見出し画像

「『ウルトラマンZ』を視聴して感じた危機感のようなもの」の正体が分かった:ウルトラマンシリーズ


「主人公が自らアクに染まったことが意味するモノ:仮面ライダーゼロワン(?)」という記事に続き、

「父滅の刃」を読んでいて、以前書いた「『ウルトラマンZ』を視聴して感じた危機感のようなもの」の正体がつかめた気がするので、ここに記しておこう。

以前「『ウルトラマンZ』を視聴して感じた危機感のようなもの」という記事で、

「ウルトラマンZ」及び、最近のウルトラマンに感じられないものの例として、

人間の愚かさとか、環境破壊とか、世相を反映した演出とか、ウルトラマンに頼りすぎない人間の姿とか〔中略〕仮面ライダーにも、スーパー戦隊にも、プリキュアにもない、あのウルトラマン独特の重さ、哀しみ、不思議さ、奇怪さを。

を例に挙げた。

これらは、昭和のウルトラマン、平成初期のウルトラマンにはかろうじて残っていたと感じるもので、今のウルトラマンにはあまり感じられないものだ。

「父滅の刃」を読んでいた時に、この、今のウルトラマンには見られない要素を、一言で表していると思われる言葉を見付けた。それが樺沢紫苑の提示する「父性」だった。

父性の無いウルトラマン

そうだ。今のウルトラマンには「父性」が全然と言ってよいほど感じられない。ちょくちょく見ているものの、それは純粋な「父性」を求めていたというよりかは、どんなウルトラマンが出てくるのか、どんなウルトラマンの新形態が出てくるのかへの興味に近い。

そしてやはり、そこに「父性」を求めるものがない。私が例えば、ウルトラマンティガやウルトラマンガイアや、或いはウルトラマンメビウス、そしてそれ以前のウルトラシリーズに感じていた「父性」がどんどんなくなっているように見えてしまう。

ウルトラマンキング、或いはウルトラの父、ウルトラセブン、そしてウルトラマン、ウルトラマンタイガの父となったウルトラマンタロウには、強い「父性」が感じられる。

ウルトラセブンやウルトラマンタロウは、ウルトラマンゼロと、ウルトラマンタイガの「父」であるし、そしてウルトラの父(ケン)は、ウルトラマンタロウの「父」であり、そしてウルトラマンタイガの祖父にあたる。

ウルトラマンキングは、ウルトラマン全体の「父的」存在とも云える。

やはりそこに「父性」を感じるとることは、割と容易であるように思われる。

そして今のウルトラマンシリーズ、特にニュージェネレーションヒーローズは、総じて誰かの「父」ではない。彼らは、「ニュー」なのであり、新しくあり、頼もしいかもしれないけれど、そこに「父性」はないのだ。

パワーアップはするけれど、(ウルトラマンを悪く言うわけでは無いが)以前の「父性」を持つウルトラマン達とは、やはりどこか頼りないように見えてしまう。だから、そんなに心が熱くならないのかもしれない。

父性を持つルーキー

でも少し例外がある。それは「ウルトラマンゼロ」だ。彼は登場してから11年ほどしかたっていないが、どこか頼りがいがある。

ニュージェネレーションヒーローズの師匠的存在として、彼らを見守り、『ウルトラマンジード』という作品では、「伊賀栗レイト」というサラリーマンと一体化し、彼の身体を拠り所にウルトラマンゼロとなる。そしてこの伊賀栗レイトには、娘さんがおり、ウルトラマンゼロは、その子を自分の娘のように感じるシーンがちょくちょく出てくる。

ウルトラマンゼロには、彼の血を引くものはいないが、疑似的にも「子」の存在を感じさせることによって、ウルトラマンゼロに「父性」を与えているのではないかと、私はなんとなく思いました。

そして新作「ウルトラマンZ」では、ウルトラマントをはおい、まるでウルトラ警備隊の様な風貌を見せます。ウルトラマンゼロの「父性」がより増しているように見えます。ウルトラマンゼロにも、子どもが出来る日が来るのでしょうか・・・。


父性がないウルトラマンゼロ以前のウルトラマン

先ほど、ウルトラマンゼロ以前のウルトラシリーズについて、父性を感じていたと書きましたが、それはあくまで私が父性を感じていただけあって、よくよく見ると、ウルトラマンゼロほど「父性」を持ち合わせていないように見えるウルトラマンもいます。

例えば、ウルトラマンメビウス。彼は、宇宙警備隊のルーキーであって、ウルトラマンゼロよりも先輩です。しかしながらおそらく、「ルーキー」という印象が強く、あまり父性を感じさせることはないのかもしれません。(私は感じてますが)

他にも、ウルトラマンネオス、ウルトラマンナイス、ウルトラマンゼアス、ウルトラマンマックス、ウルトラマンネクサス、ウルトラマンコスモス(多分)、ウルトラセブン21、ウルトラマンゼノンなどは、あまり「父性」を感じることが出来ないウルトラマンかもしれません。

平成が始まった初期から、既に「父性」を持たないウルトラマンは、結構いたのかもしれません。


現れたウルトラマンウーマン

父性を持たないウルトラマンの変わりに、『ウルトラマンルーブ(R/B)』には、「母性」を持つ存在が現れます。それが、「ウルトラウーマングリージョ」です。

変身するのは、もちろん女性の方で。他のウルトラマンがピンチに陥っているなか、突如として、(あまりにも予想不可能な形で)現れたのです。

このシーンを見たとき、頼りないウルトラ「マン」と、ピンチヒッターとしてのウルトラ「ウーマン」という、父性の衰退と、母性の力強さ・頼もしさという対比が現れているように見えました。

もしくは、ウルトラウーマンが、本来ウルトラマンが持ち合わせていた「父性」を代わりに担っているという見方も出来る気がします。なんとなく、「男なんて頼りねぇよな」と暗喩しているシーンにも見えます。

父性が衰退或いは、喪失し、母性が重要になる、或いは女性でも父性を担うことが出来る! と示唆しているのでしょうか・・・。


どうして以前のウルトラマンにあんなにも夢中になっていたのか

私は小さいころ、好きなものをなんども見たり、書いたりすることが好きでした。

興味を持った宇宙の本を読み漁っては、自分でノートにまとめたり、元素記号をずっと暗唱してしたり、元素記号の絵を描いたり、ガキのくせに化学反応式を自分で考えよう(アイシャドウの化学式を考えてましたが、今思うとなんかキモイ)としたり、

なにかを真似る、盗む、模倣する、なぞる、同じものをアホほど見る、そうして自分の中に吸収することが狂おしいほど好きだったもかもしれません。

それとウルトラマンに関連して、小学生の夏休みのころ、「大決戦!超ウルトラ8兄弟」という映画をツタヤで借りてもらって、頭おかしく見るほど見ていたいました。夏休みって大体40日? くらいですが、記憶が正しければ、夏休みの半分以上、つまり20回以上、「大決戦!超ウルトラ8兄弟」を見ていた気がします。ちょくちょく借りていたので、40回くらいは計で見てると思います。

なぜこれほどこの映画を見ていたのか? 

色々理由があります。自分の一番大好きなウルトラマンと、昭和を代表するウルトラマン達が出てくる映画が出来ないかと、無力ながらに夢想していたガキだった私の夢を、その「大決戦!超ウルトラ8兄弟」という作品が叶えてくれたこと。

そしてその「大決戦!超ウルトラ8兄弟」が、「父性」の象徴、に見えたこと。「ヒーロー・怪獣に立ち向かう姿・成長・勇気・正体を隠してでもウルトラマンでもいようとする姿」、これが私には憧れる対象、見習うべき「父性」のように見えたのではないかと思います。

ウルトラマン、ウルトラマセブン、ウルトラマンエース、ウルトラマンジャック、ウルトラマンティガ、ウルトラマンダイナ、ウルトラマンガイアという昭和と平成を代表するウルトラマンは、まさに「父性」の塊に見えました。

ある意味で、「父親」替わりといってもいいかもしれません。仮面ライダーと同様にもしくはそれ以上に、ウルトラマンという存在と、その集大成のような「大決戦!超ウルトラ8兄弟」を、おそらく40回以上も見て、10年近く経っている今でも覚えているのは、それが私という人間にとって、「父親」的存在だったからだと・・・と考えます。


なので、「『ウルトラマンZ』を視聴して感じた危機感のようなもの」は、【父性の喪失】なのではないかと思います。


今のウルトラマン、もはやそこには憧れるべき「父性」、尊敬の対象でもあった「父性」(私個人にとってですが)が、無いのではないないかと感じます。

「父滅の刃」の126ページには、2000年代は、既に「父性喪失の時代」であると樺沢紫苑によって表にまとめられているので、2000年代に放送された「大決戦!超ウルトラ8兄弟」は、既に「父性」が喪失していた作品かもしれませんが、

初期のウルトラマン達が出てくるという要素にはやはり、「父性」のようなものが感じられますし、ウルトラマンゼロの父親となったウルトラセブンが出ていると捉えられる今は、余計に「父性」を感じる作品かもしれません!


これからもウルトラマンが父親的存在

きっとこれからも、昔のウルトラマンを思い出しては、「父性」を主出すかもしれません。実の父親には少々悪かったが、ウルトラマンの方に、私は「父性」を感じている。

(父親にも、父性を感じたことが無きにしも非ずかもしれないけれど)

仮面ライダーやウルトラマンにいつまでも惹かれてしまうのは、そこに僅かでもどこか父親の何かを見いだしているからかもしれない。それと、ウルトラマンや仮面ライダー以外に、「父性」というものを感じることが出来ていなかったのかもしれない。父性が感じられない今のウルトラマンにも、きっといつか父性を感じさせるウルトラマンが返って来るとどこかで信じているからかもしれない。



まぁとどのつまり、「父親」がいるからと言って、子どもが必ずしもその父親に「父性」を感じることは無いよということです。ヒーローものに憧れる子供はもしかしたら、現実に「父性」を感じることが少ないのでは?と思います。

それが私の言いたいことの一つです。実際に私はそうでしたので。



いつまでもガキみたいに特撮見てんじゃねえと、私が私自身に言うこともある。あんた、まぁたウルトラマン見てんの? と言われることもある。だが、そこに「父性」を見いだし続ける限りは、死ぬまでずっと見続けるのでしょう。

裏を返せば、ウルトラマンを観なくなった時、もはや「ウルトラマン」に〔父性〕は存在していないのかもしれません...



なんか気づいたら4000字いってたわ。

文章を書くのは、やはり楽しいものですね・・・。




今日も大学生は惟っている。

参考文献

樺沢紫苑.2020.父滅の刃 消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析.みらいパブリッシング



🔵メインブログ🔵


ちなみに、一番好きなウルトラマンの声は、ウルトラマンガイアはです。「デェア!!」という芯のある声が、重みがあって「父性」を感じさせます。


サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。