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空を見上げて泣いた〜心からのシグナル〜

こんにちは。鬱や摂食障害を患ってから健康オタクになった雨夜月です。

私は空が好きで嫌いです。
透き通った青い空も、茜色の空も、ピンクと水色が入り混じった美しい薄紫の空も、美しくて好きで悲しくて嫌い。

「海外行きたい」って思うのは私にとっては初めはただの旅行に行きたいの合図だと思ってたけれど、今現在の認識は心からの危険シグナルだと思ってる。

鬱と気づくまでにさまざまな信号がありました。以前書いた"かなしばり"の話もそのうちの一つです。
自分の職業が好きではなかった私は、日々忙しさが増すうちに、海外に行きたいって気持ちから徐々に「どこか遠くへ行きたい」にシフトしていきました。
けれど、どこへ行けば良いか分からず、ただ漠然とどこかへ行きたい欲求。
けれどどこへも行くことができない絶望感。
お金は十分あるはずなのに。

鬱ピークに達した時、私は出勤して仕事をこなしていました。
その頃には定時で帰るように言われていて1人で家までとぼとぼと歩いて帰っていました。
誰かと連絡を取る気にもなれなくて、ぼんやり歩いていて、足を止めてふと空をみあげてみると綺麗な夕空が見えて、

「死にてぇなぁ」とぽつりと声をこぼしていました。

私は死にたいなんて思って、それが声に出ることに少しおどろいたはずなんですが、ぼろりと涙が溢れて、"あぁ死にたかった"のかぁとその時すとんと胸の奥に落ちてきました。

ただ、死ぬ勇気はなくて今も生きてますが。

その空が綺麗だったんですよ。
青い澄んだ空が残る中で、オレンジ色が侵食していくような美しい空。

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こんな感じの泣きたくなるくらいきれいな空。
雲はどこにも運んでくれないし、帰り道涙が止まらなくなって、でも誰かに見られたくないから急足で帰った記憶があります。

私にとっての「海外に行きたい」は、かわいい現実逃避。
「どこか遠くへ行きたい」は会社を辞めたいだったり、逃げ出したい気持ちが強くなって行った時ーーーー。
何かしら手を打っていたら、私は鬱にならなかったんだろうなと思うときは少しだけあります。
たらればは意味がないので、あまりしませんが。

今は自分のストレス度診断に使ってます。
「どこか遠くへ行きたい」と思い始める前に問題を対処することができるので今は心からの危険シグナルとなっています。
これもまた経験かと思えるようになるのがすごい時間がかかるので、死にたいと思うまで行きたくないだけのことはありますが。

空を見上げた瞬間に出てくる気持ちに少しだけそわそわする私もいます。
だれもやっぱり"死にたい"なんて思いたいと思わないですからね。

皆さんはなんとなく思うことはないですか??
自分の心からのシグナル受け取ってあげてくださいね。

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