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明日には研究者を諦める君へ

※この日記は自分が博士課程にいた記録として残しておきたい想いから書きます。大変個人的な内容になっておりますので、興味ある方はお読みください。

※2020/12/5追記
弊記事が株式会社アカリク様より「アカリク アドベントカレンダー」で紹介されることになりました。
https://adventar.org/calendars/5534

辞める決意をした博士4年目

私は、博士課程に通う学生。研究成果はそこそこあったが、教授に論文にすることを認めてもらえずオーバードクターをすることとなった。そんな博士4年目の風当たりは強い。まず、日本学生支援機構は"留年者"とみなし、貸与型奨学金の援助を打ち切りにする。私の両親は既に定年退職して年金暮らしをしており、両親から仕送りを送ってもらうことが難しかった。つまり貸与型奨学金は私の生活費と学費になっており、学業を続けるための生命線であった。それがなくなり自分でお金を稼ぐ必要が出てきた。

コロナの第1派が治まったころの5月から私はアルバイトを始めた。ちょうどUberEatsの配達員のバイトが流行っており、御多分に漏れず私もやることにした。とは言っても研究を休むわけには行かず、朝8時にラボに行き、夜20時まで行う。そこから、夜12頃までアルバイトをしていた。自分の体感としてはかなりキツかった。卒業が見えていたらなんとかやり切れたかもしれないが、先が見えない不安によるストレスが容赦なく私を苦しめた。結果として私は体調を崩すこととなった。

この体調不良で自身の限界を悟ることになる。論文に出来るほどの研究成果を残せなかった私は、博士号取得を諦めることにした。

もう研究をしなくていいのか?大学に残らなくてもいいのか?

私にとって博士課程は鍛錬の時間であり、やりたいことをとことんやってみたいから通うという位置づけであった。そのやってみたいことが分子生物学であったこともあり、このような基礎的な研究は会社ではどうしてもやりづらく、大学院に進学する選択肢が望ましいと判断した。

大学での研究は給料を貰っているわけではないので基本自由である。全ての責任は自分が被らないといけないところは大変かもしれない。これがポスドクになると給料をもらう立場になるため、研究が成果主義になる。自分が本当にやりたい研究よりも成果の出やすい研究になり、自由が制限されるようになる。そしたらほとんど会社員と変わらないし、それなら給与が良い民間企業に就職した方が良いと感じる。

ここまでやったのに博士号取れないなんてもったいなくないか?

博士課程を「博士号を取るために通う」という点においては確かにもったいないなと感じる。実際に私も体調を崩すまでは博士号を取るための成果を出すまで研究をしていた。しかし、私は博士に通う元来の目的が「自分のやりたいことをとことん突き詰める時間」である。目的は達成されていたし、何より「"自分の頭で考えること"とは何か」がよく分かったから、それだけでも十分収穫であった。

自分の頭で考えるということ

自分の頭で考えること。僕はこれを"自分で組み立てる論理に従って行動できること"と考えている。詳細に書くと以下になる。

①.自分の考えを他人に説明し、理解を得ること
②.論理の質を確保するための自走力、自学習、リサーチを能動的に行えること
③計画遂行のための行動力を携えていること
④困難を乗り越える忍耐力が強いこと

これらの能力は自費で博士課程に通い、卒業のために本気で行動を画策するからこそ身につく能力だと感じる。

博士課程中退はよくあることなのか

分野によっては良くあることである。例えば文系の人文系の大学院に至っては博士課程3年で修了できる人間は4割に満たない。理系でも7割ほどになるため、10人に3人は辞める結果となる。結構な人数ではないだろうか。また、取得できた7割の人でも、博士号の実力を有していたか怪しいところがある。例えば、博士課程修了要件に国際誌への論文掲載があるが、その論文を教授が全て書いてしまう場合がある。実験も全て教授の指示通りに行うだけの人間もしばしばいる。

一般的に博士号審査は予備審査→本審査という過程を経るが、予備審査や本審査へ学生を出すかどうかは指導教官の裁量によるところが大きい。先程も書いたが論文で揉めやすいとからがあるからだ。この指導教官の裁量というのが曲者である。例えば、研究費を取る都合上、グレードの高いジャーナルに出すためにデータがもっと出るまで実験をやらせる人、共同研究先との兼ね合いを考える人、企業と連携して研究している人ならば、利益追求のための論文の出し方になるだろう。また教授の中には研究室の格調を落とさないように、高いグレードの論文を要求する場合もある。

このように、指導教官によって博士号を取るのが簡単にも難しくもなる。ちなみに本審査の時は副査と呼ばれるメインの教授の呼びかけにより集められた教授陣が5〜6名つくが、本審査まで進んできた学生を副査が落とすことはほとんどない。よってこのことからも、博士号は指導教官による裁量が大きい理由として挙げられる。

博士中退者の就活

話題は変わるが、博士中退者とはどのようなキャリアを積むことになるのかを記述する。先に結論を書くが、大学院を辞める前に就活をしていた。研究やアルバイトをしながらだったためほとんど時間が取れなかった。受けていたところは機械エンジニアやソフトウェア開発などである。どうして生物から機械や情報工学へ?と思うかもしれないが、元々大学から大学院に進学する際に分野をガラッと変えた経験があるので他分野に行くことは厭わなかった。これらは「仮説を立て、実験し、結果考察」という一連の研究の流れを生かしやすい職種だと感じていた。自分のアイデアを形にして世の中のために製品として出しやすいと感じたことなどが挙げられる。ちなみに生物を専攻していたなら製薬はどうかと思うかもしれないが、上市までのフローがこれらの職種と比べかなり長く感じたためやめた。

博士課程からITエンジニアへ

私は今ITエンジニアを目指し勉強中である。研究に携わってきた人間なら文献リサーチ力は相当ついているはずである。また、IT技術を身につける過程は、実験系を考える思考過程に似ている。私はITは今や全員がスマホを持つほど浸透しているし、人々の暮らしをより良くするもの、未来を豊かにしていくものだと考えている。何より新しい技術の発展が早いゆえに高い情報処理能力が求められ、博士向きの仕事である。私も研究で培った論理的思考力を生かせる仕事としてITエンジニアになりたいと思っているところである。ただ、実力がモノを言う世界なので、資格試験などに積極的に取り組む必要はある。

博士をやり直すことが今の夢

私はいつか博士をやり直す予定である。博士とってどうするの?とか博士は手段に過ぎない、とか色々意見はあると思うが、一人前の研究者として認められることは私の憧れである。

私の価値観は「博士はかっこいい。」それ以上になりたい理由はないし、なによりも強い動機だと信じている。





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