マティスと小夜啼鳥のバレエ・リュス 国立新美術館「マティス 自由なフォルム」展後記
東京都港区の国立新美術館で2024年5月27日まで開催中の企画展「マティス 自由なフォルム」に行ってきました!
この企画展は後期の切り紙絵を中心とした内容。
絵画や彫刻作品ももちろんですが、大型の壁面装飾や日本初公開の切り紙絵、マティスが実際に使用していた家具やパレット(上に残っている絵の具が色鮮やかで美しい!)、そして彼の集大成となるヴァンスのロザリオ礼拝堂の再現など見どころが多く、とても充実した展示です。
中でも私が特に感動したのは礼拝堂の司祭服でした。
マティスは礼拝堂の制作にあたり、建築全体だけでなく壁面絵画や典礼用の調度品など細部にいたるまでデザインしているのですが、その中に司祭服一式も含まれています。
昨年上野の東京都美術館で開催されたマティスの大回顧展でも紹介されていたのは一部のみ。ところが今回は色違いの司祭服が6種すべてあり、しかも広い空間でぐるりと見渡すことができたのです…!
それらはただの色違いではなく、デザインも異なり(それぞれの色は典礼暦により象徴的意味が厳密に決まっているそう)、遠くから眺めたり、近寄ってじっくり見たり…。下書きや切り紙を貼り直した跡もわかり試行錯誤の様子がうかがえました。
マティスは初めての方も、他の展覧会で見たことあるという方にもおすすめしたい展示です。
おわかりのように、マティスの作品は絵画、彫刻、壁面装飾…と多岐にわたるのですが、この記事で取り上げたいのは舞台芸術です。
マティスがバレエ作品、しかも20世紀前半にヨーロッパを席巻したバレエ・リュスの舞台に関わっていたことは意外と知られていないのではないでしょうか。
ここからは、企画展にもあった1920年(マティス51歳のとき)に上演されたアンデルセン原作の作品、『ナイチンゲールの歌』をご紹介したいと思います。
バレエを芸術の域まで高めたバレエ・リュス
『ナイチンゲールの歌』の話に入る前に、バレエ・リュスについて簡単にご紹介しましょう。
バレエ・リュスはフランス語で「ロシアのバレエ」という意味の言葉。本来単なる一般名詞なのですが、これが、ロシア出身の興行師・セルジュ・ディアギレフが率いたバレエ団のことを指すのです。
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バレエはよく、「イタリアで生まれ、フランスで花開き、ロシアで成熟した」と言われます。
バレエの起源は1537年、メディチ家出身で後にフランス王妃となるカトリーヌ・ド・メディシスが、ポーランドからの使節をもてなすために作られた演目に初めて「バレエ」という言葉を使ったことにあると言われています。
この後貴族のたしなみとしてバレエがフランスに定着し、19世紀には『ラ・シルフィード』『ジゼル』『コッペリア』等に代表されるロマンティック・バレエに発展しました。
しかし、1831年、フランスのバレエを支えたパリ・オペラ座が私企業化すると、年間定期券を購入してもらうためにダンサーたちのウォーミングアップ・エリアが開放されるようになります。当時観客の中心だった男性たちは、お気に入りのダンサーを見つけバックヤードに入ったりプレゼントを贈ったり…。劇場は、美しい女性を見に行きあわよくば知り合いになるための場所となり、バレエは「芸術」とは見なされなくなったのです。
(余談ですが、画家のエドガー・ドガが描いたのはこの時代のバレエです)
こうしてフランスのロマンティック・バレエは衰退しますが、バレエはその中心地をロシアに移し発展を続けます。フランスで活躍の場をなくした男性ダンサーがロシアに渡って行ったのです。
その代表者がマリウス・プティパでした。
ロシアでは1673年に初めてバレエが上演され、17世紀前半にバレエ学校開校、帝室バレエ団の創設、とバレエ発展の礎が築かれていました。
19世紀後半、プティパはここで、後に3大バレエと称される『眠れる森の美女』『白鳥の湖』『くるみ割り人形』を創り上げ(正確には『くるみ割り〜』は途中から助手のイワノフが振付しますが)、クラシック・バレエの発展に大いに貢献するのです。
こうして成熟を迎えたロシアのバレエを再びフランスに持ち込み、バレエを「芸術」にまで高めたのが、バレエ・リュスだったのです。
バレエ・リュスによる新しい表現の追究と芸術家たちとのコラボレーション
バレエ・リュスは『ジゼル』や『白鳥の湖』『眠れる森の美女』など古典的作品も上演しましたが、時代の先端をゆく新しい表現の追究にも貪欲でした。
芳賀直子氏の著作に沿ってその一部をざっと見てみましょう。
このように当時の芸術界やファッション界を代表する面々が、バレエ・リュスの舞台に関わっていたのです…!
マティスが依頼を受けたのもこのような背景からでした。
マティスは1919年、バレエ・リュスの興行師ディアギレフから『ナイチンゲールの歌』の舞台装置と衣裳の注文を受けると、その制作に熱心に取り組みます。
この演目の舞台は中国。東洋のオダリスクを主題とした一連の絵画を描いていたマティスを惹きつける要素は充分にあったといえるでしょう。
アンデルセンの「小夜啼鳥」とマティスが手がけた異国情緒あふれる舞台
バレエ・リュスの『ナイチンゲールの歌』は、アンデルセンの童話「小夜啼鳥」をもとにした作品です。
中国の宮廷を舞台とした物語で、日本が出てくる唯一の作品でもあると言われます。
バレエ・リュスでは、これをもとに全1幕のバレエ作品を創作。
マティスは、東洋の収集物で名高いパリのギメ美術館に通い、中国やペルシア、インド美術から構想を得たと言われています。
今回の展示では後に再制作されたものの中から「機械い仕掛けのナイチンゲール」「日本の匠」「皇帝」「侍従」の衣裳が置かれていました。
袖もズボンもゆったりとした中国風の着物にくっきりとした色使い。ですが布地に直接筆で描かれたような大きな柄にはマティスのタッチを感じます。
さらに会場には、バレエ・リュスの流れを汲むモンテカルロバレエ団が1999年に上演した『ナイチンゲールの歌』の動画が映されています。そこから他の衣裳や舞台美術、一目でマティスのものとわかる幕の絵なども見てとれるのです…!
その舞台は本物の中国とも日本とも違うものの、異国情緒あふれ、伝統とモダンの両方を感じさせてくれる不思議な魅力がありました。
※展示会場で流れていたのは公式の動画でした。こちらは後日作者がYouTubeで見つけたものです。
※ここで上映されている『ナイチンゲールの歌』は、1925年にジョルジュ・バランシンが再振付したもので、マティスが関わった1920年のものとは異なります。『ナイチンゲールの歌』は、1914年のオペラ、1920年のバレエと2度の不評を得て、1925年のバランシン版でようやく成功したそうです。バランシンはのちに渡米しジョージ・バランシンとしてNYCバレエの創設などアメリカのバレエ発展に貢献する人物ですので、この成功はそういう意味でも重要な出来事でした。
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『ナイチンゲールの夜』は今から100年近く前の作品ということになりますが、音楽、美術、振付どこをとっても古さを感じさせず、むしろ「こんなバレエもあったんだ」という新鮮な驚きを与えてくれます。
晩年の集大成としてロザリオ礼拝堂に取り組んだことからわかるように、マティスは絵画や彫刻といった枠にとどまらない総合芸術を志していました。
単なる踊りではなく音楽や美術と調和の取れた総合芸術としてのバレエを目指していたバレエ・リュスと重なるところがあるような気がします。
【参考】
ハンス・クリスチャン・アンデルセン著 矢崎源九郎訳(1967)『人魚の姫 アンデルセン童話集1』「ナイチンゲール」新潮文庫
海野弘解説・監修(2020)『ロシア・バレエとモダン・アート 華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』株式会社 パイ インターナショナル
芳賀直子(2023)『ビジュアル最新版バレエ・ヒストリー バレエ史入門 〜バレエ誕生からバレエ・リュスまで〜』世界文化社
マティスに関する他の記事はこちら(番号がふってありますが、どの記事から読んでいただいても問題ありません^ ^)
バレエとアートについてはこんな記事もあります^ ^
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