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近づかないと距離もとれない

昨日から、ミャンマーも含めた上座部(テーラワーダ)圏は雨安居(うあんご)に入った。雨安居というのは、雨季の三ヶ月間に僧侶が一箇所に定住して、そこで勉学や修行に励む期間のことである。その期間には、俗人も大なり小なり謹んだ生活をおくることが推奨されており、結婚式などのイベントは、雨安居の期間中には控えられる。

私はいつも、仏教のような対象を理解しようとする場合は、語学的・文献学的な能力を獲得すると同時に、テキスト解釈者の「生」や「世界」に関する認知のほうも、制作者のそれを理解できるように修練していくことが大切だ、ということを言っているのだが、それをすると、対象の有しているバイアスまで解釈者が無批判に受け入れることになる、と考えている人が多いのには、しばしば驚かされる。

例えば、常々述べているように、ゴータマ・ブッダが輪廻転生の世界観を、同時代の多くの人々と同様に当然の前提として法を説いていたことは、テキストを素直に(即ち、余計な先入見なしに)読めば直ちに知られる、疑いようのない事実である。

これを過去の学者たち(現代では、さすがにそういうことを言う学者は減ってきた)が否定しようとしたのは、もちろん「輪廻転生などという非合理的なものを自分は受け入れられないし、ゴータマ・ブッダも、それは同じだったに違いない」という(無意識の?)バイアスが彼らにあったからであり、そして、その先入見に基づいて、テキストを解釈していたからである。文献学の基本は「己を空しくしてテキストの語るところを聞く」ことであるが、彼らは「己を空しく」した後に残された(対象理解の無意識の前提となる)自身の認知のフレームに無自覚であったために、そのような無理なテキスト解釈を行ってしまったわけだ。

ところが、いつも困惑させられてしまうのだけど、以上のような話をして、「ゴータマ・ブッダにとって輪廻転生の世界観は当然の前提だった」という主旨の解説をすると、「あなたはなぜ輪廻転生を信じるのですか?」と訊いてくる人が必ずいる。私はあくまで、「彼らにとってそれは当然の『事実』であり、その筋道と根拠はこのようなものである」という話をしているのだが、それが彼らの頭の中では、なぜか「ニー仏が輪廻転生を信じている」ということに、直結してしまうらしい。

日本の学者の人たちが、実践の領域にふれることに消極的なのも、やはりこのような一部の人々のものの考え方の傾向に、その原因の一端があるのかもしれない。つまり、下手に実践などをやってしまうと、認知の変容とともに対象のバイアスまで引き受けてしまい、「客観的」な態度を保てなくなるのではないかと、危惧する人もいるのだろうということである。

実際にはもちろんそんなことはなくて、仏教の説く実践を行って認知が変容したとしても、それは自分の理解できる範囲が拡大されたというだけのことであって、それまでわかっていたことがわからなくなるというわけではない。瞑想して何かが見えたとしても、あくまで「それはそれ」なのであり、当該の経験をどのような観点(物差し)から判断し記述するかは、当人の知的な能力にしたがった、基本的には別の問題に属する話なのである。

例えば輪廻について言うとすれば、「Aという実践によってBという認知が得られる。それをCの枠組みで解釈すれば、その認知を『輪廻』として語ることもできる」といった理解をする場合に、「Cの枠組み」というのは「Bという認知」を解釈する上で唯一絶対のものではないということが、一定の知的能力を備えた実践者には、十分に意識可能だということである。
(より丁寧に言えば、「Aという実践」や「Bという認知」自体も、実は「Cの枠組み」に規定されて成立しているところがあるので、そこにはさらなる哲学的な難問題があるわけだが、いずれにせよ、「Aという実践」によって「Bという認知」を自ら獲得しておくことは、そうした難問題を考える上で大きな助けとはなり得ても、「障害」になることは基本的にない。)

もちろん、十分な知的能力(即ち、物事を筋道立てて考える技量と、自分の経験を相対化できるだけの多分野にわたる知識)を欠いている人が実践を行った場合、その実践に伴う世界観を疑う余地のない真理だと「信仰」して、「客観性」を失ってしまうということはあり得る。

ただ、それは単に当人の資質と訓練の問題なのであって、そういう事例から直ちに「だから実践は客観的理解の障害になる」と考えてしまうとすれば、それは筋違いの議論であると言うしかない。そのあたりの弁別は、しっかりと行っておかねばならないと思う。


※今日のおまけ写真は、いつもウ・ジョーティカ師にお会いする部屋。左に飾ってある金色の扇子は、日本のものだそうです。

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