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らんどまーくすぺしゃる

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2014年7月の記事一覧

スイーツと「世界観」

スイーツと「世界観」

ベルギーにてデザイナーをやっている人と、スカイプで話す。彼はもちろん専門家ではないので仏教や哲学のことについてはほとんど知らないし、私はファッションのことについてほとんど知らない。だから私は仏教や哲学の話をして、彼からファッションの話を聞く。これがすごく楽しくて、二時間くらい喋ってしまったのだが、互いに(たぶん)大きな刺激となった、有益な時間であった。

そのことからも実感したが、分野によらず、自

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「無意味」という物語

「無意味」という物語

この note も50を超えて記事を書きついできたわけだけど、書き手としては文章だけのコンテンツ提供だから楽に更新できるのだが、見る側としては、やはりインターフェイスの不便さを強く感じる。例えば、各所で指摘されているとおり、検索機能が実装されていないのは致命的。「フラットな場にしたいから」ということで、ランキングを作らないのはまだ理解できるとしても、自分の見たいジャンルの記事や、好きなアカウントの

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トイレに代理は送れない

トイレに代理は送れない

『趙州録』の大好きな言葉に、「尿は是れ小事なるも、須是(すべか)らく老僧(われ)自ら去(ゆ)きて始めて得(よ)し」というのがある。意味は「小便というのはつまらぬことだ。だが、必ず自分で行くしかない」ということだが、これは仏教というか、自己の認知を変えていくことを目指すシステム一般に共通する、基本的なモットーであると思う。

例えば、仏教というのは一般に「無我(anattā)」を説くものだと言われて

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こじらせている自分へのエクスキューズ

こじらせている自分へのエクスキューズ

哲学や宗教で人生の問題を解決しようとしてはいけない、という意見もあるようだけど、私は哲学や宗教によって解決するというか、自分の中で「ケリがつく(了期する)」ような「人生の問題」は、普通に存在すると思う。

例えば、昨日の記事で言及した「生きる虚しさ」とか「人生の意味」といった問題はその典型で、生理的な欲求や物質的な欲求、あるいは人間関係における欲求がある程度満たされていても、なお残る「十分でない感

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キラキラした槁木死灰

キラキラした槁木死灰

ここ数日、久しぶりにツイッターに連投してみて感じたことだけど、これは長文を書くブログの更新を続けるのとは、(私にとっては)相性が悪い。勉強して、この note を書いてからツイッターを眺めても、頭が一つのことを集中して考えるモードになっているから、瞬発力で短文を投稿するツイッターの速度にはしばらくついていけない状態になっているし、逆にツイッターでしばらく呟いて、それから note の長文を書こうと

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「自分の気持ち至上主義」の国

「自分の気持ち至上主義」の国

部屋の蛍光灯がつかなくなっていたのだが、人に頼んでも「わかった! やるよ!」と良い返事が来るばかりで、全く実行してくれないので、そのへんの工事現場にある梯子を借りて(部屋の天井がすごく高いのだ)、さっさと自分で交換した。ミャンマーでは、お願いしても実際に物事が動くまで時間がかかるので、たいていのことは、このように自分でやってしまったほうが早く済む。

昨日の記事に書いた、ベルギーでデザイナーをやっ

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「本来」コンプレックスについて思うこと

「本来」コンプレックスについて思うこと

小島毅『朱子学と陽明学』(ちくま学芸文庫)を読了。本書は「朱子学・陽明学がどのように形成され、どう変質していったかを歴史的視点に立って整理する作業を中心に据える」(p.24)ものなので、テクストに語られる思想の内容そのものよりも、むしろそれが受容されたコンテクストのほうに多くページが割かれているから、私にとってはたいへん面白い本だったが、初学者の方は、島田虔次による同名書『朱子学と陽明学』(岩波新

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「わからせる」前に「わかる」こと

「わからせる」前に「わかる」こと

「わかる」というのは、なかなか難しいことだなあと改めて思う。自分自身が「わかる」というだけでも非常に複雑な事態なのに、それを他人にうながすこと、即ち、「わからせる」ということを目指すならば、それはなおさらたいへんなことだ。

例えば、プラトンの有名な対話篇『パイドン』に、刑死を前にして入牢しているソクラテスが、「自然哲学者たちは私が牢から出ない理由を、『ソクラテスの足の腱が云々』と言って説明する。

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「非人間的」な道の行く先

「非人間的」な道の行く先

「仏教の入門書的なものを作らないか」という誘いを受けたので、内容について考える。日本では、いちおう「仏教ブーム」というのが細々と続いているらしいから、入門書や解説書の類は、「汗牛充棟」という言葉が比喩にならないほどに、既に大量に出版されている。そこに新しいものを付け加えるならば、そこにはそれなりの、新しい視点が必要になるだろう。

これは昔からずっと言い続けてきたことではあるのだけど、現代日本の一

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近づかないと距離もとれない

近づかないと距離もとれない

昨日から、ミャンマーも含めた上座部(テーラワーダ)圏は雨安居(うあんご)に入った。雨安居というのは、雨季の三ヶ月間に僧侶が一箇所に定住して、そこで勉学や修行に励む期間のことである。その期間には、俗人も大なり小なり謹んだ生活をおくることが推奨されており、結婚式などのイベントは、雨安居の期間中には控えられる。

私はいつも、仏教のような対象を理解しようとする場合は、語学的・文献学的な能力を獲得すると同

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「修正」込みで魅力的

「修正」込みで魅力的

昨日のエントリに、「仏教のスタンダードを修正する必要なんてあるんですか?」という質問をもらったので、少し補足説明。もちろん、これは人により場合による話であって、「私はゴータマ・ブッダの仏教から一ミリも修正する必要を認めない」という人もいるだろうし、それはそれでよいと思う。

ただ、現状の仏教の多様性が端的に示しているように、「ゴータマ・ブッダの元々の仏教」は、時代や地域や人々の事情に合わせて、様々

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変えられないスタンダード

変えられないスタンダード

仏教をやっていて、その思想や倫理を称揚している人たちが、生活上の必要に迫られた時に豹変するというか、それまで口にしていたスタンダードを、いきなり変更することがあって、そういう事態を目にすると、いつもちょっとどきどきしてしまう。

もちろん、場合によって複数のスタンダードを使い分けるのは人間が社会で生きていく上で不可欠のことなのだろうが、それまでにその人自身が仏教のことを「万能薬」のように語っている

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自由や多様はウザいもの

自由や多様はウザいもの

宗教について、「別に信じるのは勝手だけど布教や勧誘はやめろ」という主張を聞くことがしばしばあるが、たしかに気持ちはわかるけれども、理路としては、必ずしも正しくないのではないかと個人的には思う。

私自身は、とくに一定の制度宗教の信者や信徒であるわけではないし、だからどれかの宗教ないしは宗教一般の肩をもたねばならない立場ではないのだけれども(仏教については、たまたまミャンマーで自分が勉強をしているの

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私のプラマーナ

私のプラマーナ

光陰矢のごとしとはよく言ったもので、いつの間にやらもう七月。今年も半分が終わってしまった。学ぶべきこと、処理すべき作業は溜まっているから気は焦るが、一つ一つ片付けていくしかない。

『仏教思想のゼロポイント』を脱稿してからしばらく経っているが、やはり集中して作業した余波は私の中に残っていて、このところはツイッターでもnoteでも仏教の話ばかりをしてしまっているが、本当のところは、私は「仏教の」話を

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