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のめり込む

のめり込むようにして書かれた文章には勢いがある。

というか、「のめり込む」ことのできる人が書いたものは、面白い。

言い方を変えると、作者が1番楽しんで書いている文章。

1番楽しんで、わくわくして、うきうきしながら、書かれたものは、他人が読んでも面白いことが多い。

内容がポジティブなものだけじゃなくて、ネガティブな暗いものであっても、「これが書きたいのです」という強い力があれば、読者は引き込まれて、ついつい読んでしまう。

「のめり込む」という言葉がいいのかは微妙だけど、作品世界に没入するかのように、泣き笑いしながら書いたものは、(少なくとも)後で自分が読んでも面白い。

楽しいものは楽しく、悲しいものは悲しく、自分の持つ最大のパワーでぶつかっていったものは、文章そのものに力があって、人を惹きつける。

色々と文章の指南書みたいなものはあるけど、その文章を心の底から「書きたい!」と思い、その思いを丸ごと伝えたいと思えば、語彙力とかが足りなくても、何とかなる。

のだろうな、と最近つくづく思う。

要するにパッション。

私は昔、小説を書いていて、「冷静に、人物たちと距離を置いて、作品とも向き合っているのが印象的です」と感想をもらったことがある。

その時は、「へえ、それっていいこと、わるいこと?」と思っただけだったけど、今は「冷静に」「距離を置く」という言葉に、重たいものを感じる。

人物たちと距離があるのは、仕方がない。登場人物たちは、私とは別人格だから、小説を書くにあたって、そういう距離のとり方もある。でも、作品とも距離があって、向き合っちゃってる、らしいのは、問題だ。しかも、無自覚。

他人事のように書かれた小説が面白いはずもなく、たぶん、一生懸命書いたことは伝わっても、シラケた雰囲気が作品に漂っていたのだろうなと思う。

私は自分の文章や日記を、膝を叩いて笑えるほど、面白いと思ったことが最近あまりない。

面白さを感じるほどの「のめり込み」が足りていないと思う。

では、のめり込むにはどうしたらいいのか。

方法なんてなくて、のめり込むのはその人の持つ力だ。努力して手に入れることもできるかもしれないけど、持って生まれた才能の方が大きいように思う。

その出来事を心の底から楽しみ、悲しみ、わくわくし、ぞっとし、いらいらしと、心を動かせること。

心の動きのままを、文章にぶつけられたら、たぶんそれは名著だ。

最初、上手く書けなくても、そのうち洗練されてくるものだと思う。

私は、一歩も二歩も距離を置いて人と付き合い、それを観察するのが癖になっている。そんな人が、さらに距離を置いて書くものが、面白いはずがない。

しょぼくれると同時に、生き方も考える。

のめり込むように生きる。そして、のめり込むように文章を書く。

簡単じゃないなあ。

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