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「トイ・ストーリー4」を見て

いつかのテレビ放送の録画。

長い時間テレビの前で座っているのが実は苦手。

私が落ち着きがないというより、疲れてしまって、集中が続かない。ので、映画はあまり見れない。

連休だしと、よいしょと重い腰を上げて、「トイ・ストーリー4」を見てみた。

「トイ・ストーリー」といえば、ディズニーのアニメ。でも、ディズニーの王道アニメとは距離がある(と私は思っている)。

ラストで、必ずしも最初に想定されるハッピーエンドが叶えられる訳でもないし、だからといって、そこに悲劇感がたっぷりで、悲しいエンディングという訳でもない。

ただ、現実があって、少し切なくて、そのリアルさの中に面白みがある。

「トイ・ストーリー」1、2はかなり前に見たので、記憶が曖昧で、話がどんなだったかもよく覚えてない。

3、4は割と最近に見て、覚えているので思うことがある。

「おもちゃは、子供がいてこそ幸せだ」という立ち位置の切なさだ。

子供はいつか大人になる。

子供はいつかおもちゃを卒業する。

子供はいつか「心の友」としていた、おもちゃを必要としなくなる。

それは、単なる別れではなくて、子供にとっては、次なるステップに進む人生のひとつ(成長)に過ぎなくても、おもちゃにとっては、この世の終わりのような、世界の終わりのような悲しみの瞬間だ。

「トイ・ストーリー」は、おもちゃたちが、人間の見ていないところで、動いて、考えて、そして冒険する話だ。

「トイ・ストーリー3」のゴミとなったおもちゃたち、廃棄されるおもちゃたちの悲しみ。

「トイ・ストーリー4」のアンティークショップでくすぶる、ほぼ捨てられた(と言っていい、「迷子」の)おもちゃたちの鬱屈。

ウッディーやその仲間たちは、自分の持ち主である子供の成長とともに、様々な冒険をして、別れを経験して、また新しく生きていく。

あまりのおもちゃを取り巻くリアルさや、切実さに、見ていて胸が痛むシーンもある。

それでも、おもちゃたちは、自分の持ち主である子供のことを第一に考えて行動する。そのひたむきさに悲しくなるようで、寂しくなるようで、こんなふうに自分のことを思ってくれる誰か(おもちゃ)がいたらいいよなと思ってしまう。

私にも記憶がある事だけど、「もう要らない」とか、「もう使わない」とか、「もうさよならでいいか」とか、時期が来て、別れてきたものたちはたくさんある。

私が別れを一方的に告げた彼らが辿る運命なんて、明白なのに。

今、断捨離とかミニマルな暮らしとかがもてはやされている。たしかにその方がよいこともある。もちろんある。私もそうなりたくて、捨ててきたものもある。

「トイ・ストーリー」を見ていると、そういう自分の身勝手な「さよなら」をとても反省させられる。

本当はずっと大事にしたくて、買ったり、もらったり、作ったりしたものたち。

本当は、「ありがとう」と言って別れるべきものたち。

「おもちゃは、子供がいてこそ幸せだ」と言う、「トイ・ストーリー」のおもちゃたちは、子供との別れを悲しむけど、子供の成長も一緒に喜ぶ。

ものを大事にするとは、出会いも別れも、「ありがとう」と言えることなんじゃないかと思う。

出会えて良かった。楽しい素敵な時間をありがとう。

お別れだけど、今までありがとう。

たとえ、もういらなくなったものでも、ほんの少しの時間でも、それを使った時間の大切さを思いながら、さよならすることなんでは、と思う。

「トイ・ストーリー」は、おもちゃたちのひたむきで、小さな体、無理のきかない体で懸命に頑張る姿に、じーんときたり、笑ったりしてしまうけど、ものとの出会い、別れを、ふと思い出させ、自分を顧みさせるアニメだと思う。

幸せだったのは、おもちゃだけではなくて、私(子供)の方もだ。

「おもちゃは、子供がいてこそ幸せだ」はそっくりそのまま、「子供も、おもちゃがいることで、幸せな時間を過ごすことができる」。

これからは、もっと「さよなら」を大事にしたいと思う。

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