薄井信治

薄井信治

マガジン

  • 元高専教員による国語教師のための作文の教え方

    作文、小論文をどのように教えるか。授業でできることは何なのか。それらを考えるためのヒントをメモにしています。

  • 【授業のヒント】-漢文教育

    教員が授業の準備をするときに、こういうのもあるよ、というヒントを教材に即して書いています。

最近の記事

事実と意見は区別できない

「国語」の授業で、こういうことをやってくれ、という要求が専門学科からあって、基本的にはそれに従おうとして対応していたのだけれども、これは出来ないなあ、ということもある。文章を書く時に事実と意見を分けるようにさせる、というのは実は難しい。書き手が事実だと思っていることは「事実」ではあるが、選択された「事実」である。選択は意図的になされたものだから、そこに意見が入ってくるのだ。 例えば、「インドネシアは日本よりも大きい。」という文は、事実か意見か、どちらなのか。 インドネシア

    • 作文の評価(採点)について

      AIに作文の評価ができるかどうか尋ねてみた。 作文を書くことについては「私は、作文を採点するAIではありませんが、作文を自動生成するAIはあります。もし興味があれば、私に作文のタイトルや概要を教えてください。私はそれに基づいて作文を作ってみます。」とCopilotは言う。生成AIは生成することはできるが、今の時点では評価はうまく出来ないということらしい。 AIがうまく評価できない理由として「文章の意味や書き手の意図を理解したり、主観的な判断をしたりすることは、AIには難し

      • 杜甫「九日藍田崔氏莊」について

          一 はじめに    九日藍田崔氏莊    杜甫  老去悲秋強自寛  老い去りて 悲秋 強ひて自ら寛うす  興來今日盡君歡  興来たりて 今日 君が歓を尽くす  羞將短髮還吹帽  羞づらくは短髪を将て 還た帽を吹かるるを  笑倩旁人爲正冠  笑つて旁人を倩ひて 為に冠を正さしむ  藍水遠從千澗落  藍水は遠く 千澗より落ち  玉山高並兩峰寒  玉山は高く 両峰に並んで寒し  明年此會知誰健  明年 此の会 誰か健なるを知らん  醉把茱萸子細看  酔うて 茱萸を把つて 子

        • 送別詩の評価について

             送別詩の評価について             一 はじめに   送別詩に対する評価が全く反対になる場合がある。あるいは個人の中で評価が揺れ動く。もちろん、このようなことは送別詩に限らず、詩を読むときに普通にあることである。いわゆる解釈の違いと言われ、解釈の根拠を吟味することでどちらの評価が妥当であるか判定できるものである。しかし、送別詩の場合、普通に言う解釈の違いという範疇に入らないものもある。しかも、そのことについてほとんど意識されていない。解釈の問題と混同されてい

        事実と意見は区別できない

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        • 元高専教員による国語教師のための作文の教え方
          12本
        • 【授業のヒント】-漢文教育
          4本

        記事

          「涼州詞」(授業のヒント)

             涼州詞       王翰 葡 萄 美 酒 夜 光 杯  葡萄の美酒 夜光の杯 欲 飲 琵 琶 馬 上 催  飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す 酔 臥 沙 場 君 莫 笑  酔ゐて沙場に臥すとも 君笑ふこと莫かれ 古 来 征 戦 幾 人 回  古来 征戦 幾人か回る  「涼州詞」は、異国情緒あふれる飲酒の場面が、一転して戦場につながる砂漠の上でのことになり、戦争に赴く兵士の悲哀が描かれる、という見事な構成の詩である。それを読み理解した後、さらに詩に描かれた状況をリア

          「涼州詞」(授業のヒント)

          読書感想文の作り方:実作例

             「ナイフ」を読んで  短編小説集『ナイフ』には五編の小説が収められている。いずれも「いじめ」をテーマとした小説である。今回、私は表題作の「ナイフ」をとりあげることにした。  「ナイフ」は父親とその息子真司が「いじめ」と戦う話だ。父親は「身長百五十二センチ、体重四十四キロ。運動がからきし苦手なうえに性格もおとなしく、腕力とは縁のない四十年を過ごして」きた男である。とてもヒーローになれそうにない。本人も十分自覚している。そのせいか、父親はかつての同級生ヨッちゃんをずいぶ

          読書感想文の作り方:実作例

          読書感想文の作り方:例

          重松清「ナイフ」(新潮文庫)p101 ナイフを買い、それを肌身離さず持つ父の姿 実際にナイフを使ってやると~とは思ってないと思うけど、そういうものに頼って安心してしまうのは人の弱さなのかも? 自分がナイフを持っていることを誰も知らないことに上機嫌になるのは、頼っていることを知られたくないのかも? ちゃちなナイフだけど『私には似合いのナイフだ』と言い、自分が臆病なことを自覚している。 p105 真司の元へ行く途中、真司が生まれたときのことを思い出す 「生きることに絶望

          読書感想文の作り方:例

          読書感想文の作り方

          【準備作業 その1】  一回、最後まで読み通しましょう。まずはそこからです。そして、再読する時、「気になるところ」、「おもしろいところ」に付箋を貼っていきます。もちろん、一回目に読む時に貼ってもかまいません。再読は飛ばし読みでもいいです。  付箋を貼り終えたら、それぞれの付箋に本文を短く書き写していきます。一文を抜き出すのです。この時本文のページを書いておくのを忘れずに。  付箋を台紙に適当に貼ります。この時の台紙はA3コピー用紙などの大きめの紙を用います。全部

          読書感想文の作り方

          読者を意識させる:課題例

          自問自答形式によるパラグラフ・ライティング 『読者』を意識させるには、就職試験の作文を課題にするのが最も効果的です。  書き方はパラグラフ・ライティングを元にします。パラグラフの先頭にトピック・センテンスを置き、それをサポートするサポーティング・センテンスを書いていくというものです。  自問自答形式とは、面接の時に質問されることに対して答えていくというやり方です。こうすれば、聞き手である『読者』を意識していくことになります。  面接試験の要領で自分に質問し、自分で答えていきま

          読者を意識させる:課題例

          『戦国策』斉策「蛇足」(授業のヒント)

           状況を想像させるための発問を提示するには、その発問を考える教員も疑問から逃げてはいけない。教材に違和感や疑問を感じたら、とことん突き詰めて考え、発問の形にまで持っていくのだ。大事なことは教材である漢文を論理的に読むことだ。突き詰めて考え、疑問を持つためには論理的に読む必要がある。  「蛇足」は高校の入門期に取り上げることの多い教材である。入門期だから発問によって深く掘り下げる必要がないと思うのは、生徒たちを侮っているとしか思えない。今回は「蛇足」を使って、発問の工夫の仕方を

          『戦国策』斉策「蛇足」(授業のヒント)

          『史記』「鴻門之会」(授業のヒント)

           状況を想像させる発問が授業を活性化する。そのためには生徒に、具体的な状況が重要なのだと感じさせる必要がある。  今回は「鴻門之会」を取り上げて、状況を想像させる発問を工夫してみる。  「鴻門之会」宴席の場面での発問では、「項王はなぜ范増の合図に応えなかったのか?」というものがある。グループ学習に取り上げられたのを見たことがあるが、活発に学習活動が行われているとは思えなかった。課題が難し過ぎるのである。正解らしい答えが出なくても、いろいろ違った意見が出てくればいいのだが、こ

          『史記』「鴻門之会」(授業のヒント)

          『論語』郷党「廏焚」(授業のヒント)

           良い発問は授業を活性化する。逆に言えば、授業を活性化するための発問が良い発問である。授業を活性化するとは、生徒たちに自主的に考えさせ、言葉として発信させるということだ。そのためには発問を工夫する必要がある。工夫の一つとして、状況を考えさせる発問がある。  状況を考え、想像できるようになると、生徒の頭の中で、作品はよりリアルなものになっていく。リアルなものになるほど、ほんのちょっとした違和感などから、頭の中には疑問が湧いてくる。その疑問は自主的に考えるうちに生まれたものである

          『論語』郷党「廏焚」(授業のヒント)

          読者を意識させる

          「それ、誰に読んでもらうの?」授業で作文指導をする時に忘れてしまいがちなのは、「読者」のことである。「読者」を想定させないと、文章の焦点がぼやけてしまう。 文書には「読者」がいる。「読者」のいない文書といったものは存在しない。そのことを教師は徹底すべきである。読者が教師(=採点者)であるのは授業において避けられないことではあるが、教師が「誰か別の者」に成り代わって読み、採点してもよいではないか。 国語教育におけるいわゆる「国語表現」でもっとも欠けているのが、この「読者」の

          読者を意識させる

          全体指導と個別指導

          全体指導でできるもの文章の「型」を教えるのは、授業でもできる。 「型」がしっかりすれば、教室内で学生同士が教え合うこともできる。 個別指導すべきもの「発想」というもはとりとめのないものである。 それらを定着させるには、訓練が必要である。 しかも、その訓練は個別的にやらなくてはならない。 「発想」は個人的なものだからだ。 とりとめもない発想をきちんとした文章にするには、個別の指導と訓練が必要である。 授業向きのことではない。 授業で扱うべきものではない。

          全体指導と個別指導

          ボトム・アップかトップ・ダウンか

          ボトム・アップ授業でボトム・アップについて教えるのは難しい。 理論を教えるのは出来るが、実際にそれを学生にやらせるとなると、どれだけ時間がかかるのか。 ある程度制御して、時間制限をつければいいのかも知れないが、中途半端な状態で終わることは目に見えている。 そんな中途半端なものは真のボトム・アップではないだろう。 専攻科の学生にピラミッド・ストラクチャーを作らせたことが何回かあるが、上手く行ったことがない。何回かやって、無理だと判断し、ロジック・ツリーだけにしたのだった

          ボトム・アップかトップ・ダウンか

          構造を壊すもの

          パラグラフの構造がしっかりすれば、読者にとって分かりやすいものになる。ということは、構造が壊れると分かりにくいものになる、ということである。 作文を教えるものは、極力、パラグラフの構造を教えるべきである。 「しかし、」はパラグラフの構造を壊す。 「しかし、」の破壊力は凄まじい。 だから、「その『しかし、』は本当に必要か?」と問うべきである。削除しても問題ない場合が多々ある。

          構造を壊すもの