青い鳥が見つからなくても青い鳥を探す旅そのものは自由であるべきなんじゃないだろうか

この作品は子供の心を傷付けるから見せるな、読ませるな、っていう声はたまに聞く。あと、子供が馬鹿になるから、とか。

確かにそう言われてる作品の中には、大人の私が読んでもきっついなー、と感じるものもあるし、どこが面白いのか全然わからないものもある。馬鹿になる子供も、傷付く子供も確かにいるかもしれない。

でも、馬鹿にもならず傷付かない子供だっていっぱいいるんじゃないかな。
そういった作品にいろんな意味で影響される子供とそうでもない子供がいるってだけじゃないのかな。
馬鹿になったり傷付いたんなら、じゃあそれをどうやってサポートするか、を考えるのが周囲の人間の仕事じゃないのかな。

影響される子供がいるからって、作品そのものを排除するのは何かが違うし、影響される子供をそういう風に守ろうとしてもあんまり意味ないんじゃないのかな、と明らかに「影響されやすい子供」の方だった私は、思っちゃうんですよね。
むしろ、単に自分が気に入らないから、もっともな理由をつけて排除しようとしてるんじゃないのか?と疑いたくなってしまう。


だって、「名作」とされてる作品の中にも、トラウマレベルの作品、いっぱいあるんですけど。少なくとも私には何作品もあるんですけど。

『子鹿物語』は思い出すだけで情緒不安定になるし、『かわいそうなぞう』は生涯読み返せないと思う。ほかにもいっぱい。どれもこれも間違いなく名作なのだが、私は大人になっても納得できなかったり涙が止まらなくなったりしてます。感受性が強いと言えば聞こえはいいけど、正直打たれ弱過ぎて困ってるレベルです(泣)。でも、「名作」としてどこにでも置いてあって、排除する人なんかいないよね。何故?排除される作品との違いはどこにあるんだ?

そんな作品の中に『青い鳥』があります。作者はメーテルリンク。探し求めた青い鳥は身近にいた、というあまりにも有名な結末は、知らない人がいないレベルのテーゼかもしれません。
しかし、子供の頃(幼稚園か小学校低学年)にこれを読んだ私は、そのあまりにも有名な結末がこの作品の主題だとは思わなかったのです。少し成長してから、「青い鳥」が身近な幸せや幸せを求める行為の象徴だと知ったものの、初めて読んだ当初はそこにはあまりインパクトは感じなかったように思います。

それよりも何よりも、私はこの話がとても怖かったんです。容赦がなくて、赦しがなくて、救いがなくて怖かった。物語全体に漂う「死の匂い」がとても怖かったんです。

大人になってから一般向けの本を読んだような気もするのですが、ちょっと記憶が曖昧です。戯曲なんだ、と少し驚いた記憶があるのだが、別の作品の思い出と混ざってるかもしれない…。
なので、細かいところは全然覚えてないし、記憶違いも多いかと思うのですが、厭世的な子供だった私がますます迷宮に入ってしまいそうな話で、面白いんだけどほんとに怖かった、という思いが今も強く残っています。幸せの描写がね、すごく怖かった記憶があるの。痛いとか苦しいとかじゃない、純粋な恐怖。際限のないものに対する恐怖を具体的に感じた最初かもしれない。

私の運命観に多大な影響を与えたんじゃないかと予想されるのが、これから生まれていく子供たちが登場するシーンだったと思う。なんかスピリチュアルな人たちが唱えてそうな理論だな、と今振り返ると思うのだけど、スピリチュアルな人たちが『青い鳥』に影響されたと考えるのが自然なのだろうか…。
運命はもしかすると世界の終わりまで決まってて変えられないものなのかもしれない、どんなに残酷でも平凡でも荒唐無稽でも、と、子供向けらしくイラストのたくさん入った本にワクワクしつつも、それが人生なのかもしれないと、子供心にものすごく強く印象に残ってしまった気がするのです。
子供の頃からあまり楽しいことがなかったし、いつも何かから浮いてしまっているような心もとなさを感じて生きていた幼い私には、逆転を信じて努力はするけれど、いくらあがいたって無駄なんじゃないか、ってどこかで思ってしまったかもしれません。

本当に子供向けの本だったんだろうかあれは、と時々思い出してしまうのである。宗教の思想みたいなものが強い子供向けの作品は時々あると思うけど、それだけでなく哲学的と言うか、子供には難しすぎるような気がすると言うか…。青い鳥は身近にいた、というラストだけがどうにかわかりやすかったから、そこが主題のような気がしてしまうけど、なんかそういう単純な話じゃなかったような…。

このところとても気になっているので、もう一度読みたいと強く思ってます。今読み返したら、子供の頃は意味不明だったり怖かったりした様々が理解できるようになるのかしら。
ちなみに、私が読んだのは『子鹿物語』と同じ出版社から発売されていたシリーズだった気がする。『ヘレン・ケラー』と『野口英世』、あと『エジソン』も持ってた気がする、やはり同じシリーズで。記憶違いかもしれないけど。
何故このラインナップなんだ。たぶん買ってもらったんだと思うけど何故それを選んだんだ私。伝記は普通に面白かったけど、あと2冊はもれなくトラウマなんだけど(汗)。あと、『3匹のこぶた』の絵本についてた保護者向けのページに書いてあったオオカミについてのあれこれをうっかり読んでしまってこれまた軽くトラウマに(汗)。なんかもうそういう子供だったみたいよ、自分(汗)。

けどね、同じ本を読んでも、トラウマにならずに流せた子供もきっといっぱいいると思うのよね。おそらく同じ本を読んだであろう私の兄弟がいい例だと思われる。もちろん本人に確認してみなければはっきりしたことはわからないけど、私ほど繊細なタイプ(自分で言うのもなんですが…)じゃないからきっと気にしなかったんじゃないかと思う(笑)。

たとえばあの頃に、『子鹿物語』にどうしても納得のいかなかった私と、とことんまで議論してくれる大人でもいれば、ずっと納得のいかないまま大人になることはなかったかもしれないと思うんですよね。納得のいかない思いをしたことが悪いんじゃなくて、納得のいかない思いをしたのは何故か、そう思う自分という人間は何者なのか、を問いかけて突き詰めるいい機会だったと思うんですよ。トラウマになるから、と取り上げてしまうのではなく、そういう機会だと捉えればいいんじゃない?
でも、そこまで本気で子供と向き合おうとしてくれる人、いないんだろうな。めんどくさい子供のめんどくさい相手なんてしたくないんだろうな。本とかテレビのせいにする前に、自分の子供の話くらい聞いてあげてちょうだいよ、大変かもしれないけど、と少し思ったりします。

暖かで安全な暖炉の前から一歩も動かず、最初から青い鳥だけを与えられた子供に、青い鳥の意味や価値なんてわからないんじゃないかと、私は思うのですけども。
そんなことをですね、まあつらつら考えた春の終わりなわけですよ。おしまい。


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