリンの注射を打ってもらったが、幸い自宅でインスリンを毎日打つという話は出なかった。
薬の効果はさすが、一気に血糖値は200前後まで下がったので、その翌日からは仕事にも復帰した。だがそこから1週間も経たないうちに、再び倒れることになる。9月に入り最初の土曜日。その日は仕事だったのだが、とにかく身体がふらつき、目眩が酷い。何とか我慢して仕事していたが、昼ごはんも全く食べる気にならず、昼休みはほぼ寝て過ごし、定時になったところで、持ってきた昼食を持ち帰る形で退勤。帰りのバスや電車の中でもどんどん体調が崩れてしまい、帰宅した頃にはもう起きていられる状況には無かった。とは言え流石に昼も夜も食べない訳にはいかないかと思い、食べなかった昼食の分を何とか流し込んで、そのまま寝ることにした。それが回復するまでの間の最後の食事になるとは思わなかった。
空けて日曜日になっても一向に良くはならない。起き上がってはみるものの、30分と座っていられない。この日は結局何一つ口にすることなく過ごした。月曜日、多少は起き上がれたので会社に向かうが、出社時の検温で規定の37.5℃に迫る体温だった事、土曜日から日曜日にかけての報告をしたところで即座に早退することになり、再び病院へ。
結論から言うと、急激に血糖値を下げた事や、その血糖値も安定せずに乱高下している状態、更にかなり強めの薬を服薬していたので、その副作用も働いていた模様。
そこから数日は、糖尿病と診断された頃とは比べ物にならないほど苦しかった。薬は多少弱い物に変えたものの、とにかく目眩が酷くて起き上がれない。寝ていても強烈な吐き気を感じ、実際何度も吐き戻した。それも最初は食べたものを戻す形だったのだが、如何せん土曜日の夜を最後に何も食べられなかったから、次第に胃液だけを吐く形になり、4日目辺りにはその胃液が段々と黄色く変色してきた。
症状はそれだけに留まらない。これだけの間、何も食べていなかったから、今度は便秘に苦しむ事になる。便意はあるのに、トイレでどんなに力を込めてもビクともしない。出口付近までは確実に来ているので、腹痛だけでなくお尻の方まで痛みが走る状況になった。特に夜中に何度も痛みで目が覚めて、トイレに駆け込んではUターンを繰り返した時は、もう体調不良に加えて疲労も限界を迎えてた。基本寝たきりだが、座ることすらままならず、余りの辛さで「こんな辛い思いをするなら、いっそ死んだ方がいい」と弱気のツイートを思わずしてしまった程だった。
翌日病院に行き、点滴などの処置と併せて浣腸も打ってもらい、ようやく苦しみから脱することが出来た。この間5日ほど一切食べれてなかったが、何とか薬とかが効いてきたのか、少しずつ食事は摂れるようになり、徐々にではあるが体調も回復していった。因みに血糖値に関しては徐々に落ち着いていったのだが、便秘症についてはその後結構長い間苦しめられる事になる。
さて9月も半ばを過ぎた頃に、やっと仕事にも復帰出来た。まずは本社にて社長も交えて経緯の報告などをして、そこからの復帰となった。
余談だが、当時の部署の上司も糖尿病持ちで、色々とアドバイスを受けたり、社長からも「少しは痩せろ」と耳が痛い指摘を受けた。と同時に「せめて駅までとか歩いたりした方がいいんじゃないか?」と言われたが、当時の私は、まだ残暑も厳しい9月だったのもあり「来月から少しずつ歩いてみます」と言った。それを聞いた社長は「来月からかよ」みたいなツッコミをしていた(笑)。とは言え、実際は病み上がりの状態なので、まずは日常生活を取り戻そうとしたのも確かで、その事を話したら一応納得はしてもらえた。
だが幸か不幸か、9月24日を以て通勤バスのダイヤが変更になったのだ。これまでは定時が17時で、ダッシュで着替えれば17時7分のバスに乗って駅まで行けたのが、17時24分へと変更になった。道路の混み具合(途中国道を通過する)を考えれば、明らかに駅までは歩いた方が早く着く。しかもタイムカードを押したらさっさと帰りたいクチである(当然)。歩くか次のバスを待つか、選択を迫られた。

「少しは痩せろ」
「せめて駅まで歩いたりした方がいいんじゃないか?」
社長からの言葉が脳裏に浮かぶ。それと怠惰な生活を20年以上続けた結果が前述の苦しみだったのは確かで、私自身少しは懲りていたのもある。
そのため次のバスを待つという選択肢は完全に無かった。
今考えると、駅まではたかが1.5km程の距離である。ただ、ほぼ一本道を進むのでそれが長く感じていた私は、それすらも嫌がっていた。でも、きっかけは欲しかった。渡りに船ではないのだが「駅まで歩こう」と考えた。この決断が後々、自分のルーティンに繋がり、更に素晴らしい効果を生むことになったのだが、当時の私はそんなことになるなんて、微塵も思っていなかった。
続く)

近所のバラ園から。そろそろバラが見頃🌹✨

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