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「涼州詞」(授業のヒント)

   涼州詞       王翰

葡 萄 美 酒 夜 光 杯  葡萄の美酒 夜光の杯
欲 飲 琵 琶 馬 上 催  飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す
酔 臥 沙 場 君 莫 笑  酔ゐて沙場に臥すとも 君笑ふこと莫かれ
古 来 征 戦 幾 人 回  古来 征戦 幾人か回る

 「涼州詞」は、異国情緒あふれる飲酒の場面が、一転して戦場につながる砂漠の上でのことになり、戦争に赴く兵士の悲哀が描かれる、という見事な構成の詩である。それを読み理解した後、さらに詩に描かれた状況をリアルに想像させるにはどのような発問を構築すればよいのだろうか。

 「涼州詞」における状況とは何かを考えれば、やはり次の二つを押さえることになる。

1 飲酒の場
2 戦争に行って生きて還れないこと

 この二つが関連づけられると、転句の「酔ゐて沙場に臥すとも 君笑ふこと莫かれ」の理解が深まるはずだ。

 まず、「飲酒の場」を想像させる発問を考えてみよう。

【発問1】葡萄酒をどこで飲んでいるのか。

・沙場。
・砂漠。
・戦場。
・戦場に近い砂漠。
・戦場に続いている砂漠。

【発問2】葡萄酒をどのような状況で飲んでいるのか。一人で飲んでいるのか、大勢で飲んでいるのか。

・音楽があり、酒を飲むように促しているから、辺りはにぎやかそうだ。一人で酒を飲んでいるのではないだろう。
・戦場で音楽を聞きながら酒を飲むことができるだろうか。実際の戦場からは離れたところで飲んでいるのだろう。
・戦場に近い砂漠で、兵士が一人だけ音楽を聞きながら酒を飲むことが許されるとは思えない。
・一人だけでなく、周りの人も酒を飲んでいる。「琵琶」は一人だけでなく、酒を飲もうとしている人たち全員を促している。
・宴会をしていると思う。

【発問3】戦場で一人ではなく大勢で、宴会のようなものができるのか。

・「沙場」は「戦場」に地続きであるが、実際は戦場から離れている感じがする。
・「戦場」は「沙場」そのものではないからできる。
・兵士たちのいる砦の中も「沙場」ではないか。砦の中なら宴会ができるだろう。

【発問4】大勢で酒を飲んでいるとして、宴会に参加している者の割合はどれくらいだろうか。

・酔いつぶれる者がいるということは、飲酒する者は酔いつぶれるまで酒を飲むことができる、ということだ。でも、全員がそうだと、砦は大丈夫だろうか。
・全員宴会をしていたら、砦の役目を果たさないので、全員が宴会に参加してはいないだろう。
・半分以下ではないか。もっと少ないかも知れない。三班か四班に分かれているかも。
・交替で宴会をしているのではないか。

 交替で戦場に赴くので、交替で宴会ができる、と考えるのがよいだろう。そう考えると、今、酒を飲んでいる者たちは、戦場から帰ってきたばかりか、これから戦場に赴くという状況にあることが想像できる。

【発問5】「沙場」が「戦場」とつながっているのなら、そこで宴会をし、酔いつぶれるのはなぜか。

・飲まずにいられないから。
・いったん戦場に赴くと、生きて還れるかどうか分からないから。
・酔いつぶれても構わないから。
・今は安全だから。
・本当の戦場はずっと遠くにあるから。
・大勝ちして、当分敵は攻めて来ないとわかっているから。
・全員が飲んでいるのはなく、砦を守っている人たちがいるから。

 このような発問と回答によって、詩における「飲酒の場」を想像させていくことができるだろう。

 次に、「戦争に行って生きて還れないこと」について考えていこう。授業での解釈と矛盾しないように注意する。

【発問6】「君笑ふこと莫かれ」というのは何を笑わないでくれ、と言っているのか。

・砂漠で酔いつぶれること。
・戦場で酔いつぶれること。

 葡萄酒を飲み過ぎて、酔いつぶれて沙場に伏せるのが、その場にいない者にとっては笑いの種となる。しかし、その場にいる者にとっては笑いごとではない。「沙場」は戦場につながっているのである。

【発問7】「君笑ふこと莫かれ」というのはなぜか。

・「古来 征戦 幾人か回る」とあり、戦争に行く者は帰ってこれないから。
・今はお酒を飲んでいるが、戦いに出ていかなければならない、とわかっている。出て行けば、生きて帰って来られないかもしれないから。
・「沙場」は「戦場」でもあり、次の遠征のことを嫌でも考えてしまうから。

 これらの発問と回答によって、状況が想像できるようになるだろう。
 そもそも、結句の「古来 征戦 幾人か回る」は極度に抽象化されている。だから抽象的に「戦争の悲惨さ」を理解するのは詩の理解として正しい。それによって、「兵士の悲哀」を感じることができれば更によい。
 では、抽象的なままではなく、もっと具体的に、「戦争の悲惨さ」をより一層リアルにとらえるにはどうすればよいのか。もっと状況を想像させ、「兵士の苦悩」をリアルに感じさせるにはどうすればよいか。
 そこで、状況を考えた発問の例を挙げる。

【発問8】「古 来 征 戦 幾 人 回」となるのは、なぜ、なのか。

 「なぜ」という発問は、宴会の状況を捉え、宴会場の周囲の状況を想像させた上でのものなので、「征戦」とはどういうことかを考えさせられるだろう。

・戦争では命を落とすことがあるから。

 この回答では、「幾人も無事に帰れない」ということの説明にはなっていない。ほとんどの者が生還できない、という理由としては弱い。

・この戦争では、ほとんどの者が戦死してしまうから。
・敵がかなり強い。負ける時はほとんどやられてしまうから。

 おそらく、このような回答が出て来るだろう。
 では、「敵」とはどういう相手なのか。なぜ、「敵」は強いのか。それを発問にしてみる。

【発問9】涼州の砦を出て「戦場」で戦う敵とは、いったい誰なのか。

・「涼州」の位置からすると、遊牧騎馬民族だと考えられる。

 「砂漠」を砂以外何もないところだというイメージを持っていると、回答が出て来ないかも知れない。時代は違うが、「塞翁馬」を授業で扱っていれば、それをヒントにできるだろう。

【発問10】当時の遊牧騎馬民族とはどういう人たちなのか。なぜ、遊牧騎馬民族は強いのか。

 この発問は授業ですぐに回答できるレベルではない。「発問」にするよりは「課題」にしてグループ学習にする方がいいだろう。

【課題】遊牧騎馬民族とはどういう人たちなのか。彼らの戦争のやり方とはどういうものなのか。グループでまとめて発表できるようにしよう。

 すぐに調べることができるものもあるだろうが、難しそうな場合はヒントを出しておくといいだろう。ヒントになりそうなものをいくつか挙げておこう。

・草原の民はどのように生活していたか。
 ・ヤギ、ヒツジ、ウマ、ラクダを移動しながら飼っている。
 ・遊牧をしながら、時々、戦いを仕掛けに来る。
・「塞翁馬」で、砦近くはどのようになったか。
・唐帝国の成り立ちに遊牧騎馬民族はどのように関わっているか。
・騎馬弓兵の戦い方とはどういうものか。
 ・広大な草原で期日を決めて集合し、一斉に攻めることができる。
 ・移動速度が半端なく速い。
 ・後方からの補給がない。
 ・前へ前へと攻めてくる。
 ・攻撃目的地に物資がない場合、勝ったとしても生き残れない。攻め込んだ先で確実に物資を調達する。
 ・地理感覚と情報収集力が桁違いに高い。
 ・油断していると、あっという間に攻め込まれ、根こそぎやられる。

 最後は余談のヒント。

 唐帝国は建国の際に東突厥に協力を受けた。その東突厥を鉄勒系薛延陀部と同盟して六三〇年に滅ぼしている。遊牧騎馬民族である突厥を草原地帯で破るには、騎馬兵が不可欠であるから、この時の唐軍の主体は騎馬軍団だと考えられる。
 その時の兵士たちは帰国後、どのように敵を表現しただろうか。自らの勇を誇るためには、敵が強い方がいい。強い敵に打ち勝った我々がすごいのだ、と言っていただろう。そして、遊牧騎馬民族の戦い方の壮絶さが伝わっていっただろう。唐帝国の出自である鮮卑族の勇猛果敢さの記憶が薄れても、敵である突厥の強さの記憶は残っていたはずである。
 「涼州詞」の作られた当時、西方には吐蕃、北方には再起した東突厥がいた。かれら草原の民の戦い方の特徴は、機動力とそれを支える情報網である。砂しか見えない砂漠の向こうの草原から、砂煙が立つと、あっという間に騎馬弓兵がやってくるのだ。その恐怖を感じ取らせたい。鉄砲が発明され、戦争に用いられるまで、騎馬弓兵に対抗する方法はほとんどなかったのである。

初出「漢文教育」(第46号) 2022年12月(広島漢文教育研究会)


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