【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 身代わりとして求められた少女・若紫 ー
『源氏物語』の女主人公とも言える紫の上。
少女の頃若紫と呼ばれた彼女は、藤壺の代わりとして連れられた、心細い立場の人でした。
源氏が若紫と出会ったのは18歳のとき。
この頃の源氏は、正妻・葵の上や六条の御息所ら恋人がいながら、義理の母・藤壺女御への叶わぬ恋に苦しんでおりました。
そうした中思いがけず発見した藤壺に似た少女・若紫に源氏は執着していきます。
10歳のときに源氏に見初められ、人生の大半を源氏と共に歩んだ若紫。
彼女の人生は源氏と出会ってどのように変化したのでしょう?
紫の上の少女時代・若紫の生まれと育ち ー 父親に顧みられない娘
若紫は源氏の愛する藤壺の姪。藤壺と同じく先帝の高貴な流れを汲んでいます。
しかし妾の子であったため、正妻の子よりも軽い扱いを受けていました。
若紫の母は、故按察使大納言の娘というそれなりに身分の高いの女性だったのですが、父・兵部卿の宮の正妻はそれよりもさらに身分が良い上に情のない人で、若紫の母に辛く当たっていたようです。
そうした気苦労がもとで母が亡くなった後、若紫は母方の祖母・尼君の手で育てられますが…その家に父親は滅多に顔を出しませんでした。
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10歳のとき、祖母・尼君も亡くなり、ついに身寄りがいなくなってしまった若紫。
兵部卿の宮は正妻とその子供たちがいる自邸に彼女を引き取ろうとしますが、その前に源氏が無断で連れ去ってしまいます。
迎えに行ったら娘がおらず、父・兵部卿の宮は悲しみます。けれど、心当たりを探しても見つけることはできません。
彼が若紫の行方を知ったのがいつなのか、物語では示されおりません。
しかし数年後、事実を知った後も源氏を責める様子はなく、朗らかに交流する姿が記されているのです。
シンデレラのような若紫 ー 連れ去られたときのリアルな様子
若紫=紫の上の運命は、物語の継娘譚のようだと言われています。
確かに、継母に冷たく当たられている少女が運命の王子さまに出会い、幸せを手にするという展開は、シンデレラのよう。
実際『源氏物語』内でも「物語にことさらに作りいでたるやうなる御ありさまなり」と書かれており、継母が嫉妬しているのです。
しかし『源氏物語』がシンデレラと違うのは、源氏と出会った当初、若紫がまだ10歳の幼い少女だったこと、そして誘拐されたということです。
このときの若紫はどのような心境だったのでしょう?
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紫式部は源氏に迫られたときの若紫の恐怖をはっきりと描いています。
例えば、若紫の祖母・尼君が亡くなった後、源氏が若紫の屋敷を訪れ、乳母・小納言に彼女を引き取りたいと願い出たときのこと。
事情を知らぬ若紫がやってきて御簾の内に座ると、源氏はその下から手を入れて若紫の着物や髪を触り、手をとります。
若紫が、父親以外の男性がそのように近づいてきたのが恐ろしく、奥に入ろうとすると、源氏は御簾の中にすべり込む。霰が降り荒れているのを理由にそのまま泊まると言って若紫と帳台の中へ入ってしまうのです…!
原文から、若紫の怯える様子が伝わってきませんか?
しかしそんな彼女の様子を源氏はかえっていじらしく思い、単衣だけで包んで添い寝してしまう有り様です…。
さらに問題の誘拐シーン。
若紫の乳母・少納言も止めきれず、寝所に入っていく源氏。
何も知らずに寝ていたところを抱き起こされた若紫は、寝ぼけて源氏を父親だと思うのですが、声を聞いて違うと気づくと、驚き、恐ろしがる。
そして周囲の不穏な空気を感じ、泣き出してしまうのです。
源氏の住む二条邸に連れられてからは、
という様子。乳母の少納言のところで寝たいと主張しますが、源氏に「もうあなたは乳母などと寝るものではありませんよ」と、少女時代の終わりを告げられてしまうのです…。
源氏の誘拐行為は平安時代には許されるものだったのか? ー 源氏と若紫の身分の差
ここで現代の読者として気になるのは「源氏の犯罪的な行為は、当時は許されるものだったのか?」ということでしょう。
答えは、「褒められた行為ではないが、身分差がある状況では周囲も咎めることができなかった」ということかと思われます。
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若紫を発見したときから、藤壺の身代わりとして自分の手許で育てたいと考えていた源氏。その申し出は若紫の周囲の者から断られますが、源氏は諦め切れません。
そのうち祖母・尼君が亡くなり、若紫が父・兵部卿の宮に引き取られると聞いて、源氏は次のように考えます。
これを、渋谷栄一氏は
と訳しており…これが少女を連れ去るということに関する源氏の考えなのだろうと思われます。
源氏には、裳着(当時の女性の成人。12〜14歳)を迎える前の少女と結婚をしようとすることも、少女を連れ去ることも、常識から外れる行為だという認識はあるのです。
けれど気持ちを抑えることができないので、秘密裏に事を進めようとする。
そうしたときに、父親を通じて正式に結婚を申し込むよりは、黙って連れ去るほうが世間の噂にのぼる可能性が少ないと計算したのでしょう。(尚、源氏は若紫の祖母・尼君やその兄・僧都らには直接申し込んでおりますが、それはこの2人が出家して世間と関わりがなかったからだと思われます)
またもし誘拐が露見しても、帝の子である源氏と、親王の妾の子(しかも母親を亡くして後見がない)の若紫ならば、さして咎められないと踏んだのかもしれません。
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実際、源氏が若紫を連れ去る際には、その場にいた女房らも、源氏の忠臣・惟光でさえも「これは、いかに」と声を挙げています。
しかし周囲のうろたえぶりに対し源氏は強く、むしろ堂々とさえしています。
そんな源氏に若紫の乳母・少納言も口出しできません。
若紫が源氏に共寝させられたときも、連れ出されたときも心配して側を離れなかった少納言。
しかし源氏の屋敷についてからは、「涙が止まらないのは不吉だから」と泣かないように努めます。それはこの日が事実上若紫の嫁入りの第一日だからであり、既成事実を前に早くも受け入れる姿勢を見せているのです。
若紫は幸せになれるのか? ー 身代わりとして生きること
このような始まり方をした若紫は果たして源氏と共にいて幸せになれるのでしょうか。
源氏はこの後、若紫のために女房や童女を呼び寄せ、美しい調度品や絵巻物、雛遊びの道具などもそろえます。また源氏とは別に若紫のための政所、家司などを設け、貴族として暮らしていくために何の不都合もないよう手配しました。
こうした源氏の配慮を少納言も僧都も「思いがけない幸運」と喜ばしく思います。若紫自身も源氏がいないと寂しがるほど、そこでの生活に馴染むのです。
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しかし源氏は、若紫を可愛いがりながらも藤壺への思念を忘れてはおりません。
源氏は若紫に会う以前から、女性を幼いうちから手許で理想的な女性に育てられたらと夢想していました。
若紫を初めて目にし、藤壺と似ていると気づいた後、「かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と早速身代わりにすることを考えています。
源氏が若紫を連れ去る前後に詠んだ歌に、次のようなものがあります。
上のニ首の「紫」や「武蔵野の露」はいずれも藤壺のことを指しており、「根にかよふ若草」「ゆかりの草」は藤壺にゆかりのある若紫のことです。
源氏は、「藤壺ゆかりの若紫を手に摘んでみたい」「まだ一緒に寝てはいないが、藤壺にゆかりのある若紫を愛しく想う」と欲望も露わに述べているわけで…
源氏にとって若紫は藤壺の代わりだからこそ愛しい存在なのであり、若紫を身代わりにすることは、彼女が母を亡くした妾の子という心細い立場だからこそ可能なことでした。
若紫が源氏に大事にされていることを、少納言や僧都が喜んでいるのは、それが身分の低さに対して「思いがけない幸運」だったからなのでしょう。
源氏の歌に答えて「私は一体誰のゆかりの人なの?」と問う幼い若紫。
彼女は生涯この疑問を抱き続けただろうと思います。
【参考】
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