どれだけ非現実の筆を尽くしても所詮神には勝てない・2

平昌オリンピックフィギュアスケート男子シングルの競技から1年ということで、この土日ははてなブログから過去の記事を再掲しました。noteは土日のアクセスが下がる傾向にあると推測されるので(リア充もしくは仕事で使っている人が多いのだろうか)、載せてもどうかな、と思いましたが、日付は変更できませんからね。

このように、フィギュアスケートに関する記事を時々はてなブログから再掲しております。特定の日付に思い出を噛み締めたいのがひとつと、もうひとつはフィギュアスケートにあまり興味のない方にも読んでいただきたいからです。思い入れのある記事をセレクトして、できるだけ読み物として読んでいただけるよう抜粋して載せたりしています。

これらの記事はいわば単なる感想文なのですが、私の文体や表現が最も色濃く出ているかもしれません。何せいちばん熱を入れて書いてるから。自分自身の話やフィクションの話も熱を入れたり書いてて楽しかったりする場合もまあありますが、あまり向き合いたくない感情を切り出す作業になることも多く、それほど面白くないことも多々あります。

フィギュアスケートの記事もいつもいつも書いていて楽しいわけではないですが、基本的にはやっぱり楽しい。誰でもそうだろうと思いますが、好きなものについて書く時がおそらくいちばん楽しく、いちばん個性が出てくるのではないでしょうか。


特に楽しいのが羽生結弦選手について書く時です。大抵ものすごく長文になり、魂を捧げて書くことになるので(汗)、そんなに頻繁にはたぶん書けないのですが、断然楽しい。夢中になって書いて、あとから読み返すと「おいおいこんなものが出来上がっちゃったよ!いつの間に!」とびっくりしたり頭を抱えたりです(汗)。

何故そんなに楽しいかと言うと、今いちばん面白いのが「羽生結弦そのもの」だからですよ。
今、羽生結弦を超えるフィクションなど地球には存在しません。手塚治虫が健在であれば描けたかもしれませんが、そのレベルで存在しません。
事実は小説より奇なり、という言葉をこれほど実感させられた例は私の人生にありませんでした。

すべての創作の根元にあるのは、「自分を見て欲しい」という欲求なのかもしれません。芸術的側面の強いスポーツであるフィギュアスケートの選手である羽生君は、その欲求が特に強いと感じられる人物です。強いだけでなく、てらいなく表に出せる。彼が選手として強いのはここにも理由があるだろうと思います。

見てもらうために、羽生君は自分の技術を極限にまで高めようとする。そこに、彼の中にあるマグマのような情熱が加わる。それだけでも十分にスポーツとしては見応えがあります。
けれど、羽生結弦にはその先がある。その人生と運命は、明らかに神が脚色を加えている。神が書き手となって物語を紡いでいる。

勝てますか。いいえ、決して勝てない。凡人がどれほど「見て欲しい」という欲求に従い努力を重ねても、絶対に勝てない。
彼がシニアデビューしてからずっと見つめてきたその物語は、創作する者にその筆を折らせてしまいかねないほどの、強烈な劇薬でもあったのです。

もちろん、何も見ないわけでも読まないわけでもないけれど、フィクションのすべてをそれほど面白いと思えなくなってしまった。以前から好きであったものは変わらないけれど、ほとんどのものが私に何も訴えかけなくなってしまった。私が日々に疲れていて、脳のキャパシティが大幅に減っていることも手伝って。
練りに練ったという設定は薄っぺらく、ドロドロした内面の吐露はただの不気味な泥にしかもはや映らない。
羽生結弦を知らなかったら、それらはとても面白く感じられたかもしれないのに。


こうなったら仕方ない。自分で何かをひねり出すのは諦めよう。それよりも何よりも、羽生結弦の物語がある程度の完結を迎えるまでは、その物語を最優先で読み込もう。

物語を深く理解するために、フィギュアスケートの知識は不可欠である。もちろん無くても構わないものだけど、「何故羽生君は面白いのか」ということの根拠が掴めるからである。私は「ふわっと」ではなく、物語は細かな設定まで読み解きたいタイプの人間だ。

彼がいつまで現役を続けるのかはわからない。現役を退いても物語は続くけれど、「羽生結弦が今まさに現役選手として第一線に立っている」という奇跡をむざむざ見逃す程私は無欲じゃない。
ほかに見たいもの、知りたいこと、たくさんあるけど正直金もない。それならば、持てる力を注ぎ込もう、フィギュアスケートに。今できること、今しかできないことを。

一瞬も見逃すまいと見つめ続けるそれらの光景は私の魂にインプットされていく。インプットされたものはアウトプットしたくなる、私はそういう人間でもある。溢れるほどこの目に焼き付けた演技の数々は、言葉となって私の指から溢れてくる。
それを書かずには、いられない。
この目に焼き付けたそれを、書き留めずにはいられない。
文字の形で記憶に残したいという、強烈な欲求。
再現したい、あの感動を、言葉で、文字で。

技術を駆使して、エンターテイメントを構築する目的で、書くことは時に単なる作業でもあります。でも、書かずにはいられずに書いてしまう時、それは作業ではなくある意味で本能に近くなる。私にとってのそれは、「私を見て欲しい」というよりも、「私の見つけた素晴らしいものを一緒に見て欲しい」という欲求なのかもしれない。

血を吐くように心から叫ぶ日も、ふざけたことをさらりと書いてニヒルに笑う日もあります。それらもすべて私ですが。でも。
たぶん私にとって文章を書くということは、そういうことなのかもしれない。私として書きたいけれど、私のことを書きたいのじゃないのだ。


フィギュアスケートの記事のうち、わざわざnoteに再掲しているものは、そういう記事です。私の情熱は、そこにある。noteがクリエイターを支援するSNSであると言うのであれば、これらの記事を実験としてここに置いてみよう、そう思った次第です。クリエイティブと呼んではいけないだろうとも思っていますが。感想文だから。

文章論というほどのものではないですが、私はそんな風に、日々「書いて」います。
たまたま私にはフィギュアスケートが面白かった、ただそれだけなんだけどね。
んで、羽生君は神様じゃないし、ギャグはものすごくよく滑ってるしでも本人それを気にしてるそぶりもないし、だから余計に面白くて、勝てなくて、だけど現実にちょっとだけ戻れるんだよね。


過去に掲載した記事へのリンクを以下に置いておきますので、もしご興味がございましたら読んでいただければ幸いです(これまでのパターンからすれば、おそらく誰も現れないけど別にいいやもう←ザッツ自己満足…)。
注:ほぼポエムです…

Hope & Legacy ~世界選手権2017~
バラード第1番 ~平昌オリンピック~
1000個目の金メダル ~平昌オリンピック~
Notte Stellata ~平昌オリンピック~
Ne me quitte pas ~ジャパンオープン2018~
エデンの東 ~メダリスト・オン・アイス2014~




はてなブログも毎日更新中。現在はほぼフィギュアスケートのブログ。一応こちらがメインで、noteはサブとして使っております。はてなブログにもお気軽にご訪問くださいね。
はてなブログはこちら→「うさぎパイナップル

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!