事実と意見は区別できない
「国語」の授業で、こういうことをやってくれ、という要求が専門学科からあって、基本的にはそれに従おうとして対応していたのだけれども、これは出来ないなあ、ということもある。文章を書く時に事実と意見を分けるようにさせる、というのは実は難しい。書き手が事実だと思っていることは「事実」ではあるが、選択された「事実」である。選択は意図的になされたものだから、そこに意見が入ってくるのだ。
例えば、「インドネシアは日本よりも大きい。」という文は、事実か意見か、どちらなのか。
インドネシアの面積は190万平方メートル、日本は38万平方メートル。インドネシアの方が5倍近く「広い」。インドネシアの人口は2億5千万人、日本は1億2千万人。インドネシアは1億人以上「多い」。これらの「事実」からすると、「インドネシアは日本よりも大きい。」という文は、事実である、と言える。
でも、この文には、「大きい」ことを主張したい、しなくてはならないという「意見」が感じられないだろうか。事実が誰にでも認識されていれば、本来言わなくてもいいことなのだから。
この《言わざるを得ない》ということこそが本当の《意見》である。そのために「事実」を並べるのは実は常套手段なのだ。「インドネシアは日本よりも大きい。」という文で何を言おうとしていたか、と考える時、事実か意見かはあまり意味のないことになる。また、この例でも分かるように数字という「事実」ですら、意見を含むことが多いのである。
もっとわかりやすい例としては、新聞記事が挙げられる。新聞記事は「事実」を並べている(はずである)。しかし、「事実」の取捨選択や並べ方には「意見」があるのである。執筆者なのか新聞社なのかは問わず。
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