神様と人間とたぬきが見ていますように

色々あって、今、大変です。今だけじゃなくて、もうずっとなんですけどね。

noteで一方的にこうやって書いたり、せいぜいメールするくらいで、それもまあ、ほとんど返ってこなくて。本当は、ちゃんと会って誰かに相談するような内容なんだけど、突き放されるんだろうな、と思うと言えなくて。どんどん孤立して、不安ばかり募って、何もできなくなってしまう。
怒ってもいいから、生きてる?って聞いて欲しいよね、うん。ひとりだけいるけど。友達結構いると思ってたのにひとりだけだったよ…。

病気や失職などで孤立してしまう人の話はよく聞くけど、それまでは肩を貸してくれていた人が一気に離れて行くのは真剣にダメージが大きい。是非一度味わってみてほしい。ほんときついです…。どうやらあまりそこまで陥る人はいないらしいけど、明日は我が身ですよ。これははっきり言っておく。

毎日テレビやネットを賑わせている凄惨なニュース。私もほんの些細なきっかけでああなってしまう。あの人は確かに許されないことをしたけれど、何故ああなってしまうまで誰も救えなかったのだろう。

大人だから手は貸さない?そうじゃないよ。親に見捨てられた、愛されなかったという心の穴は、そう簡単には埋まらない。穴が開いてる分、その人は大人にはなれない。
様々な「世の中にとって良くないこと」が、親子関係の破綻にあることはもう無視できない話じゃないだろうか。

それを考えると、ただ「理解できない存在がしたこと」と決めつけて、自分には無関係だと言い張ってしまうことは何の進歩も解決も生まないな、とうんざりしてしまう。いつもそれは思ってしまう。そういうこと言っちゃうから子供が将来ひきこもるんでしょうよ。傷や痛みの中には時限爆弾化するものがあって、時が経ってから爆発するものもあるんだよ。

原因は分からないけど、「え?あの人が?」という人物が風の噂で引き込もっていると聞いた。私はその人をよく知っている。子供の頃の知り合いだから。もう長い間ほとんど顔も合わせていないけど、人に嫌われるようなタイプの人じゃない。
ただ、家族のひずみについてはちらりと聞いていた。子供だった私は全然気づいてなかったけど。その人の親の顔も知っている。知っているのに全然気づいていなかった。それくらい、個人間の複雑な感情は他人にはおいそれとわからない。わからないけど、その人にとっては埋められない心の穴に、時限爆弾になってしまうことがあるのだ。
それを、その人のせいだ、その人がおかしいからだって話だけに終わらせてしまって、それで誰が救われて、何が解決するんだろう?ただ、考えるのが面倒くさいだけではないのか?

そんな家族の歪みを想像できない人も、気付いていない人も、気付こうともしない人も、私の思ってる以上にたくさんいるらしい。そういう状況で育たなかった人にとっては、愛情は当たり前に注がれるものだったのかもしれない。もしくは、愛情を注がれなかったことに気付かなかったのかもしれない。だから「理解できない、関係ない」という結論になるのかもしれないけど、そうじゃない。それはすぐそこにあるものなのに。私の知っている人のように、当たり前に。

私だって社会が怖くて孤立してしまっている。けどそのままでは生きていけないし何とかしなくちゃともがいて、せめてできることを、と少ない脳みそで考えてこうやって自分の気持ちや溢れてくる文章をブログやnoteに綴っている。社会とのつながりを切って、自分を殺してしまわないために。他人に向けた刃を自分に向けて、人知れず消えていった命の方が本当はたくさんあるんじゃないか。その命は「勝手に死ね」と言ってもいい命だったと思うのだろうか?そんなわけがない。そんなこと思ってるなら狂ってるのはそういうこと思ってる方でしょうよ。自分と自分の身内の命以外大事じゃない人の事なんて他人にも大事にされないよ。

正直、ネットに文字を綴ることによって怖い思いをすることもたくさんあった。けどそれ以上に、書いて欲しいといってくださる方、応援してくれる方と出会えた。インターネットがなければきっと会えなかった人たち。その人たちの優しさで、私は生きてる。

私は自分の周囲にいる人の事がほとんどみんな好きだったけど、だからその人たちが困って頼ってきた時は力になりたいと当たり前に思ってたけど、何をしてほしいとかいう話じゃなくても、話も聞いてもらえないんだな、って気がつく時は本当に心が折れてしまう。私にとっては「仲間」でも、あちらにとっては「利用価値があるかないか」だったんだろうと。
もちろん全員がそういう人なわけじゃないから、何とか完全に孤独になってしまわずにいられたのだけど。
年賀状や暑中見舞いって大切だったんだな、とちょっと実感してる。あれは儀礼じゃなくて、人との繋がりを絶たないための、何かあった時に「今さら何なの?」と相手に警戒されないための、自分も相手も孤立させないためのツールだったんだ。それを面倒だって思ってしまうということは、自分もいつか誰かに面倒だと思われてしまうということなのだろうと。もっと年をとった時や困った時に。

ほんの少しだけ残ってくれた友達や先輩やお世話になった人、そしてこんな私のブログやnoteを楽しみにしてると言ってくれる人のおかげで生きてます。親からもらえなかった愛情みたいなものは他人がちょっとずつちょっとずつ空っぽの心に入れてくれている。涙が出る。
でも、正直今、ピンチです。これがピンチの最終段階なんじゃないかと思ってます。今回を乗り切れば、何かが見えてくるような気がする。勘だけど。勘とか言っててホントにゴミだなって思うけど。
追い詰められてわけがわからなくなって、テレビを賑わせたりしたくない。ほとんどその可能性はないけど絶対とは言い切れない。そうならないように声をかけてくれたりできることをしてくださっている人たちを悲しませたくない…。
神様でも人間でもたぬきでも何でもいいから、今すぐに手を貸してほしい。助けてほしい。今こそ使う、一生のお願いだ。頼む、自分の力じゃ無理だ。してもらったことは忘れないよ。神様に対してはちゃんとネタにするから。人間には恩返しするから。たぬきは…。緑のたぬき食べるね←意味不明

今の事も含めて全部「あんたホントにバカだったよね」って笑えるようになりたい。それには今行き場をなくしてるわけには、心折れてるわけには、死んでるわけにはいかない。でもどうしたらいいのかわからない。私みたいな人すごいみっともないけど、こうやって「助けて」が言えないから追い詰められてそれが爆発してしまうんじゃないかと思ったりもするのですよ…。

なんかぐだぐだな日記ですみません。ずっと慌ててて潰れそうで。書くことでどうにか精神を保っている…。

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