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光と色をもとめたマティスの生涯 マティス展後記① “灰色の地“からニースへ

先日、上野の東京都美術館で開催されているマティス展に行ってきました。

「色彩の魔術師」という異名をもつマティス。
今回のマティス展は大回顧展というだけあって最初期の作品から晩年のロザリオ礼拝堂まで網羅されており、年を追うごとに作品がより大胆で鮮やかになっていく様子がうかがえました。

中でも、1905年に「野獣派」として議論を呼んだフォービスム作品が、第一次世界大戦中の苦しい探究の時代をへて、1920年代に鮮やかな室内画として開花する様が印象的です。

ところで、この華やかな時代の前の1916年に、マティスは『アトリエの画家』という作品を描いています。

画家とモデルがいるアトリエを描いた室内画なのですが、アトリエの開かれた窓から外の風景が望めるという複雑な構図です。
窓が開かれた部屋、というと、一見開放的な、空間の広がりを提示しているように思われますが、この絵の印象はそれとは全く異なるものでした。
窓と壁、そしてキャンバスで区切られた部屋には歪な閉塞感があり、じっと見ているとどこか落ち着かない気持ちになってしまうのです。

絵画の中の画家の姿も奇妙で、裸で絵を描いているように見えます。画家の前でモデルが裸になるのはわかりますが、モデルを描く画家がなぜこのような姿で表れるのか…??そこには不安で孤独な画家の姿が浮かび上がってくるようでした。

戦時中のこのような状態から(自身は病弱のため徴兵を免れましたが、息子や周囲の人々は出兵し、マティスは孤独の中制作に臨んでいました)、マティスはどのように色彩を取り戻していったのでしょう。

戦争の終結(すぐに次の戦争が起こりますが…)、名声や評価の獲得、生活の安定など(1900年頃からの数年間、マティスは経済的困窮に苦しみます)、いくつか要因は考えられますが、ニースに移り住み、その豊かな土地の光を浴びたことが大きく影響しているのではないかと思うのです。

マティスの画家としての生涯

ここで簡単に、マティスの画家としての生涯をご紹介いたします。

アンリ・マティス(Henri Matisse)は1869年の大晦日、フランスのル・カトー=カンブレジの裕福な家庭に生まれました。当初は法律家を志し、パリで学びますが、法律事務所に勤めていた21歳のとき、虫垂炎をこじらせ1年間の療養生活を送ります。このとき母から贈られた絵の具で絵を描いたことがきっかけとなり、芸術の道へと進むのです。

その後、ギュスタヴ・モローに師事し、セザンヌ、シニャック、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソなどの影響を受けながら、野獣派(Fauvism)と呼ばれる作品を生み出します。二つの大戦の合間に、オリエントの美術や、アルジェリア、モロッコ、タヒチ、ニューヨークなどの光に刺激を得、絵画や彫刻作品を通して表現を追究しつづけ、のちに「色彩の魔術師」と呼ばれるように。

72歳で大手術を受けた後は、介護なしでは生活もままならないようになってしまいましたが、制作の中心を切り紙絵に移行し活動をつづけます。そして、マティスは集大成とも言えるヴァンスのロザリオ礼拝堂を完成させた後、1954年に84歳でこの世を去りました。

光と色をもとめてニースに辿りつく

マティスは1916年末、47歳で初めてニースに滞在し、翌年にはそこに居を落ち着けます。それから亡くなるまでの間ずっとニースを制作の拠点としていました。

ニースは南フランスにある地中海に面した都市で、一年を通じて温暖な気候がつづくことで有名です。
一方、マティスの故郷であるル=カトー・カンブレジというところは北フランスに位置する地域ですが、パリよりもさらに寒い場所で、冬空が鉛のように厚く重い「灰色の地」と言われています。その後移り住んだパリも、どんよりとした曇り空のつづく土地…。
マティスは画家を志してから、コルシカ島、アルジェリア、モロッコなどを旅しています。それは、決して色彩豊かとは言えない土地で育ったマティスが、太陽の光と、光を浴びて輝く色鮮やかな景色を求めていたからではないでしょうか。

また、ニースで色鮮やかなのは、自然の光だけではありません。この地は当時から既に世界中の様々な人が訪れる国際都市として栄えていました。マティスは1910年にミュンヘンのイスラム美術展で、絨毯、織物、刺繍、陶器などのオリエント美術に魅了されて以来、それらのモチーフを作品に取り入れています。各国を旅したときに得たのと同じような刺激を、ニースでも感じることができたのでしょう。

マティスは初めてニースに滞在したときホテルの小さな部屋で室内画を描きました。
「翌朝またこの光が見られると知ったとき、私は自分の幸運が信じられなかった」というほど、ニースに画家としての歓びを感じていたのです。

【参考】
グザヴィエ・ジラール著、高階秀爾監修、田辺希久子訳(1995)『マティス ー 色彩の交響楽』創元社


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