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好きな曲は好き~ラブ&ポップ/Base Ball Bear~

はじめに


今日はベボベの『ラブ&ポップ』という曲についてお話しします。

この曲は私が中学生の頃、就寝前に小説を読んだ後、寝る直前に聞いていた曲です。
特に、遠くの高校に進学することを目標に受験勉強を頑張っていた中学3年生の頃、良く聴いていました。



永遠に続いて欲しいと思う日々はやって来るのか

この曲は多くのベボベの曲とは異なり、さわやかさを残したまま、思い出を歌うかのように優しい雰囲気な点が大好きです。

永遠に続いて欲しい
日々がやってきて
コマ送りにしたいほど満ちている

この始まりの『永遠に続いて欲しい日々がやってきてコマ送りにしたいほど満ちている』という歌詞が中学生の私の胸に深く突き刺さりました。

当時の私は永遠に続いて欲しいと願うほど満ち満ちた日々を過ごしている実感がなかったからです。
両親との日々も、
勉強漬けの毎日も、
ぬるま湯につかったような中学校の先生たちの前で優等生のふりをする日々も、
数年後にはバラバラになると薄々勘づいている十数年一緒に居る幼馴染たちとの日々も、
永遠に続いて欲しいなんて思ったことがなかったからです。
そのため、素晴らしく満ちている日々とはどんなものなのだろうかと、
そんな日々を送ることができたならどんなに幸せだろうかと想像していました。

高校生になって、自分が想像していた高校生活ではなかったものの、思わぬところで私は充実した日々を過ごしていました。
それは部活動でした。
そして高校生の時には、大学生活を同じように創造しながらこの曲を聴いていました。

そうやって学生生活を過ごしてきて、今だからわかることがあります。
永遠に続いて欲しい日々がやってきてコマ送りにしたいほど満ちている』という言葉は、その瞬間瞬間で至る思考ではなく、その日々を過ごした後にふと至る思考であると。

私は本当に充実しているときになかなか「コマ送りにしたい!」と思うことができませんでした。
その時々を楽しむことに必死で、特に私は楽しみつつ現実から目を、注意をそらすことができない方なので、いつでもなぜか必要以上に敏感で必死でした。
そのため、そんな日々を無事に終えることができてこそ、私はこの言葉を言うことができると思います。
今だからこそ、そんな日々の重要性や希少性を身に染みて実感することができます。
だからこそ、『永遠に続いて欲しい日々』ということができるような気がします。

いつだって、その瞬間に思うことはできない、過去を振り返って歯科言うことができない言葉だと気づいてから、私は出来事があるたびに覚えておこう、と思うようになっていました。
大事だから、いつか思い出したときに『コマ送りにしたいほど満ちている』と思うことができるようにしようと考えるようになりました。

他人に言っていないことや
言えないことは何もない…
そのつもり
少しわからないでいる

この歌詞は思春期特有の気持ちなんじゃないかと思いました。

そのつもり』と言っている時点で、自分でも「そんなことない」ってことに気付いているのではないでしょうか。

誰だって、どんなに親しくっても言いにくいこと、心の扉を開きにくい部分はあります。
勿論、心の扉をすべて開いて自分らしくいることができる相手がいたらそれは本当に素敵な事です。

でも、私は少しづつで良いような気がします。
徐々に、徐々に自分でも気づかないうちに自分の心の扉を開いていた、ぐらいの気持ちでいいんじゃないかと。

無邪気さに任せ、
切り捨てた物の海で 溺れている
あの日の僕が泣いている

この歌詞は中学生の頃は深く考えていなかったような気がします。
今はなんとなく、こいちゃんの心情を考えることできるような気がします。

大人になって、過去を振り返ってみて、昔の自分が「煩わしい」とか「めんどくさい」と考えて手放した選択肢を考えすぎてしまって、現在の自分がまるでその選択肢たちにおぼれてしまったかのように身動きを取ることができなくなっている、ということでしょうか。



心の壁を築いてみても

サビです。

土砂降りの雨が
心の壁を濡らしている
誰か助けてくれないか
一人だけの僕が一人だけの僕のこと
見つめている見つめ合っている
一人だけなんだ
ああ、わかっている

初めて聞いたとき、サビのような感じがしなくて、「まるでBメロのようなサビだな」と思っていました。
今考えると、ギターやシンバルが、各小節の1拍目にしか鳴っていないからでしょうか。

歌詞における『心の壁』は私にとって心の扉でした。
自分を守るために、成長すればするほど築いてしまった心の扉です。
全て開いて本当の自分を見てほしいと思うと同時に、こんな自分を見せてしまうのが怖いという恐怖心をも生み出してしまうものです。

自分という殻に閉じこもって、「自分を理解できるのは自分だけだ」なんて言ってみても、まるで虚勢を張っているようにしかならず、どこか淋しい、悲しい思いが湧いてくるそんな心情でしょうか。

それでも、自分自身をしっかり見つめ合ってくれる人は自分しかいないという事実にもなんとなく気付いてくる10代。
私には、『ああ、わかってる』という言葉に、寂しさと諦めとほんの少しの期待が見えました。
完全には諦められていない感じが、共感できました。



孤独感と捨てられない期待

2番です。

「繋がりたい」口にする、
理由(わけ)もわからずに
「求めている」
気持ちが躍動している
「何がしたい」
続く続く繰り返しの先に
「繋がりたい」
だから僕は歌っている

十代に抱えてしまった孤独感はその後の自分にとって重要な基礎となるような気がします。
外交的になれなかったり、でも他人の心情をよく汲み取ったり、人の気持ちに良くも悪くも敏感になったりです。
私はそうやって、孤独感を感じることに慣れてしまって、「自分は大丈夫だ」と思い込んでみてもどこかでずっと期待していました。

「いつか自分のことを理解してくれる人が現れるんじゃないか」
「この心の扉をすべて開くことができる人が、私がもっと知りたいと、守りたいと思う人が現れるんじゃないか」

この気持ちは大事ですが、一生叶わない期待を抱いているんじゃないかって、時々怖くなります。
でも、そんなどうしようもない期待を認めてくれるような歌詞だと思っています。

こんな孤独感はこいちゃんの昔の話を聞いていても共感できる部分が多いです。
きっと経験したことがある人も多いでしょう。
私もそのうちの一人です。
それでも諦められないから、厄介ですよね、この気持ち。

(WHAT IS THE) LOVE & POP?
見つけたくてさまようけれど
それでいい それが答えだと思う
一人だけの僕は一人だけの僕のこと
見つめている
許し合っている
ひとつだけなんだ
ああ、ひとつだけ

孤独感に溺れて、息が苦しくなっているとき、愛とか友情とかほんとに無償のものなのかと疑いたくなります。
“生物学的”って安易に使うことが嫌になるくらい、愛なんて有償だろうと叫びたくなります。

私は小5でいじめられてから、人を信用しないようにしようと思うようになりました。
信じる事さえなければ、こんな気持ちになることもないんだから、と思うようになりました。
でも諦められない『コマ送りにしたいほど満ちている日々』。

そうやって頭の中でいったりきたりして、ふらふらして、そんな自分の気持ちに気付くほど賢くもない
ここはそんな私に、そんな状況の私を肯定してくれるような歌詞だと思います。
見つけたくてさまようけれど それでいい それが答えだと思う
時間はかかったけれど、そんな自分の心情に気付くことができたもの、自分が自分を見て考えてみたからだと思います。
それでいいってことにしましょう。



素晴らしい日々!

最後の歌詞です。

LOVE & POP?
見つけたくて彷徨うけれど
それでいい
それが答えだと思う
一人だけの僕は一人だけの僕のこと
見つめている 許し合っている
ひとつだけなんだ
そう、ひとつだけ ひとつだけ
ひとつだけ ひとつだけ

永遠に続いて欲しい日々がやってきて
コマ送りにしたいほど満ちている
素晴らしい日々
僕は僕と過ごしていく
そしていつか
曝してみたい自分自身

ここの歌詞で、『素晴らしい日々』だけ上の方に伸びているのが大好物です。
本当に素晴らしい日々を謳歌しているかのような歌い方で!

後半の歌詞が、この曲のまとめのような気がします。
孤独感と現実への諦念感を抱えながらも、未来に期待してしまう、
そんな自分と過ごしていくことを諦めないという気持ちが詰まっているようです。

さいごに

この曲は、アルバムの一番最後の曲です。
本曲の最後にはボーナストラックもあります。
就寝前のじっとりした気分の時にちょうどよい曲です。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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