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映画感想文@君たちはどう生きるか~『皆で答え探しする』劇場鑑賞の醍醐味

鑑賞から一週間経ち、見終えた直後の心のざわめきも少しは整理できたので、話題のこの作品について少し感想を書こうと思う。
事前に情報を提供しないという実験的な上映方針のもと、一切の宣伝を行わずに公開に踏み切るという異例の興行と、その意向を汲み、大胆なネタバレ拡散を控えるファンや鑑賞者一堂に倣って、自分も具体的な内容には極力触れず一個人の感想に留めることにする。

日常的に出向く劇場のうち、車でないと出向くのが厳しい立地とあって比較的いつでも空いているシネコンでのレイトショー。三連休の中日とはいえ、まるで違う場所なのかと思う程の賑わいに、いつになく気持ちが高ぶった。

とはいえ、過去、話題作の封切ともなれば日比谷辺りの大きな劇場では、入場までに数時間かかるほどの行列を成していたことから比べれば、ネットでの動画配信普及による鑑賞スタイルの変移は、言わずもがな業界関係者にとっては憂うべき事態だろう。

で、この作品、どうだったかと言えば。

▼見終えた直後に発信したツイート

「なにこれ、訳が分からない」
「でも、なんか泣けた」

前列で鑑賞していた若いカップルの退場時の会話より

そう、本当に訳が分からない。多くの人が、似たような感想を抱え、解釈に戸惑っていることだろう。

しかし「分かりやすさ」とは?
起承転結が整い、筋の通った設定や明確なメッセージを持っていることか。あるいは、舞台背景や心理描写を丁寧に追いかけ、観客に寄り添うことなのか。
いつだったか「間の読めない現代人」というお題の記事がいくつか出回っていたが、今の小説やドラマには「間」がないものが多い。文章で言えば行間だが、一文と一文の間で、読み手に考えさせることをせず、いちいち事細かに説明するのが今どきの主流だ。
一見、行間が読めない=文章読解能力の低下が問題のようにも思えるが、実はこの手法だと「利己的な解釈」を未然に防ぐことにも繋がる。作品の主訴を誤解なく受け止めさせることが、叶うわけだ。

一つの作品に皆が一律に同じような解釈や感想を持つことが、果たして正解と言えるのだろうか。

自分は古い世代()ということもあり、映画作品を劇場鑑賞することに拘りを持っている。それは、大きなスクリーンや自宅では容易に再現できない音響効果のみならず、見知らぬ他人同士が「同じ作品を観賞するという同一の目的をもって一堂に会する」ことに、大きな意味を感じているからだ。
劇場派なら少なからず経験したことがあるだろうが、圧巻の見せ場ではおのずと歓声が上がり、感涙に咽ぶ様や、エンドロールでの拍手喝采など、自宅でひとり動画配信を楽しむのからは想像も付かぬ光景だ。
そしてこれこそが、劇場鑑賞の醍醐味の一つに他ならない。

にしても、あまりにも支離滅裂で訳が分からなすぎる。
そんな訳の分からないものだからこそ、大勢が一堂に会し「皆で答え探しをする」のに、もってこいな作品だと思う。
冒頭から訳の分からないままに尺は進み、とうとう最後まで答えを見いだせずじまいで物語は幕を閉じ、その後味の濃厚さや余韻たるや、あまり類のない重苦しさだ。

また、ファンなら近しい感想を持つと思うが、これまでのジブリ作品の集大成とも言えなくもない。
千と千尋の神隠しのシーンをそのまま採用したかのような世界観に始まり、主人公が自身の内面と向き合いモラトリアムを乗り越えんとするゲド戦記、人間社会の在り方を憂いて希望と正義を見出そうとする崖の上のポニョ、他にもハウルの動く城借りぐらしのアリエッティ思い出のマーニーなど、いくつもの作品が思い浮かんだ。

本作は、宮崎駿という人が、命の続く限り内なる心の叫びを表現していきたいという信念に基づき、この作品を創り上げたことは言うまでもない。
そして、少しも観客に寄り添おうとする努力の見えない、この不親切な大作が「皆で答え探しをする」という暗黙の共同作業を促しているのだと解釈すれば、妙に納得がいく。

さて。
君たちはこの作品を、どう受け止めるか。

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