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『戦国策』斉策「蛇足」(授業のヒント)

 状況を想像させるための発問を提示するには、その発問を考える教員も疑問から逃げてはいけない。教材に違和感や疑問を感じたら、とことん突き詰めて考え、発問の形にまで持っていくのだ。大事なことは教材である漢文を論理的に読むことだ。突き詰めて考え、疑問を持つためには論理的に読む必要がある。
 「蛇足」は高校の入門期に取り上げることの多い教材である。入門期だから発問によって深く掘り下げる必要がないと思うのは、生徒たちを侮っているとしか思えない。今回は「蛇足」を使って、発問の工夫の仕方を探っていこう。

「蛇足」
 楚有祠者。賜其舍人卮酒。舍人相謂曰、「数人飲之不足、一人飲之有余。請画地為蛇、先成者飲酒。」一人蛇先成。引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、「吾能為之足。」未成、一人之蛇成。奪其卮曰、「蛇固無足。子安能為之足。」遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。

 楚に祠る者有り。其の舎人に卮酒を賜ふ。舎人相謂ひて曰はく、「数人にて之を飲まば足らず、一人にて之を飲まば余り有り。請ふ地に画きて蛇を為り、先づ成る者酒を飲まん。」と。一人の蛇先づ成る。酒を引きて且に之を飲まんとす。乃ち左手にて卮を持ち、右手にて蛇を画きて曰はく、「吾能く之が足を為る。」と。未だ成らざるに、一人の蛇成る。其の卮を奪ひて曰はく、「蛇固より足無し。子安くんぞ能く之が足を為らんや。」と。遂に其の酒を飲む。蛇の足を為る者、終に其の酒を亡へり。

 「蛇足」の前提部分で、「請ふ地に画きて蛇を為り、先づ成る者酒を飲まん。」と舎人が言っているが、蛇の絵を描くことで競争するということに違和感を感じないだろうか。疑問に思ったことを発問の形にしてみよう。発問の形にして、実際に生徒に尋ねてみてもいい。自分自身に問いかけてもいい。そのことを手がかりにして深く掘り下げていくのである。

【発問1】蛇の絵を描くことが競争になるのだろうか。

 予想される回答は次のようなものなる。
  ・蛇の絵は簡単すぎて、競争になるとは思えない。
  ・本来、競争にならないものだが、たとえ話を作るためにあえて競争になるとしている。

 競争になりそうにないのだが、舎人たちは卮酒を賭けて蛇の絵を描く。ということは、蛇の絵に何かありそうだ。そこで、次のように発問を作る。

【発問2】蛇の絵を描くことが競争になるとしたら、どんな蛇の絵なのだろうか。

  ・かなり大きくて、描くのに時間がかかるもの。
  ・ウロコ一枚一枚が精密に描かれているもの。
  ・今にも襲いかかってくるようなリアルなもの。

 一筆書きで描けるような簡単な蛇の絵では競争にならないことは明らかである。この蛇の絵は、ある程度の時間を必要とし、絵の技量を必要とするものである。「描く能力」がある者でなければ描けない蛇であるからこそ、競争になるのである。
 このような蛇の絵を真っ先に完成させる男とはどんな人物か。「精密な蛇の絵を素早く描くことのできる画力の高い人物」ということにならないだろうか。

 それでは、「蛇足」の成句が出来るきっかけになった、「蛇に足を書き加えた男」はどんな人物だろうか。

【発問3】蛇に足を書き加えた男はどんな人物だろうか。

 すると、このような回答が出てくることだろう。
  ・頭が悪い人。
  ・蛇には足がないのを知っているのに足を描く変な人。
  ・他の者が全然描けていなかったので、余裕を見せたかった人。
  ・誰よりも早く描けたので、調子に乗ってやりすぎてしまった人。

 これらの回答は、「蛇足」の本質を突いている。彼は「蛇固より足無し。子安くんぞ能く之が足を為らんや。」と非難され、せっかく手に入れた卮酒を奪われてしまう愚か者である。しかし、【発問2】で考えたように、蛇の絵を最初に完成させる男は、「精密な蛇の絵を素早く描くことのできる画力の高い人物」なのである。人物像が食い違っている。
 どうして、このようになってしまったのかを考えるには、「蛇足」の話が何のために語られたかを検討するしかない。

 「蛇足」という教材は『戦国策』「斉策」「昭陽為楚伐魏」の一部を切り取ったものである。原文と書き下し文を次に挙げる。【  】でくくった部分が最初に引用したように「蛇足」として教科書に掲載されている。

 昭陽為楚伐魏、覆軍殺将得八城,移兵而攻斉。陳軫為斉王使、見昭陽、再拝賀戦勝,起而問、「楚之法,覆軍殺将、其官爵何也。」昭陽曰、「官為上柱国,爵為上執珪。」陳軫曰、「異貴於此者何也。」曰、「唯令尹耳。」陳軫曰、「令尹貴矣。王非置両令尹也、臣窃為公譬可也。【楚有祠者。賜其舍人卮酒。舍人相謂曰、『数人飲之不足、一人飲之有余。請画地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成。引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、『吾能為之足。』未成、一人之蛇成。奪其卮曰、『蛇固無足。子安能為之足。』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。】今、君相楚而攻魏、破軍殺将得八城、不弱兵欲攻斉、斉畏公甚。公以是為名居足矣。官之上非可重也。戦無不勝而不知止者、身且死。爵且後帰。猶為蛇足也。」昭陽以為然、解軍而去。

 昭陽楚の為に魏を伐ち、軍を覆し将を殺して八城を得、兵を移して斉を攻む。陳軫斉王の為に使ひし、昭陽に見え、再拝して戦勝を賀し、起ちて問ふ、「楚の法、軍を覆し将を殺さば、其の官爵は何ぞや。」と。昭陽曰はく、「官は上柱国と為り、爵は上執珪と為らん。」と。陳軫曰はく、「異に此れより貴き者は何ぞや。」と。曰はく、「唯だ令尹あるのみ。」と。陳軫曰はく、「令尹は貴し。王両令尹を置くに非ざるなり。臣窃かに公の為に譬へん、可ならんか。【楚に祠る者有り。其の舎人に卮酒を賜ふ。舎人相謂ひて曰はく、『数人にて之を飲まば足らず、一人にて之を飲まば余り有り。請ふ地に画きて蛇を為り、先づ成る者酒を飲まん。』と。一人の蛇先づ成る。酒を引きて且に之を飲まんとす。乃ち左手にて卮を持ち、右手にて蛇を画きて曰はく、『吾能く之が足を為る。』と。未だ成らざるに、一人の蛇成る。其の卮を奪ひて曰はく、『蛇固より足無し。子安くんぞ能く之が足を為らんや。』と。遂に其の酒を飲む。蛇の足を為る者、終に其の酒を亡へり。】今、君楚に相たりて魏を攻め、軍を破り将を殺して八城を得、兵を弱めず斉を攻めんと欲す。斉公を畏るること甚し。公是を以て名と為すに亦た足れり。官の上に重ふべきに非ざるなり。戦ひて勝たざる無く止まるを知らざる者は、身且に死せんとす。爵且に後に帰せんとす。猶ほ蛇足を為すがごときなり。」と。昭陽以て然りと為し、軍を解きて去る。

 説客の陳軫が昭陽を説得して斉を攻撃するのを中止させるために用いられたのが「蛇足」というたとえ話になっている。
 「蛇足」の話の流れは、

 1.一人の蛇の絵が完成する。
 2.酒を手に入れる。
 3.蛇に足を付け加える。
 4.酒を失う。

というふうになっているが、これは

 ①.昭陽が魏を伐ち勝利を収める。
 ②.官爵を手に入れる。
 ③.斉の攻撃を敢行する。
 ④.勝ち続けて身を滅ぼし、官爵も奪われる。

というのに対応している。すなわち、陳軫は「③」を阻止するために、「④」の可能性を「蛇足」のたとえ話で示しているのである。
 つまり、誰よりも先に蛇の絵を完成させる画力の高い男とは、魏に勝利し八城を得た昭陽将軍のことなのである。たとえ話では、「蛇に足を付け加えることによって、酒を失ってしまう」のだが、陳軫はそうなってはいけないと昭陽将軍を説得している。説得は功を奏し、昭陽将軍は斉を攻めずに引き返す。蛇に足を付け加えなかったのである。
 陳軫がたとえ話をした時、昭陽に、あなたは「頭が悪い」「変な人」だ、「調子に乗ってやりすぎてしまう人」だと言って、説得しようとしたのではない。あなたは誰よりも先に精密な蛇の絵を描くことができる能力の高い人だ、十分評価されるべきであり、評価されている、と言っているのである。

 このことを踏まえて先ほどの「蛇足」の話の流れを補うと、

 1.一人の男が精密な蛇の絵を誰よりも早く完成させる。
 2.賞品である酒を手に入れる。
 3.誰も描き終えていないのを横目に見ながら、画力を見せつけるために蛇に足を付け加える。
 4.画力があっても、もともと足のない蛇に足を描くことは出来ないと指摘され、手に入れていた酒を失うことになる。

 言葉を補うと、たとえ話の「蛇に足を描き加えた男」が「能力の高い男」昭陽将軍を説得する材料になっただろうと推測できる。
 このように読み解いて、初めて「蛇足」の「吾能く之が足を為る。」の「能」という文字の重要さが分かってくるだろう。

初出「漢文教育」 (第45号)  2020年12月(広島漢文教育研究会)

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