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『論語』郷党「廏焚」(授業のヒント)

 良い発問は授業を活性化する。逆に言えば、授業を活性化するための発問が良い発問である。授業を活性化するとは、生徒たちに自主的に考えさせ、言葉として発信させるということだ。そのためには発問を工夫する必要がある。工夫の一つとして、状況を考えさせる発問がある。
 状況を考え、想像できるようになると、生徒の頭の中で、作品はよりリアルなものになっていく。リアルなものになるほど、ほんのちょっとした違和感などから、頭の中には疑問が湧いてくる。その疑問は自主的に考えるうちに生まれたものである。生徒に疑問を考えさせるのである。そうすれば、授業は活き活きとしたものになる可能性が大きくなる。
 しかし、「状況を想像しなさい」と言っても、ほとんどの生徒は状況を想像できない。想像するきっかけを与える必要がある。それこそが、状況を考えさせるための発問である。

  そろそろ具体的な教材を取り上げることにしよう。
 『論語』「郷党」編の一つを教材として取り上げる。

  廏焚。子退朝曰、「傷人乎。」不問馬。 
(廏焚けたり。子朝より退きて曰はく、「人を傷へりや。」と。馬を問はず。)

 この文章を使って、生徒に状況を考えさせる発問を作ってみよう。短い文章なので、かなり想像しなければ状況は見えてこない。

(1)生徒に火事の状況を考えさせる。

 【発問1】「廏焚。」とあるが、馬屋の火事はどの程度のものなのか。

 『論語』の文章では火事の規模が分からない。小火程度なのだろうか、全体が丸焼けになったのだろうか、はっきりしない。火事の規模で人々の動きは変わってくる。小火程度の火事ならば、孔子が「傷人乎」とわざわざ聞かないだろうから、もっと火事は大きかったはずだ。丸焼けになるくらいの火事ならば、火事の後の臭いが残っているだろう。孔子はその臭いをかいで、火事について問いただしたかも知れない。とはいえ、生徒に臭いを想像させるのは難しい。火事の現場や消火作業の跡を経験した生徒がいれば、彼らの発言から想像できるだろうけれども。

(2)火事の状況を考えることで、孔子が火事の被害についての報告を聞いたことが省略されているのに気づかせる。

 【発問2】孔子はいつ馬屋の火事について知ったのだろうか。

 孔子がいつ馬屋の火事について知ったのかも、『論語』の文章からは分からない。朝廷から帰って来てからだと分かるだけである。孔子が馬車に乗って帰って来た時、孔子自身が馬屋に行くことはない。孔子が馬屋に行かなかったということも確認しておきたい。馬屋が離れた場所にあったのならば、火事の後のくすぶった煙や臭いに気づかなかった可能性が大きい。報告がなければ、火事があったということに気づかないかも知れない。
 生徒の答えは次のようなものだろう。

  ・騒ぎがあったので気づいた。

  ・孔子が朝廷から帰った時に聞いた。

 孔子が普段と違う雰囲気から自ら気づいた場合でも、気づかなかった場合でも、馬屋の火事について報告があったことは間違いないだろう。『論語』の本文で「傷人乎」と尋ねたのは、報告を聞いたからだ。

(3)この文章では、孔子が聞いたはずの馬屋の火事の報告が省略されている。省略されている部分を想像させる。孔子が報告を聞いたということを想像した後は、その内容も想像させるのである。

 【発問3】孔子が聞いた馬屋の火事についての報告はどのようなものだったのだろうか。

 ただ火事があった、というのでは報告として不十分であることを確認しておきたい。報告は「自分が報告したいこと」ではなく、「相手が報告されたいこと」を考えてしなくてはならない。この場合、火事があったという事実だけではなく、火事の被害状況について報告がなければ、本当の報告とは言えないはずである。
 この場合の被害状況とは何だろうか。被害状況の中には馬屋の建物とそこにいた馬のことが含まれる。馬には高い価値があることを確認しておけば、被害状況の報告に馬についての報告が含まれる可能性が大きいことが想像できる。

(4)孔子が「傷人乎」と聞いたのは、馬屋の火事の報告の後である。報告の内容についてはすでに考察した。報告を聞いた上で「傷人乎」と尋ねた理由を考えさせる。

 【発問4】孔子はなぜ「傷人乎」と聞いたのだろうか。

 これまでの発問によって想像を働かせた生徒は、次のように答えるだろう。

・馬のことはすでに報告があったので、報告になかった人々のことを心配したから。

 この「人」とは馬小屋で働く使用人のことである。使用人の無事を孔子が心配しているということを確認しておく。

(5)本文中に「不問馬」とあるのはどうしてか、ということを考えさせる。孔子が馬についての報告を受けていなかったことも考えられる。しかし、今までのように状況を考えると、火事のあった当時、報告のあったその場にいた人は孔子が馬のことを聞いているのを知っていたと考えられる。

 【発問5】本文に「不問馬」とあるのはなぜか。

孔子が馬について報告を受けていないとすれば、生徒の答えは次のようになる。

・孔子は貴重な乗り物を牽く馬の心配するよりも、その周囲にいた人々の安否を気遣っているから。

 これまでの発問で想像していった生徒は、次のように答えるかもしれない。
 
・孔子は「馬」が無事だったという報告を受けたので、それ以上馬のことを問わずに「人」のことを心配したから。

・孔子は「馬」はダメだったという報告を受けたので、それ以上馬のことを問わずに、せめて「人」は大丈夫だったかと心配したから。

 以上の二例は、「不問馬」を「それ以上馬のことを問わずに」という解釈をしており、少し不自然だ。
 次のような答えもあるだろう。

・孔子は火事の報告を受けているので、今さら馬のことを聞くことはないのだが、「不問馬」とあることで「傷人乎」という孔子の言葉が強調される。あえて「馬」のことを出すことで、「人」のことも孔子が重んじていることを表していると考えられるから。

 状況を想像することによって、作品は生徒にとってリアルなものになり、疑問が次々に生まれ、さまざまな可能性を考えるようになるだろう。

初出「漢文教育」 (第43号)  2018年10月(広島漢文教育研究会)

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