好きな曲は好き~神々LOOKS YOU/ Base Ball Bear~
はじめに
今日はBase Ball Bearの『神々LOOKS YOU』という曲についてお話しします。
この曲は以前お話しした『ラブ&ポップ』という曲と同じ『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』というアルバムに収録されています。
中学生の頃、休日の昼間、勉強中によくこの曲を聴いていました。
イントロの流れるような、さわやかで軽やかなギターメロが大好きでした。
ベボベの曲の中で、夏に似合う曲や思わず夏を思い出してしまう曲というのは本当にたくさんありますが、私はこの曲もなんとなく夏を連想してしまう曲だと思っています。
またこの曲はノーカットのMVも魅力的ですよね。
青春ゾンビ
ここの歌詞は中学生の私には理解できないことが多かったです。
当時は、何も手にしていないから何も手放すものはないと思っていました。
子どもっぽい無敵感です。
しかし成長してしまうと、嫌でも手にしてしまったものとその自覚が芽生えてしまう、と今では思います。
それは物質的な物だったり見えない感情だったり、です。
持っていたことを自覚すると、失くしたこともはっきりと自覚できると考えます。
だから最近は、中学生の頃の私よりも今の方がじんわりと染みるような気がしています。
中学生の頃、魑魅魍魎という言葉を初めて知りました。
簡単に言うとたくさんの化け物の総称です。
初めてこの単語を目にしたのは、中学1年生の頃に読んだ桜庭一樹作『少女七竈と七人の可愛そうな大人』という小説の中でした。
現在手元に本書がなく、具体的な文章を思い出すことができないもですが、確かこの本の中に魑魅魍魎という単語が出て来て、「何だこの漢字は?!」と驚いて調べた記憶があります。
そのため、ベボベの曲で“魑魅魍魎”が出てきたとき、この単語知ってる!となりました。
歌詞に戻ります。
こいちゃんが以前どこかで「青春ゾンビ」のお話をされていたと思うのですが記憶が不確かです…。
…探してきました。
<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">「青春ゾンビ」というのは、青春時代に思い残す事が多過ぎて、そのまま『青春の生ける屍』になった人のことを言います。だから、青春時代にいる人はまだゾンビじゃないです。予備軍はいるでしょうけど。 RT @fender_guts: 桐島部活やめるってよのゾンビって青春ゾンビですか?
このMVにゾンビが出てくるということは、この曲では「大人?のような存在になることはできたけれど、心は十代に取り残されている人」を表現したかったのでしょうか。
だからこそ、このゾンビをそのまま歌詞にするのではなく、魑魅魍魎と表現しているのでしょうか。
また、ゾンビの方々とのお写真もありました。
ピースがちまっとしていますね!
ここの歌詞はまさに、「心は十代に囚われている大人」を表現しているのではないでしょうか。
「将来あんな大人になりたいな」
「こんなところに行ってみたいな」
こんな風な十代だからこそもつことができる、幼少期よりももっとリアルな夢。
これが叶わず、大人になると自分の能力や実力を自覚して、それ相応に生きることにしてしまうことが多いですよね。
そうしないと生きていけなかったり、優先順位が変わってしまったり。
いろんな理由はありますが、青春ゾンビだからこそこのギャップは大きく感じるのかもしれません。
今だからこんなことを考えることができるようになった私も十分青春ゾンビなのかもしれません。
前半とは打って変わって、情景描写になりました。
ここは十代の頃勇気がなくて上手くいかなかった恋を表現しているのでしょうか。
「あの時気持ちを伝えておけば~」
「あの時手を繋いでいれば~」
そのような考えや後悔が時が巡っても頭の中でぐるぐると存在し続けているのでしょう。
大人だからこそですね。
今だから共感できます。
神様がみてる
サビです。
この『神様になったらどうする?』という歌詞が印象的でした。
以前、チャットモンチーの『世界が終わる夜に』についてお話しした際、
なぜ『わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった』という歌詞を書いたのか、「私だったら〇〇な世界を作った」って公言しちぇばいいのに、というお話をしました。
ここからどのように私が考えたのか、お時間ある方は是非読んでみてください。
そして感想をお聞かせください。
しかし、この曲ではこいちゃんは『変えたいものばかり』と言っています。
潔いですよね。
この「全部!」という勢いがなんとなく若さを感じさせます。
少年です。青春です。
そして後半はこちらに向けた歌詞の様に思います。
悪いことを叱る際に「神様が見てるよ!」ということがあると思います。
海外ではサンタさんとかでしょうか…?
ここの歌詞では、「いろんな神様が君を見ているよ」ということでしょうか。
中学生当時、「神様はまだ凡庸の人である私を見捨てていないよ!」と言ってくれているのかなと思っていました。
『十字架を背負う』とは、いつまでも消えることのない罪や苦難を、身に受けることのたとえだそうです。
“罪や苦難”というときっとそれぞれの人が想うことは違うと思いますが、なんとなく下を向きたくなるような言葉です。
いつもは考えないようにしていたけれど、どんな人にも十字架はある。
それでも、神様はまだ見捨てていないよ。
と言ってくれいるのでしょうか。
あまりにも安直でしょうか。
不透明な社会で助けを探し、他力本願な人々
また情景描写になったような気がします。
『水墨画の様』ということは、暗くぼんやりとして消えてしまいそうな様子であるということでしょうか。
『探す蜘蛛の糸』は芥川龍之介作『蜘蛛の糸』を連想する方も多いのではないでしょうか。
作中の蜘蛛の糸はまるで“助け綱”であり、地獄から救ってくれる救助縄でした。
また、『エイメンな人々』とは、調べるとエイメンとアーメンはほとんど同じ意味で使用されているらしいので、神にお祈りをしている人を指しているということがわかりました。
つまり、不透明な社会で、助けを探し、神に祈るような人々のことを指しています。
現代に生きる多くの人のことです。
ここは中高生の頃にやんちゃしていた人が、立派な社会人として働いている様子だと思います。
しかし、根っこにある少年の部分は夢追い人なのでしょう。
肝心な物とは人によって違いそうですね。
夢やお金、愛、精神、健康…
これらの優先順位は私の中でも時期によって大きく変化すると思います。
前半はこのことを表現しているように思いました。
優先順位は変わることはあっても、大事なものの項目はほとんど変わることはないです、。
それを守るためには時に利己的に行動しなければならない時もあるでしょう。
ここではそんなことを考えいました。
『成るように成る』という言葉!
苦手な言葉かもしれません。
性格的に私は不透明な事、不明確な事には手を伸ばしにくく、関わりたくないと思ってしまう方です。
所謂保守的です。
これは長所でもありますが短所にもなります。
これを自覚している人にとって実際に言われて苦しいのは『なるようになる』です。
「根拠は何?????」と返事したくなります。
それでも最近はそんな風に考えることができる人が羨ましくなってきました。
そういう人もなんだかんだ上手くいっているように見えるからです。
どうにかなっていますよね。
こんなことを考えているので、べぼべの『その言葉まだまだ 信じる事出来ないとしたっても、そうだよ』という言葉に激しく共感できます。
『桜』が出てくると一気に春気分になりますが、やっぱり私は夏のイメージです。
歌詞に『桜』がるがあるから夏はライブとかでもあまりやらないんですかね。
ライブ時期ごとのセトリ統計とか出しても面白そう。
考察まで書けそう笑
『三千世界』とは、この世のあらゆるものすべてのことを指すようです。
私はこの三千世界を愛することができるかわかりませんが、これが『For You』私のためのものであると考えることができれば、少しは愛せるような気がしてきました。
ゾンビじゃなくて
歳をとるほど得意と苦手がわかるようになると言いますが、それがわかるまでの過程は苦しくつらいものもあると思います。
それで不安定になることも多いでしょう。
それでも、自分の理想通り、平和でいてほしいという願いは消えないです。
どんなに現実的ではないと言われても、湧いてくる水の様に枯れそうで枯れないのがこの願いです。
こいちゃんの青春ゾンビという考え方をこの曲に当てはめていますが、だからこそ、この『人間でいたい』という歌詞が際立つような気がします。
ここでは後半が『神様に逢えたらどうする?』に変わっています。
中学生の頃はこの歌詞を聴いて、子どもの頃の想像みたいで少しワクワクしていました。
今では全くそんなことなく、頼みたいことを一気に羅列する準備をすると思います。
「両親との関係をどうにかしてください」
「若者が生きる希望が持てる世界にしてください」
とかです。
勿論感謝の気持ちも述べてみて。
さいごに
最後のこいちゃんのさけぶような『LOOKS YOU LOOKS YOU!!!!!!!!!!』が、
「まだ神様は見捨ててねえぞ」って強調してくれている感じがして大好きです。
また、今日は『日比谷ノンフィクションⅩ』だったようです。
行きたかったのですがダメでした。
いつか是非…!
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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