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スリル・ミー

何度も再演されている作品だけど、観劇するのははじめて。

再演決定!の情報解禁が出た時にTwitterで沸いていた。好きな俳優さんも出演されることから、どんな作品なのか興味をもったことがキッカケ。

大阪公演が中止となってしまったため、それぞれのペアの千秋楽となった公演を観劇。(2021.05.15〜16 ウインクあいち 大ホール)

そして、その後の配信でも3ペア拝見。(2021.05.29〜30)
すっかりスリル・ミーファン。

⚠️ネタバレも含みます。



◎成河さん
54歳「私」の大きなため息のように発せられる言葉。絶望感や犯した罪への懺悔、服役生活での身体的・精神的疲労感だとかを感じられた。

暗転すると一変。
若々しくて、ちょっとおどおどした19歳の青年。眼鏡かけた姿が「頭の良いのび太くん(!?)」ってなった。
♪超人たち で、殺人を犯してしまったしまったことで頭が真っ白な状態で、彼の狂気な目が見ることができなくて、でもこの気持ちをなんとかしてくれるのも彼しかいなくて。っていう心理状況がめちゃくちゃ伝わってきて。犯罪を犯すことの恐怖と、彼を一途に求める一生懸命さが混在して、この揺れる思いがなんとも言えない。私と一緒にスリルを味わうゾクゾク感。
観劇後には、でもあの時にはすでに「私」の計画がちゃんと実行されていたんだと思うと、恐怖でしかない。
最後の大どんでん返しの結末に「裏切られたーー!!!」ってなった。とても良い意味で。
最初から最後までドキドキゾワゾワが止まらなかった。
そして観劇後も、あの時のあの言葉・あの表情はそういう意味だったのか!と、わからなかったピースがはまっていくような感覚がブワーッと湧き出てくる。配信で「私」が審理委員会に「何が知りたい?」と言うセリフに「もっといろいろ知りたーい!!!」と大声で返したくなる、そんなお芝居。

◎福士誠治さん
私に気づかれないように歩み寄るゲームでは、そろりそろりと視線も気にしながらで「え、恋人じゃん」ってなった。「私」が見てない時には、そうなるのかな?笑
「彼」は自分から抱きしめたり、キスしたりするけど、「私」が手を伸ばそうとすると必ず退けちゃう。これは共通。だけど、福士さんは「これで満足か?」という時に私から目を逸らしていて。
なんだか、家族からの愛に飢えていた「彼」には、「私」他者からの愛を頭では理解できるけど、心では理解できなくて、受け止めることができなくて、これは知らないものだからと、防衛したようにも感じられた。深く関わることを恐れたような?
家族愛に飢えていた彼には、それよりも更に上の段階にある他人からの愛を受け止めることはできなかったイメージ。マズローの欲求5段階説の「社会的欲求」が満たされてないから「承認欲求」へ進めれないって感じ。エリクソンの心理段階で、人との愛を深めていきたいんだけど、深い関係をためらっちゃって拒んでしまう、そんな感じ。(いきなりマズローとかエリクソンとか出ちゃったけど、大学で学んだことが、観劇に役立っていることに感動。)
「私」からの愛を素直に受けたら、自分が変わってしまうのではないか?というような?不安だとかも感じられた。また、「彼」と「私」の服従のような関係を崩したくなかった?とも感じた。
父親から認められない「彼」。
親から期待されて愛情を受けて育った「私」。
そんな点で彼は私に劣等感を感じてるけど、私は彼の虜である故に、彼の方が上の人間なんだと、ちょっとしたルサンチマンを抱き、弱者を正当化させる心理が働いていたように受けた。
わぉ、冷静に考えると彼本当に嫌なヤツじゃん。ってなった。でも、そんな彼だけど、彼が犯罪を行うのは不安をかき消すためであって。そして、倉庫を燃やした後も、殺人を決めた時も、殺人を実行した後も、私を抱くことによって、自分の不安を解消しようとしていたんじゃないかな?と思った。そして、私も、そんな彼の気持ちを感じとっていたから、嫌いになることはできなかった、ずっと愛し続けたんじゃないかな?って思った。

あと、♪スポーツカーで「誰ですか!?」って程、優しい彼になるからやばかった。クラスのみんなに自慢できるよとか、少年に適した言葉選びが本当に巧妙。あれは落ちるわ。知らない人でも、ついていっちゃうわ。(殺されてしまう)
父親に見放される前は、兄として弟にあんな優しさを持って接してたかもしれないな。とかも想像するとやばい。まさしく、弟の身代わりとなってしまった犠牲の羊。

彼が事件を起こしてしまったのは、そういった家庭内のことや、より優れたものが上に立つことができるということに囚われてしまった。まさに『資本主義の病』だな。と感じられたペア。




◎松岡広大さん
最初に感じたのは「あれ?広大さんって、こんなに大きかったっけ?」。というのは、54歳の「私」から滲み出る深みから。キャストの中で1番若いはずなのに、どうしてそんな深みが出てるの!?と驚き。咽喉を引いて発せられる声、悲しげな表情、彼を思い出す時の、愛しくて、寂しくて、苦しいような感じがなんとも言えない。
あ!でも、「彼」が出てきてからの身長差には、きゅんでした。笑

広大さんの「私」は、とにかくピュアさを感じた。彼との待ち合わせでの「待ってたよ!」、お前がいなきゃダメなんだと言われた後の喜びがピュアピュアで眩しい。「彼」によって、ものすごく揺さぶられてる「私」。
そんな「私」から、なんで彼をそんなにも愛したのかなぁ〜?と考えた時。私は金持ちの息子として、不自由なく暮らしてたし、両親からの愛情も受けていたけど、同性愛者っていうことを抱えていて。周りの人とは違う、少数派であることは孤立を生んでしまって、隠すこともまた苦しくて。側から見たら全て満たされている青年であっても、私には孤独を抱えてたんじゃないかな?と思った。そんな中「彼」という存在がいて、彼の前では自分が自分でいられる喜びもあって、彼がいないとダメなんだ!って一途に、盲目になっていったんじゃないかなぁ〜、と感じた。そしていつの間にか、深い森の中へ。♪戻れない道 の歌声が、なんともせつない。

釈放された時の、「じ、ゆ、う。…自由。」ってセリフ。「彼」のいない世界で自由と言われても、何が自由なんだみたいな。身は解放されても、心は自由じゃない感情。所持品を受け取って、彼の写真を見た時の「待ってたよ…」の嬉しさを噛み締める言葉。こっちも泣きそうになった。


◎山崎大輝さん
私に気づかれないように歩み寄るゲームで、「めっちゃ大幅で来るじゃん!」ってなった。その後も、殺人のための物品チェックしてる時のテンションも高めだし、犯す時にも冷酷な目だけじゃなくて、ニヤリとした不気味な感じもあって、めちゃくちゃゲームを楽しんでいる「彼」だなと思った。いわゆる彼の「中二病」が1番濃く出ている。私のお気に入りの中二病セリフ(?)は「超人の俺は、これでおやすみ。」人間として肯定することはできないんだけど、なんだか愛おしくなる「彼」。笑

犯罪をゲームとして楽しんでるけど、放火、窃盗じゃ物足りなくなって、殺人に心奪われちゃう、しかもそれが超人への道だと真っ直ぐに言ってしまう彼の目がめちゃくちゃ怖かった。


「彼」って「私」がレイって呼んでほしいこと知ってるから、本当にズルイなぁ〜ってタイミングで使う。「彼」が逮捕された時とか、特にズルイ。
でも、「私」も「彼」が弟に敏感であること知ってるから、何かあったら弟の名前を出すのもズルイし、うまい。

1番若いペアで、実際の「私」と「彼」にも歳が近くて。「私」の彼へのピュアさと、「彼」の非行に走っちゃう姿だとか、若さ故の不安定さ、脆さだとかも鮮明で。不安定な彼らだから、唯一すがることができる"君が必要"なんだな。『生の暴走』なるほど。リアルさが溢れてた。


◎田代万里生さん
私の中でも1番賢そうな「私」。姿勢だとか、動きから育ちの良さが出てる。54歳の時でも同じように感じられた。
万里生さんの「私」には、もちろん「彼」大好き!はあるんだけど、「私」という個・自我の強さが序盤からシッカリと出ていたなぁ〜と感じた。彼がアイデンティティ不確立なのに対して、私はアイデンティティ確立済み的な?(あ、でも。彼の意思に逆らえなかった点ではまだ確立途中みたいなものかな?彼よりは済みって感じ?)

万里生さんの私を見て、「私」が計画を実行しようと決心した時って、彼が淡々と殺人の準備をしている時、そして黒ずくめの彼を見ていた時なのかな?と感じた。
彼にいくら私だけを見てとアプローチをしても、一向に目を向けてくれない。彼の「力への意志」は私でも無い、結局のところ父に自分の存在を認めてもらうことへ向けられていると感じて、計画を胸にして、ソッと去っていったように感じられた。

彼のことをずっと見てきた、彼のことで知らないことなんて無いって。実際そうだったから、私の計画通りにことを進めることができてて。でも最終弁論後にキラキラした目で夢を語る「彼」に、そんな彼の姿を見れて嬉しい反面、彼の知らないところがあったなんてという悲しさとか悔しさとか。ね。


◎新納慎也さん
私に気づかれないように歩み寄るゲームでは、スンとした顔で、ちょっと止まるけどサッサッサッ来る印象!なんかスマートなんだな。
「私」への対応?だとかも、なんだか淡白なんだけど、「私」を抱きしめる時とかは、ジメッとねっとり感が出てて、「私」はそんな「彼」に、こんなにも強く深く君を求めちゃうだろうなって思った。

新納さんの「彼」はアダルティで、刺激強めで、きゃー!恥ずかしいから見られない(だけど見ちゃう)!って、なったから、このペアだけ年齢制限のマークつけた方がいいと思った。笑
でも、新納さんが「彼をエロくさせた万里生」さんって言ってたから、あ!そうか!そうなのか!と納得。
初演ペアで、信頼関係が築けていたから、あの2人だからできる「私」と「彼」の一面だな、と感じた。

アリバイ工作してる「彼」と「私」の場では、なんか他のペアは「彼」が、こう言え!って伝えてるんだけど、なんだか新納さん「彼」は発言する時の表情もレクチャーされてるようで、あ!そこも教えてくれるのね!ってなった。
あの時に手を繋いでるのも、「私」の不安を和らげる「彼」の優しさだったら、、、とか思うと、「彼」のちょっとした人の良さがみれるのと、「私」のこと好きじゃんってなった。


牢屋に入れられてから、夜になると不安になる「彼」の髪型がだんだんと乱れていって、その不安が視覚的にもとらえられた。「死にたくない!」と叫んだ夜があけて、「私」にいつもの冷静な「彼」を装ってるの、とても人間だなぁ〜と愛おしかった。

ラストシーンで「永遠に」って言葉でニーチェの「永劫回帰」がピッタリとハマって恐ろしかった。
「私」は「彼」のことをずっと見て、彼に裏切られてもずっと愛してたし、「彼」もたしかに「私」を愛していた。そして、「彼」を恐怖へと一変させた「私」による『究極の愛』だなと感じた。



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こんなにも強く深く、この作品に惹かれるのは、この濃密な2人芝居と、感情が高なるピアノの音の豊かさ。また、「私」のように、彼を私だけのものにしたいという独占欲だとか、「彼」のように、父だとか誰かに認められたいっていう欲だとか、またそうさせてしまう周り、社会への反抗心だとか、そういうものに共感するものがあったりだとか。そして、平凡な日常に生きてる中で、ちょっとしたスリルを味わいたいという心の奥に潜む欲だとかが人には少なからずあって。息することも忘れるような、スリル満点の100分間と芝居、歌、音楽の虜になってしまうし、観劇後もずっとずっと「私」と「彼」のことを考えてしまう。

「彼」がニーチェにのめり込んじゃう姿に、「彼」とニーチェの共通部分が見えて。
「彼」は頭も良くて、お金持ちの息子で、父からきっと周りからも期待されて、子供の頃は勉強にも励んで頑張ってたけど、大学以降はちょっとうまくいかなくて、荒れて酒と女に逃げて、最終的には殺人まで犯してしまって。
ニーチェも賢くって、牧師の息子で聖書のことも何でも知ってたけど、その時代の宗教背景から絶望して、キリスト教批判して無神論をとなえて。人間は己の力で強くなって、超人になっていくべき。超人となって、善悪を自ら決めるものとなれ…って。
「彼」はニーチェに自分を重ねて、超人を目指して、自らを神とした。
私個人の意見としては、これは悲し過ぎる。
ニーチェは聖書を理解していたけど、本当の意味として理解できていなかった。神様の、そしてイエス様の愛に触れることができなかったとしか思えない。でも、それはニーチェが生きた時代によることもわかる。だけど、辛い。
「彼」も心の辛い生活の中で、父からの愛や「私」からの愛を感じて素直に受け止めることができていたら、また違った道を歩めたのかもしれない。

[コロサイ人への手紙 2:7,8,9,10]

キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

[ホームページ]
https://graceandmercy.or.jp/app/

スリル・ミーのことを考えている時に、心に留まった聖書箇所。

コロサイにある教会の信徒たちが、世の中の考えからキリスト(救い主)を否定する。ニーチェと同じ状況になった時に、使徒パウロが教会の在り方を問いて書いた手紙。
人間はとても脆くて、愚かで、欲を満たしたいが故に、自らで善悪を決めてしまいたいと自己中心的になってしまう。だけど、その心の飢え渇きには、キリストの愛が必要不可欠であって、キリストの愛の中に生きることで、私たちは安心して生き生きと自分らしく生きられることができる。キリストは絶対見放さず、見捨てない。ずっと愛を持ってそばにいてくれる、絶対的存在。支配って強い言葉だけど、これはキリストの愛の中(愛して大切にしてくれる人に私は守られているんだ)ってことで、神であるキリストを愛して知ることで正しい判断を知り行動することができる(権限)ってこと。

「彼」とニーチェが、本当の意味でキリストと出会って愛にふれていたら。そう思ってしまう。

最後に。作品への感情がめちゃくちゃデカくていろいろ語ってますが、理解不足でまだまだわからないこともたくさんありますし、これ違うんじゃ無い?とかもあるかと思います。大いに私個人の主観が混じってることご留意ください。

「私」と「彼」の普遍なる物語に、出会えてよかった。愛を込めて。

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