人間が人間に残す、人間でなければ残せないものを

今日はちょっとヘビーな話を書くつもりだったのだけど、エネルギーが要りそうなので後日にして、全然関係ない内容を。


時々思い出すことのひとつに、タモリが赤塚不二夫に読んだ弔辞があります。もう、10年も前になるのかな。何と言うか、なんて表現したらいいのかわかんないんだけど、粋だと思った。こんな粋な弔辞を読ませるなんて、赤塚不二夫はタモリの何なんだろうって思ったんですよ。私は赤塚不二夫がタモリの恩人だってことを全然知らなかったんですね、その時まで。

タモリと言えば子供の頃からずっと見ていた『笑っていいとも』の司会者で、ほぼ日常の風景だった。何とも形容しがたいんだけど、面白いっていう枠に括っていいのかよくわかんないんだけど、ほかに表現しようがないからやっぱり面白いって書くしかない。草彅剛が正月にタモリの家で過ごしてたエピソードが面白すぎて爆笑したのをまだ覚えてます…←いいともの増刊号だったような、違ったっけ…
赤塚不二夫も子供の頃から見ていたアニメの作者で、ギャグ漫画と言えば最初に名前が出てくる人で、あんまりよく覚えてないけどテレビで顔を見たこともあった気がする。『天才バカボン』のテレビゲームが好きで、子供の頃めっちゃ遊んでましたねえ。『おそ松くん』と言えばメガドライブ…←超マニアックな話なのでスルーしてください(汗)

どちらにしろ知らない人間を探す方が大変じゃないのか、という人物なのだけど、タモリが世に出た裏に赤塚不二夫の援助があったなんて。ものすごくびっくりしました。

気になってさらっと調べたら、タモリが世に出てきた経緯とか、赤塚不二夫との関係性とか、めちゃくちゃ面白いんですよ。下手なフィクションよりよっぽど面白いの。何なの、こんな奴らがいたの?みたいな。テレビでずっと本人や作品を見てたのに、何今更「こんな奴らがいたの?」とか言ってんの?って話だけど(笑)。

援助したっていうのも、その経緯とか方法とかブッ飛び過ぎてて目眩がするくらい。でも、不思議だとは全然思わなかった。才能が才能を見つけるって、こういうことなんだって思ったから。
んで、それを受ける方のタモリもやっぱブッ飛んでるんですよ。でもタモリってふざけたことばっか言ってるようで知的な人なんだろうなってこともわかるから、赤塚不二夫に感謝してたんだろうなってのも何となく想像できる。でもそこで赤塚不二夫を褒め称えて尽くすとかそういうわかりやすい形じゃなしに感謝を返していってたんだな、とわかるのが、ああそうだよ、これなんだよって思っちゃって。その集大成があの弔辞だったんだなって、納得してしまった。

赤塚不二夫が成功してたからできたことなんでしょ、と思いもしたが、でもそれだけじゃできないでしょ、とも思った。うっすらした記憶の中に、赤塚不二夫は売れない期間が長かったみたいな話も残ってたから、きっとそういう時代に助けてくれた人たちがいたんだろうなあ、と思った。そしたらやっぱりそうみたいだし、それだけじゃなく色々なことが彼のそういう部分を作ったのかな、と何となく感じた。それで大変な思いをした人もいるかもしれないしいいことばっかりじゃなかったろうけど、助けられた人もいっぱいいるだろうし、それを忘れなかった人もいっぱいいただろう。お金はいつかなくなるけど、人の気持ちは残るもの。

芸とかギャグとか漫画とかは高尚なものとは捉えられないかもしれないけれど、何十年も何百年も経てば古典になって、研究対象になっていくのかもしれない、文化として。亡くなってから作品の価値に気が付かれることもある。映像なりキャンバスなり本なり、もしくは技術を通してでも、作品を形で残していかないと、文化を未来に継承できない。文化は生み出すだけじゃ駄目なんだ。続いて、残してこそ価値がある。
もしかしたら何千年でも残していくべき作品や世の中を変える才能が、きっとどこかには眠っていて、我々はその恩恵を受けて今を生きている。それらの才能は自分から世に出てくるものばかりじゃなくて、ピンポイントならピンポイントなほど、誰かが引っ張り出さないと出てこないものなのかもしれない。
その「引っ張り出す側」って、もしかしたら「才能」より重要かもしれないし、引っ張り出せるのもまた才能なんじゃないだろうか。

明日生きてるかどうかもわからないけど、明日突然宝くじが当たったり石油を掘り当てたりするかもしれない。その時には今まで色々あったからパーっと使って贅沢したりお礼して回ったりもしたいけど、いちばんやりたいのはその「引っ張り出す側」に回ることだな、と私はいつの頃からか思うようになった。ブッ飛び過ぎてて普通には生きられなくて埋もれそうな人たちが、最高に面白い作品を残していって、それがまた新しい才能を育てていく、その歴史に貢献したい。そういうことを涼しい顔でできる粋な人間になりたい。
私はとにかく普通に安定して生きられたらそれでよくて、別に成功したいとかあんまり思ってなかったけど(家庭環境が色々アレだったので、心配しないで暮らせるようになりたいとは思ってたけど)、そういうことを涼しい顔でやるにはそこそこお金持ちじゃないとたぶん厳しいから、じゃあお金持ちになりたいなあ、ってこれ書きながら思いました。今思ったんかい。浅いな!

お金持ちになりたい云々は置いといて、そういうことをそう言えば昔から考えてた気がするので、子供の頃に何か本でも読んだのかもしれないです。だから赤塚不二夫とタモリの話も強く印象に残ったのかもしれない。自分が生きていくこともギリギリでめちゃくちゃなのに、何言ってるんだろうなこの人、って書きながらやっぱり思ってますけど。現状、明日石油王になる可能性より明日死ぬ可能性の方が何万倍も高いわけですからね←遠い目

『徹子の部屋』に毎年タモリが出てた理由もやっとわかった。なんかねえ、運命ってやつは面白いな。
黒柳徹子もタモリも、面白いなこの人たち、って思いながら子供の頃から見てたけど、たぶん「媚びてない」から面白いんだろうな。媚びた面白さってやっぱわかっちゃうもん。こういうことやったらウケるよ!ってアドバイスされても気が向かないのは、上っ面だけ見てる人に面白がってもらうために生きてるのかな、って疑問が湧いてしまうからだけど、そういう「何様なんだお前は」ってことを思っちゃう自分も嫌になるのだった…。媚びてでも受け入れられることも大事なんだよね。生きていくってことは難しい。


なんかよくわからない話になってきたけど、強引にまとめてみる。そうですね、植木等の歌のような人間になりたいですね。『だまって俺について来い』っていうタイトルらしいあの歌のように、いい加減で自由でおおらかに生きたいですね。色々ありすぎてゴミみたいな人生だしゴミみたいな人間ですけど、シュールな笑いとともに歩んでいたい。
そう言えば、「普通はこれだけ色々あったら笑えないのに笑って話せるってことはそれもひとつの強みになりますよ」って言われたことあったなあ。みんなそんなに笑えないのか?酷い目に遭いすぎると「もうネタにするしかないわこれ」ってだんだん開き直ってくるのはまあ確かですね、私の場合はですが。そう思ってても心はダメージ深すぎて、突然倒れたりするんだけどさ…。だからねえ、孤立しちゃいけないよホント。人類皆植木等の精神で生きようよ←意味不明
そうね、孤立しそうになったら「こんなクズいるんだ、ああまだ大丈夫だわ自分」ってこの筆者のnoteでも読んでせめて思って←何の役に立つんだ…

そんな感じで、ゴミ人生から奇跡が起こって石油王とか発明王とかになっても、遺産は残さず全部なんとか基金とかにする、という人生計画を立てている。だって相続争いの元になるだけじゃん。その前に家族いないから全然問題ないんだけどさ。あとそういうの石油王になってから考えることで今妄想することじゃないです!はいそうです!終了!←本気で意味不明のまま終了


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